紅瞳の秘預言 74 情報

 ロニール雪山は、シルバーナ大陸の中央部に存在している。深い雪に埋もれた険しい山へ向かう前にルークたち一行は、そこへと向かう入口があるケテルブルクの街に入ることになった。雪山の奥に存在すると言うセフィロトへ、確実に辿り着くための準備を整えるためだ。
 雪が積もっている街中を、一行はサフィールを先頭に進んでいた。以前ジェイドと共に訪れたときと同じ道を同じように歩いて行くサフィールの背中をすぐ後ろで眺めながら、ルークは小さく溜息をつく。主の浮かない表情に気づいたのか、その胸元に潜り込んでいたミュウがマントの隙間からひょこっと顔を出した。

「どうしたですの? ご主人様」
「あー……いや、ディストがジェイドの幼馴染みだったって本当だったんだなーって」
「同じ目的地への進み方が全く同じだからな」

 ルークと良く似た色の髪をなびかせて歩くアッシュは、ルークの言いたいことを自らの言葉で代弁する。初めて雪の街を訪れた時、いつもは最後尾を子どもたちの背中を見ながら歩いていたジェイドが珍しく先頭を務めていた。彼の生まれ故郷なのだから、道案内も兼ねての先導は当然と言えば当然だったのだが。
 と、背中の主がくるりとルークたちの方を振り返った。焔の後ろを歩いていた同行者たちには彼らの会話は届いておらず、故に突然のサフィールの行動に思わず目を見張る。

「だって私、いつもジェイドの後ろにくっついて歩いてましたから。この街の構造は、ジェイドと一緒に覚えたんです」

 ちらちらと舞う雪を銀の髪と溶け合わせながら、サフィールは微笑んだ。その笑みが無理に作ったものであることに、子どもたちは皆気づいている。
 いつもジェイドが見せていた、泣きそうな笑顔そのままだったから。

「え、あ……」

 そんなサフィールの表情が一瞬、『夢』の中で見た消え行くジェイドと重なって、焔の子どもたちは思わず息を飲んだ。ルークの胸元でみゅう、とチーグルの子どもが鳴き声を上げてやっと、彼らは意識を現実に引き戻す。
 焔たちの感情を悟ること無く、サフィールはにっと歯を剥き出しにした。それも多分、無理をしての笑顔なのだろう。

「だからさっさとやること片付けて、もう一度ジェイドと一緒に歩きましょう」
「……うん」

 言いたいことだけを言って、サフィールは再び足を動かし始める。その背中を見つめながらルークは、マントの前を閉じるように掻き寄せた。
 アルビオールを降りてからずっと、サフィールはルークたちの先頭を歩いている。すぐ後ろをガイが着いて歩いているけれど、その彼を振り返ることもほとんど無い。
 ジェイドが一緒にいるときのサフィールは、幼馴染みの隣を独占するように最後尾を並んで歩いていた。だから、こうやって彼の背中を長く見た経験はルークや他の子どもたちには無い。

 顔を、見せたくないんだろうな。

 本当ならそこにいたはずの、サフィールと並んで歩くジェイドの幻影を雪の中に見ながら、ルークは口を動かさずに呟いた。
 自分だって、落ち込んだときの顔を誰かに見られたくは無い。屋敷の外を知らなかった頃は自分の部屋に飛び込んで、食事の時間だとメイドが呼びに来ても閉じこもったままだった。ついうっかり、そのまま寝てしまったことだってある。
 でも今は、少しでも早く外殻大地を降下させなければならない。そうしなければヴァンの企み通り世界は滅び、複製された『似て非なる世界』に書き換えられる。彼の手の中にあるジェイドだって、帰って来られなくなる。
 だからサフィールは後ろを振り向かず、己の感情を必死に抑えているのだと子どもたちは十二分に理解している。自分たちだって本当ならきっと混乱したり、落ち込んだままだったり、何かに八つ当たりしていただろう。

 でも、そんなことをしてもジェイドは助けられない。世界も守れない。
 だから、せめてやるべきことを終わらせるまでは、我慢しなくちゃ。

 それはルークだけで無く、ジェイドに心を救われた全ての仲間たちが胸にしまっている言葉だった。それは無論、サフィールも例外では無い。


 やがて到着した知事公邸。出迎えた執事はサフィールの姿を認め、ジェイドを見たときとは異なる強張った表情を顔に浮かべて硬直した。この街で生まれ育った譜業の天才にしてマルクトの軍事機密を奪って出奔した罪人、その彼の顔を前触れも無しに見たのだから当然と言えば当然なのだろうが。
 当人であるところのサフィールは、平然と作り笑いを浮かべて見せた。ちらりと建物に視線を向けて、軽く首を傾げながら問う。

「こんにちは。知事はご在宅で?」
「ね、ネイス博士……は、はい、執務室におられます」
「ありがとうございます」

 欲しかった答えを得て、サフィールは満足げに頷いた。懐の中から小さな手帳を取り出して、執事の前に広げる。赤地に金の丁寧な装飾が施された革のカバーが掛かっているそれを見て、執事は目を見開いた。

「ああ、私の身分はピオニーが保証してくれてますから。ほら」
「し、失礼いたしました。どうぞ」

 慌てて門扉を開け、深く頭を下げた執事の前を通って一行は公邸内へと足を踏み入れる。サフィールの手元をちらちらと伺いながらガイは、「身分証明書かい?」と低い声で問うた。

「ええ。ほら、私前歴が前歴でしょう? こういうものが無いと不便だろうってピオニーが」

 手帳を元の懐にしまいつつ、サフィールはガイに頷く。背後の子どもたちの視線を感じてはいるけれど、必要以上に振り返ることはしない。付き合いの長いアニスには自分の感情は割れてしまっているだろうが、それ以外の子どもたちに必要以上の不安を与えるわけにはいかないから。
 その思いをどこと無く感付いているのだろう、ガイは肩をすくめながら何でもないような口調で言葉を続けた。彼の方は子どもたちがサフィールの気持ちに気づいていることは分かっているが、それを教えるつもりは毛頭無い。それで全体の雰囲気が沈んでしまえば、後もう少しと言うところまで辿り着いている外殻大地降下計画の進展に支障が出てしまうだろうから。

「さっきの執事さんもそうだけど、ディストの旦那もここの出身なんだよなあ。顔が割れてりゃ、身分証明が無くちゃ動きにくいだろ」
「顔だけ見て逮捕だー、って追いかけられかねませんからね」

 ガイのさりげない気遣いに視線だけで感謝を述べながら、サフィールは執務室の扉をノックもせずに開いた。奥の机にはルークたちが前回訪れた時と同じようにネフリーがいて……銀髪の幼馴染みの顔を認めると、慌てて立ち上がった。

「あら、皆さんお久しぶり……サフィール!?」
「お久しぶりです、ネフリー。知事のお仕事、大変そうですねえ」

 手を挙げて挨拶をしながら笑うサフィールに、ネフリーは一瞬だけ訝しげに眉をひそめた。それでも、長らく音信不通であった幼馴染みの元気そうな姿にほっとして頬を緩める。

「私はそうでも無いわ。……ピオニー様直属になったって、本当だったのね」
「そうでもなきゃ、私が堂々とマルクトの領内を歩くことは出来ませんよ」
「そうね」

 久方ぶりの再会に、ほんの少しだけ話が弾みかけた。だがふとネフリーは一行の顔を見回して、不思議そうな表情を浮かべると口元に手を当てた。

「……兄さんは? サフィール、一緒じゃ無いの?」
「え?」
「あ、ああ」

 そうだ。
 彼女はジェイドの──ジェイド・バルフォアの血を分けた妹だ。

 子どもたちの一瞬の動揺に、ネフリーは気づいただろうか。最年長である銀髪の彼は口の端を僅かに震わせて、それでも必死に笑顔を取り繕う。

「ジェイドでしたら、ピオニーの命令で単独行動なんですよ。あはは、大丈夫です。だってジェイドなんですからね」
「そうなの?」

 胡散臭げにじっとサフィールを見つめて、それからネフリーは小さく溜息をついた。

「……そうね、兄さんなら大丈夫ね」

 その言葉の意味をどう受け取って良いのか、ルークたちには分からない。だがその疑問は、彼女の笑顔と「座って。お茶を用意させるわ」と言う言葉で途切れた。


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