紅瞳の秘預言 71 拉致

 何ですかねえ。
 要はヴァン総長、自分と同じことをルークにやらせてその罪を押し付けようとしたんですよね。
 そんな歴史、繰り返してどうするんですか。

 一瞬だけ現実逃避する形で思考を走らせて、サフィールはレンズの奥で眼を閉じた。
 その脳裏に浮かび上がるのは、グランコクマで再会したジェイドから預けられた、お願いの言葉。

 ひとつ、お願いをして良いですか。

 夜も更けた、ジェイドの執務室。透明な笑みを浮かべながらジェイドは、サフィールにそう告げた。続く言葉に、サフィールの目がレンズの奥で見開かれる。

 もし、何かの問題が起きて私とルークを天秤に掛けるような事態が起こったら。
 一度だけで良い、ルークを選んでくれませんか。

 あの願いは、こんな展開を予測してのものだったのかも知れない。ジェイドの『記憶』にこのような展開は無かったはずだけれど、自身が未来を変えることで相手の行動も変化するだろうと彼なら予測するはずだ。
 さらにジェイドは、ルークを死なせないために5年分の『未来の記憶』を己の内に携えて生きている。つまり彼は、どのような未来が紡がれようとその中にルークが存在していることだけが願い。
 いずれにせよ、ジェイドはサフィールに願った。ならばサフィールには、その願いを叶える義務がある。
 だって、ジェイドが望んだことなのだから。

 たった一度。
 たった一度だけ、私はジェイドよりもルークを選ぶ。

 ゆっくりと目を開き、サフィールは足音を立てずに進むとルークが構えている剣にそっと手を添えた。指先にぴりっと走った痛みは、薄皮1枚が切れた感触だろうか。

「え……ディスト?」
「さっさと行きなさい。この子たちに危害を加えないのであれば、この場は見逃して差し上げます」

 目を丸くしているルークには視線をやること無く、その刃を見つめながらサフィールは感情の含まれない言葉を紡いだ。途端、ヴァンとリグレットを除く全員が露骨に顔色を変える。
 どこまでもジェイド至上主義を貫いて来たサフィールが、自ら彼を見捨てるような発言をしたから。

「ディスト! てめえ!」
「ネイス博士!」

 アッシュとナタリアが、同時に彼の名を呼ぶ。ガイは眉をひそめながらもじっとサフィールを見つめ、その表情を伺っているようだ。
 金髪の青年の視線を気にすること無く、俯き加減のまま銀髪の学者はさらに言葉を紡いだ。意図的に感情を排除した彼の口調は、殊更冷酷に響く。

「こんな所で暴れられて、悪戯に火山やセフィロトを刺激する訳には行きませんからね。これまで我々のやって来たことが無駄になる」
「ふん。譜業が無ければ何も出来ん男が、でかい口を叩く」

 そのサフィールを鼻で笑いつつも、ヴァンはジェイドを軽々と肩に担ぎ上げた。彼としても、自らが有利な立場にあるとは言え面倒な戦闘は避けたいのだろう。

「長年の夢を捨てて正義の味方ごっこか。お前も所詮は預言にしがみつく権力者と同類だったと言うことだ」
「黙れ、ヴァン」

 ルークは最初、その言葉が自分のすぐ傍にいる譜業使いが発したものであることに気づかなかった。普段彼が放つ、キーの高い声とは全く異なるものだったから。

「大人しくしてやっている間に、さっさと消えろ。次に会ったときは容赦しない」

 怒りを抑えきれない低く澱んだ声と、癖の無い銀髪の間から垣間見える温度の無い鋭い視線。
 さすがのリグレットですら、その背筋を悪寒が走り抜けた。彼らはこのとき初めて、六神将としてのサフィールが『死神』の名で呼ばれた理由を知ったのだろう。


 ヴァンが、次いでリグレットが姿を消した後、しばらくの間パッセージリングの間は静寂によって支配されていた。
 ごくり、と誰かが息を飲んだ音がトリガーになった。ルークはがばりと顔を上げ、剣を取り落とすと目の前にいるサフィールの胸倉を掴んで引き寄せる。

「ディスト、あんた何考えてるんだ!」
「オールドラントの未来を、ですよ。私がこんなことを言ったとしても、お芝居にしか思えないんでしょうけれど」

 きっと『前の世界』でなら、ジェイドが演じたであろう『冷酷に事実を突きつける』役割。今はそれを自らの役目だと考えているから、サフィールは『死神』を演じて見せる。

「だからってジェイドをみすみす渡して良いなんて思ってんのかよ! 俺は師匠を追うっ!」
「黙りなさい。貴方1人でヴァンに敵うわけが無いでしょうが。ジェイドを盾にされて返り討ちを食らうのが関の山です」

 自分の胸元を掴んでいるルークの手首を、逆に握りしめる。さほど体力があるわけでは無いサフィールだが、それでも己の答えに怯む朱赤の焔の手を振りほどく程度は出来た。

「それに、物事の優先順位をはき違えて貰っては困りますね」

 ルークの手を外した後、サフィールは立てた人差し指をくるりと回した。
 ジェイドがいない今、自身がこの子どもたちをジェイドが望む未来へと導かねばならない。その義務が、サフィールの顔から表情を消し去っていた。

「良いですか? 私たちが今最優先でやらねばならないのは、パッセージリングの操作です。ロニール雪山のパッセージリングに情報を書き込み、その後にアブソーブゲートとラジエイトゲートから操作を行って外殻大地全体を降下させる。そこまでを完遂せねば、世界は滅びます。主席総長の企み通り、似て非なる世界に書き換えられる」

 淡々と、あくまでも事実と推測……ジェイドのみは経験している『事実』を連ねて行くサフィールの言葉に、子どもたちは口を挟むことが出来ない。

「ジェイドの持っている知識は、私も同じく持っています。彼がいなくなったところで、任務遂行に何ら問題はありません。このまま、外殻降下のための作業を継続します。良いですね」

 ほんの僅か強い口調で、サフィールは言葉を終えた。威勢が良かったはずのルークも、彼に飲まれたのか反論することを忘れたかのように目を見開いている。
 動きを止めた仲間たちを促したのは、凛としたイオンの声だった。

「ひとまず、ダアトに戻りましょう。ここでじっとしていても、何の解決にもなりません」


PREV BACK NEXT