紅瞳の秘預言 73 信念

「お待たせー……あれ? みんな来ちゃってる?」

 アニスに手を引かれて、サフィールが食堂に姿を見せた。そこには既に同行者たち全員が揃っており、中でも朱赤の焔が慌てて立ち上がると駆け寄って来た。

「……ルーク」
「ごめん、ディスト!」

 目を丸くしているサフィールの目の前で、ルークはがばっと頭を下げた。ジェイドの『記憶』とは異なりこの時期に至っても長いままの朱赤の髪がばさりと乱れ、白いコートの上に無数のラインを描く。

「ガイに沢山怒られた。ジェイドもディストも俺たちのこと守ってくれたんだって、ジェイドがいなくなって一番辛いのディストだって」
「……謝らないでください。あそこで私がジェイドを見切ったのは事実ですからね」

 その朱赤の頭に、サフィールは軽く手を置いた。本来なら自己弁護に走ってもおかしくは無い状況なのだが、ルークを悲しませたりしてはジェイドが戻って来たときにきっと困る……そう思って銀髪の学者は、意図的に感情を抑えた言葉で答える。
 もっともそれが彼の芝居であることくらい、これまで旅路を共にして来た仲間たちにはお見通しなのだけれど。その中には、空色のチーグルも含まれている。

「ディストさん、大丈夫ですの? ジェイドさんいなくなって、寂しくないですの?」
「……正確に言えば大丈夫では無いんですが、そうも言ってられませんから」

 一瞬むっと唇を尖らせたサフィール。だが、相手は小さな聖獣であり何かとジェイドを気遣ってくれた幼子だ。それに、もう本音を隠している場合でも無いだろうと言う判断が、彼に返事の言葉を紡がせた。元々自分は己の感情を隠すことが下手であることを自覚しており、どうせ皆にばれているだろうと諦めている節もある。

「……ネイス博士」

 じっと押し黙っていたナタリアが、ルークが顔を上げるのを待っていたように口を開いた。サフィールが視線で促すと、金の髪の王女は小さく頷いて先を続ける。

「そこまでカーティス大佐のことをお気遣いでありながら、何故貴方は大佐が連れ去られるのを見逃されたのですか?」
「……ああ」

 なるほど、とサフィールは胸の内だけで頷く。アニスにはつい本当のことを口走ってしまったけれど、他の子どもたちにまで話すことは無いだろう。特に己よりも守れと名指しされたルークには、とても話せない。
 だから彼は、別の理由を口にする前に少しだけ表情を作った。この理由もまた、真実と言えるものだけれど。

「あの場でジェイドを取り返しに掛かったとして、こちらにどれだけ損害が出るか……ですね。誰かが死んじゃったりしたら、それこそジェイドを悲しませることになってしまいますから」

 くるり、と細い人差し指が空中に円を描く。しばらく考え込んだ子どもたちの中で、まず声を上げたのはやはりと言うかガイであった。

「向こうはヴァンとリグレットの2人。こちらは人数じゃ勝ってるけど、ジェイドの旦那を人質に取られてる」
「それに、イオン様もいる。イオン様、戦うの向いてない」

 ぬいぐるみを抱きしめたまま、アリエッタが口を添える。全員が顔を見合わせ頷き合うのを確認してからサフィールは言葉を紡いだ。

「はい。それにルークとアッシュ、貴方たちがもし超振動など使ったりしたらパッセージリングを破壊していたかも知れないですよね。ヴァン総長、上手く誘導しそうですし」
「あー、あり得る」
「……それは拙いな、確かに」

 露骨に顔色を変えたルークと、眉間のしわを深く寄せたアッシュ。ティアが小さく溜息をつき、頬に手を当てた。

「ただでさえホドが無い上に、幾つかのセフィロトは既に魔界に降りているものね。外殻大地は今、ギリギリのバランスの上で浮いている状態だわ」
「そう言うことです。向こうは外殻大地なんて落ちてしまえばラッキー、てなもんですが」
「こちらはそう言う訳には参りませんものね」
「……そうだな」

 サフィールの言葉を聞いて素直に頷くナタリアに、アッシュは難しい顔のまま一言だけ呟いた。勘の鋭い真紅の焔だから、案外サフィールが何かを隠していることには気づいているのかも知れない。
 その思考は、アリエッタの単純な疑問で強制的に切断された。

「ディスト。どうしてヴァン総長、ジェイド連れてったの?」
「そりゃもう、フォミクリーでしょうね」

 その問いに対するサフィールの答えもまた、至極単純なもの。ガイが眉をひそめ、問い返して来るのは計算の内に入っている。

「いや、だってあっちにはあんたの造った音機関が……」
「アクゼリュスに行く前に、ダアトにあった分とコーラル城の分は中枢部を破壊して稼働出来なくしたんです。ワイヨン鏡窟の方にもフォミクリー装置はあるんでどうしようかと思ってたんですが、どうやらあちらも破壊されたようで」

 サフィールはゲルダが動いていることを知らないから、何故ワイヨン鏡窟が崩壊したのかを知ることも無い。だが少なくとも、その場にあったフォミクリー装置がヴァンたちの手の届かない存在に成り果ててしまったことは理解しているようだ。
 だからワイヨン鏡窟の存在は頭の片隅に押し込んで、説明の言葉を続ける。ジェイドも知らない、自分だけしか知らないフォミクリー装置の内情を。

「あの音機関、中枢部はブラックボックスになってまして私しか内部構造を知りません。情報も残していませんし、漏洩対策もやってます。私がいなければ、現在のフォミクリー装置は完成しないんです。マルクト側にも資料が残っている可能性は捨てきれませんが、元々ピオニーは教団とは距離を置いてますしね。情報部に知り合いがいますから、そいつが隠匿してると思います」

 そこまで一息に紡ぎ上げ、一度サフィールはテーブルの上に置いてあった水を無造作に飲み込んだ。そう言えば自分たちは食事に来たのだと言うことをそこでやっと思い出したけれど、まずは説明を仕切ってしまわなければ子どもたちも納得しないだろう。もっともそこに、全てを吐き出してしまいたいと言うサフィールの個人的な感情が存在することを否定はしない。

「ですがフォミクリーならば、そんなこと関係無しに修復出来ます。中枢部以外ならダアトにも設計図はありますから、作成自体は出来ます」
「それで、死霊使いに中枢部をフォミクリーで作らせて装置を完成させるって訳か」

 真紅の焔が、空になったコップに水をつぎ足しながら答えを口にした。アッシュも頭の回転は速いから、与えられるだけの知識を与えれば的確な答えを紡ぎ上げることは出来る。
 もっとも彼には完全な答えを出すことが出来なかったのか、その後に問いを付け足したのだが。

「それなら何故最初から、完成した装置を複製しなかったんだ?」
「複製時に起きる劣化ですね。オリジナルの設計作成段階では完璧に出来上がっていても、それをフォミクリーに掛けて生み出したレプリカにはどこかに劣化が生じます。機能低下くらいならばともかく、動作自体が停止するかも知れない。故にフォミクリーで複製することは大きなリスクを伴うんです」
「だが、そのリスクを冒してでもヴァンはフォミクリー装置が欲しい訳だ。故に装置を使わずにレプリカを造ることの出来るジェイドの旦那を狙った」
「ええ。それに譜業フォミクリーと違ってジェイドが譜術で行うフォミクリーには第七音素は介在しません。それだけで少なくとも、音素乖離の可能性は下がりますから」

 譜業に詳しいガイがいることで、サフィールの事情説明はかなりスムーズに進行する。彼はまた自分たちの次に年長であり、ヴァンと近しい存在でもある故に彼の思考をそれなりに推測することも出来た。


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