紅瞳の秘預言 73 信念

 それでいて、ルークの親代わりですからあの子たちを気遣って発言してくれますしね。
 私には出来ない芸当です。正直尊敬しますよ。

 心の中で嘆息しつつ、銀髪を揺らしながらサフィールは「ですが」と声を上げたナタリアに視線を移した。

「カーティス大佐が、そのようなことを承諾なさいますでしょうか? グランツ謡将のレプリカ計画に荷担することになるのでしょう?」

 彼女の疑問はもっともなものだ。だが当然、ヴァンはその程度の抵抗は織り込み済みである。そして当然のように、サフィールはその可能性をナタリアに対する答えとして弾き出していた。

「総長、思考誘導得意ですからね。ジェイドの判断力を鈍らせれば可能ですよ」
「判断力を鈍らせる?」
「……薬物投与、辺りか」

 きょとんと目を丸くしたルークに対し、アッシュは苦々しげに吐き捨てる。かつて7年もの間かの男によって洗脳状態に置かれていた真紅の焔には、ヴァンが取るであろう行動が容易に推測出来た。

 心配するな、アッシュ。
 お前には、この私がついている。

 極度の興奮状態に陥った自分に鎮静剤を投与させ、その耳元で甘い言葉を囁き続けた低い声は未だにアッシュの脳裏を掠めることもある。その効力を打ち消してくれるのは、いつも傍にいる金の髪の王女。
 ほんの数秒、彼らの間に沈黙が流れた。重くなった空気を打ち破るように、緑の髪の導師が顔を上げる。これまでのヴァンの行動を考えれば、今後彼が取って来るであろう行動も予測出来る。

 ヴァンは、利用出来るものは何でも利用します。
 だったら逆に、利用させれば良いんですよね? ディスト。

「フォミクリー装置の再生を防ぐのはもう無理でしょう。けれど、ジェイドがその後捨てられたり殺されたりする前にこちらが外殻大地降下の準備を整えれば、ヴァンはジェイドを使ってこちらの邪魔をして来るんじゃ無いでしょうか?」
「あ、そゆこと? そこで大佐を助けるってわけか」
「そっか、だから急ぐんだな。ゲートを除いたら、残るセフィロトはあとロニール雪山だけだもん。こっちがさっさと作業を終わらせたら、師匠もきっと焦るはずだ」

 ぽんと手を打ったアニスの横で、ヴァンが彼らに告げたことを今更のようにルークは思い出す。彼の意図を朱赤の焔は理解出来ないけれど、いずれにせよ自分たちはそこへ向かわなければならない。
 世界を守らなければ、ジェイドが帰ってくる場所も無くなってしまうから。
 そしてその後に、ヴァンがジェイドを引きずり出して来る事態になってくれるなら。

 きっと、助ける。
 世界も、貴方も。


 話が一段落したところで、サフィールはやっと席に着いた。隣に座っているガイが、彼の顔を伺うように覗き込んで来る。

「……こう言っちゃ何だけどさ、旦那がいなくなってちと譜術戦力が厳しいと思うんだ。ロニール雪山って、魔物が強いって話だろ」
「そんなもの、私が埋めます」

 ガイの懸念を吹き飛ばすように、一言でサフィールが答えた。ジェイドが連れ去られた時のように俯き、銀の髪で自身の表情を隠しながらそれでも彼は、努めて冷静に言葉を紡ぐ。
 自分の不安を子どもたちに伝染させないために。
 最年長であり子どもたちを導くべき立場である自分が、彼らを不安に晒す訳にはいかないのだから。

「本当は自分が戦うのなんて苦手ですし面倒くさいですしいやなんですけど、そんなこと言ってる場合じゃありませんからね。こちらが急いで動けば、それだけジェイドを早く助けられる可能性が高くなる。それに」

 レンズの奥の眼が光る。ぎりと握りしめた拳は、皆が見ても分かるほどに震えていた。


「──そうか」

 ある種の知識欲を満たされて満足したのか、ヴァン・グランツは眼を細めた。その瞳に宿る光はあくまでも知性と慈愛に満ちたものであり、本性を知らぬ者が彼に対して持つ印象を損ねることは無い。

「私は目的を達成することが出来ず事切れるのか。くくく、面白い」

 椅子に拘束されたままの軍人を、じっと見下ろす。相手は力なく項垂れたまま、ヴァンの顔を見ようともしない。その気力も、今の彼には存在していないから。

「貴公の力無しにあのレプリカどもが私を倒せるか……そも私の所まで辿り着くことが出来るのか。是非に確かめてみたいものだ」

 くすんだ金髪を右手で無造作に掴み、その端正な顔を自身の方に向けさせる。レンズの奥にある真紅の瞳はぼんやりと霞が掛かっていて、そこに彼自身の意志はほとんど垣間見ることが出来ない。

「まあ、その前に一仕事片付けていただこうか? カーティス大佐」
「……はい」

 あくまでも穏やかに、彼の意志を問うかのようなヴァンの言葉。それに対し虚ろな視線を彷徨わせながら、ジェイドは感情の無い言葉と共に頷いた。


「あの男にはたっぷりお返しをして差し上げないと、私の気が済みません」

 地を這うような声で、サフィールはどこにいるとも知れないヴァンに向かって吐き捨てた。


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