紅瞳の秘預言 72 苦悩

 ローレライ教団本部からほど近い、宿屋の裏にある路地。ナタリアに呼ばれ共に人気の無いその場に赴いたアッシュは、彼女がザレッホ火山のセフィロトで見た『夢』について聞かされた。長くは無いその内容に、だが真紅の焔は目を見張る。

「ラルゴが、お前の父親だと?」
「はい」

 ナタリアは真剣な表情で頷いた。普段であればルークやティアと言った第七音譜術士たちを集め話を聞いて貰う所なのだが、今回は眼前でヴァンにジェイドを拉致されると言う衝撃的な事態が起きてしまっていた。それは少なくともルークに、そしてサフィールに精神的ダメージを与えており、故にナタリアは朱赤の焔に話を聞かせることを躊躇った。
 だからまずは、ずっと心を通わせている真紅の焔にだけ打ち明けたのだ。

「少なくとも、『夢』の私はそう言っていました。この世界でも、それを否定する材料は今のところ存在しませんわ」
「確かにな。それに、もしそれが事実ならば、何故ナタリアがインゴベルト陛下の実の娘で無いことをモースが知っているのか……その説明もつく」

 ナタリアの言葉に、少し考えながらもアッシュは首肯する。ラルゴがナタリアの実父なのであれば、直前まで手元にいたはずの愛娘が突然姿を消したことやその背景などを知ることは容易いはずだ。そして、上司であるヴァンやモースにその事実を伝えたであろうことも推測がつく。

 だが、俺は何も聞いていない。

 同僚であったラルゴの過去を、アッシュは知らない。ラルゴだけで無くその他の六神将たちがその地位に就くまでにどのような人生を送って来たのかも、彼は知らないでいる。唯一良く知っているのは死神ことサフィールだが、彼に関してはその前身がそれなりに著名であったことと彼自身が過去……主にジェイドについて、ことあるごとに口にしていたからだ。

「……いや、ヴァンやあいつらが俺に聞かせる訳が無いか」

 口の中でぼそりと呟いて、アッシュは腕を組み直す。当時自分はヴァンによって洗脳状態に置かれてはいたが、それ以前からナタリアと心を通わせていたことをヴァンは良く知っていたはずだ。そのナタリアの素性をわざわざアッシュに教えるほど、ヴァンはアッシュを信用していた訳では無いだろう。
 アクゼリュスで殺すために手懐けていたルークと同じく、アッシュもまた彼にとってはレプリカ世界を実現させるための道具でしか無かったのだから。

「アリエッタもどこで口を滑らせるか分からんから、話していないだろう。リグレットはヴァンの腹心だしシンクは参謀総長だから、まず知っていると見て良いが」

 元同僚たちの性格と立場を考慮しつつ言葉を紡ぐアッシュに、ナタリアは一瞬だけ目を伏せた。僅かに不安げな光を宿す瞳を揺らしながら、ゆっくりと疑問を口にする。

「……では少なくとも、リグレットとシンクは元から私の生まれを知っていたのでしょうか」
「恐らくな。ディストも知っている可能性があるか」

 ナタリアがインゴベルト王の実子で無いと言う話を聞いても、サフィールは平然としていた。もし事情を知らなければ、あの銀髪の学者はかなり大袈裟に驚くだろう。そうで無かったと言うことはつまり、サフィールは少なくともその時点までにはナタリアの出自を知っていたと言うことになる。
 ほんの僅か考え込んでいたアッシュは、やがて真っ直ぐにナタリアの目を見つめた。

「どうする?」

 一言だけの問い。そこに含まれている意味を、金の髪の王女は真っ直ぐに受け止める。そうして1度目を閉じ、覚悟を決めたように深く頷いた。
 真実の一端を見つけてしまった以上、彼女とてそのままではいられない。

「……ネイス博士に尋ねてみよう、と思います。ラルゴは真の私の父なのか、そうであれば何故グランツ謡将に与し世界を滅ぼすことを良しとするのか。私は、知りたい」

 毅然とした彼女の答えを聞き、アッシュは満足そうに微笑んだ。ナタリアがそう決めたのであれば、アッシュに異論は無い。もし真実を知ることで彼女が傷つくのであれば、己が支えて行くつもりでもある。

「そうだな。どこでそれを知ったのかなどと聞いて来る可能性はあるが、その辺は上手くごまかせば良い」

 しかし、何事にも好機と言うものが存在する。彼らにとってそれは今では無い……それをアッシュは、言葉にしてナタリアに伝えた。

「ただ、聞くのは明日以降にしておけ」
「え?」
「死霊使いが連れて行かれたことで、皆気が立っている。落ち着いてからで無ければ、互いにまともに会話も出来んだろうしな。特にルークとディストは」

 だからお前は、他の誰にでも無くまず俺に打ち明けてくれたんだろう?

 アッシュの笑みは、当然のようにナタリアにそう問いかけて来る。彼女にして見れば自身の心を見透かされたようで、どきりと心臓の音が跳ね上がった。
 そして、最初の相談者にアッシュを選んだことは間違っていないと確信した。ジェイド拉致と言う衝撃を受けてなお、仲間たちのことを冷静に気遣うことが出来るのはアッシュだからこそ。彼とて紅瞳の譜術士に受けた恩恵を忘れてはいないが、それでも動揺を隠せない仲間たちの中にあってあまり感情を表に出すことの無い彼は冷徹な導き手として欠かせない存在である。
 だが、アッシュの指摘はナタリアに、今のサフィールの心境を思い起こさせた。自分たちの前では強がっていたけれど、彼が一番ジェイドを慕っていることを皆は知っているから。

「そうですわね……ネイス博士はきっと、カーティス大佐を思って気落ちしておられますわ」

 同行者たちの中でナタリアの知りたい真実を知るであろう、たった1人の名を呼んでナタリアは頬に手を当てた。溜息をついてからふと、視線を下にずらす。
 少女の身体は全く空気を読むこと無く、今日一日消費した栄養分の補給を訴えていた。


PREV BACK NEXT