紅瞳の秘預言 73 信念
「……まあ良いか、説明の手間も省けたし。僕はシンクだよ」
ともかく、自分と導師の名を知っているのなら名乗っても問題は無いだろう。そうシンクは己の中で結論を付け、素直に答えた。
「そっか。えへへ、僕フローリアン!」
『無垢なる者』。ヴァンやルークと同じく古代イスパニア語の名を名乗った兄弟の顔をシンクは、改めて見直した。少なくとも、火口に廃棄されるまで自分たちには固有名と言うものは存在しなかった。ならば、後に古代イスパニア語を知る誰かが彼にその名を付けたと言うことだ。
「フローリアンねえ……モースが付けたの?」
「ううん? ローレライが付けてくれたんだよ。多分そう言う名前になるから、覚えておきなさいって」
「はぁ?」
命名者も意外であったが、その理由付けにもシンクは驚いた。
多分そう言う名前になるから。
それではまるで、ローレライでは無い別の誰かがこの兄弟にその名を付けると言っているようでは無いか。
ジェイドのみが経験している『未来』ではその名をアニスが彼に付けたのだが、無論それをシンクが知ることは無い。
そう言う名前になる予定なんなら、別に良いんだけどさ。
これもローレライの預言なのかなあ? えらくみみっちい預言だけど。
考えても解決しないだろう、と自分を無理矢理納得させてシンクは、フローリアンに手を差し出した。
「ほら、ここから出るよ。今すぐとは行かないけど、イオンにも会わせてやるし」
「ほんと? うんっ!」
初めて会ったにもかかわらず、全く警戒心を抱かないままにフローリアンはその手を取った。
そうしてフローリアンを連れ出したシンクは、サフィールの付き人であったライナーの部屋に転がり込んだ。元の自分の部下はほとんどがヴァンと共に神託の盾を出奔しているため、頼りにすることは出来ない。だが未だ神託の盾に残っているライナーはサフィールを心底敬愛しており、緑の髪の子どもたちがフォミクリーから生まれた存在であることを明かせば保護して貰える可能性は高い、とシンクは踏んだのだ。もし無理でも、軽く脅せば何とかなるだろうと言う多少楽観的な計算もそこにはあったのだが。
突然現れたシンクから事情説明を受けたライナーは、2人の保護を承諾した。
「ダアトで生まれたレプリカと言うことは、ディスト様のお子様に当たるんですよね。是非、このライナーにお世話をさせてください」
どこか間の抜けたような笑顔で言われ、彼の部屋へと招き入れられて子どもたちはほっと一息をつくことが出来た。
そのライナーは今も目の前で、2人の子どもたちが食事を平らげるのをにこにこと笑って見ている。自分の分の食事はきちんと片付けている辺り、抜け目は無いのだが。
最後のレタスを飲み込んで一息をついた後、シンクはその顔を見上げた。自分が普通の子どもなら彼に甘えていれば良いのかも知れないが、そうは行かない。
自分には今、情報が必要だった。故に少年はライナーに、素直に尋ねる。
「外騒がしいみたいだけど、何かあったの?」
「はあ……通りすがりにちらっと話が聞こえただけなのですが、どうもグランツ謡将が姿を現したらしく」
「ヴァンが?」
首を傾げながらライナーが口にした答え。その中に登場した人名は今会いたくない相手の筆頭に掲げられる存在であり、故にシンクは露骨にうんざりとした表情を浮かべる。
「あいつ、ダアトじゃ指名手配犯だろ? わざわざ戻って来て何やってんのさ」
「さあ、そこまでは……」
本当にライナーは、通りすがりに話を聞いただけらしい。自分たちの所に食事を運んで来る方が優先だったから、と言うことに気づいてシンクは、文句をまくし立てようとしていた口を閉ざすことにした。自分たちが腹を空かせて待っているのを、気に掛けてくれていることが分かるから。
もぐもぐと口の中の食物を咀嚼していたフローリアンはシンクとライナーの会話をのんびり聞いていたが、やがてごくりと飲み込んでから口を開いた。
「その人、悪い人なの? 何しに来たの?」
「まあ悪い奴だけどさ、何しに来たのかは知らないよ」
小さく首を振り、兄弟の疑問に答えてからシンクはライナーに視線を向ける。正直に言えば、自分だってヴァンがわざわざダアトに何をしに来たのか知りたい。
「ライナー、聞いてきて」
「え、私がですか?」
「あのね、僕らがヘタに顔出す訳にもいかないだろ。僕だってヴァンの部下扱いなんだろうし、うっかり素顔見られたらどうすんの」
溜息混じりに答えつつシンクは額に手を当てた。
自分たちはサフィールの技術によって生み出された生体レプリカであり、これを公表することはサフィールのためにならないとライナーに言い含めたことでシンクは、モースやトリトハイムにもその存在を知られずに潜伏することが出来た。もっともそのせいでルークたちとの合流も適わなかった訳だが、それを今のシンクは知る由もない。
ともかく、現在教団内部はヴァンのせいで何やらごたごたが起きているらしい。その理由や今後の動きと言った情報を入手出来れば、シンクは今後自分がどう動くべきか考えることが出来る。それに。
「正確な情報を掴めれば、それだけ今他所で頑張ってるディストの力になることも出来るんだよ。ほらほら、さっさと行って来て!」
「は、はい、分かりましたっ!」
敬愛する師団長の名を出され、しっしっと手で払われてライナーは、慌てて部屋を飛び出して行った。少し開いたままの扉をきっちりと閉じてシンクは、小さく肩をすくめる。
「ディストのどこが良かったんだろ? 良く分かんないなあ」
少年が思い出せるサフィールと言えば妙に幼馴染みに懐いている姿と、自身の研究のみに没頭している姿。そのどちらも、敬うに値する姿では無い。
ま、僕やフローリアンのことを気に掛けてくれてんだし、悪い奴じゃ無いんだけどね。
「ねえねえ、シンク」
シンクの思考を途切れさせたのは、服の裾をくいくいと引かれる感触だった。自分と同じ造作をしているとはとても思えないもう1人の少年は、悩みなど存在しないような無垢な笑顔を兄弟に向ける。
「もっとお話しして。外のこととか、そのジェイドって人のこととか」
「……あんたも大概飽きないね」
溜息混じりにぼそりと呟いてはいるけれど、シンクもフローリアンの気持ちは分からないでも無い。自分と違いこの兄弟は、生まれてこの方ろくに外出をしたことも無いだろうから。
自分たちを生み出した技術の生みの親であるジェイドにも、フローリアンはかなりの興味を抱いているらしい。自分のように憎しみの対象では無く、純粋に会いたい相手として。
アッシュとルークのようなオリジナルとレプリカ、イオンや自分たちのような同一人物から生み出されたレプリカ。いずれにしろ、姿形は同じでもその育てられた経歴からそれぞれの性格はまるで異なる。それをシンクに教えてくれたのは、フローリアンが今会いたがっている真紅の瞳の軍人だった。
「えへへ。だって、シンクのお話面白いんだもん」
「ありがと」
そんなシンクの思いにはまるで気づかぬように、にこにこ笑いながら話の先を促すフローリアン。生まれた順番はともかく意識的には『兄』なのだろうと薄々認識している六神将の少年は、一つ息をついてから『弟』のリクエストに応えてやることにした。さて、次は何の話が良いだろう。
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