紅瞳の秘預言 74 情報

「我々は今回、ロニール雪山に入ることになった。そこで、こちらの情報には詳しいであろう貴方に話を伺いたい」

 全員に茶が行き渡ったところで、アッシュが話を切り出した。ネフリーは目を丸くして、思わず聞き返す。

「ロニール雪山に入るの?」
「ああ。あの奥にセフィロトがあるのでな」
「セフィロト……そう、外殻大地降下計画の一環と言うことね」

 頷いたアッシュの答えに、なるほどとネフリーも納得する。計画の名称が彼女の口に上ったことで全員が不思議そうな顔をしたが、ケテルブルクの知事を務めている彼女はふわりと微笑んだ。

「ピオニー様から各地に話が来ているわ。世界全体に影響が出るのだから、当然でしょう?」
「それもそうだねー。キムラスカの方も話回ってるの?」
「お父様から各地の知事に伝達が回っているかも知れませんわね。あれから帰っていませんから詳細は分かりかねますけれど」

 イオンを挟んでアリエッタと並び座っているアニスが、茶菓子のサブレを摘みながらナタリアに視線を向けた。金の髪の王女は少しだけ思考を巡らせて、それから黒髪の少女の疑問に答える。
 考えてみれば、全世界を高い空から元あった大地へ引き下ろすと言う大がかりな作業である。降下時にどのような影響が出るかは良く分からないが、いずれにせよ前もって住民に広く知らしめておく必要はあるはずだ。少なくとも今の時点で各地の領主や知事に情報を伝えておけば、いずれ訪れる『その時』への準備をしておくことが出来る。
 『前の世界』を知るジェイドから、その辺りの話を聞いた記憶はサフィールには無い。恐らく『前回』は、全てを2国の盟主とイオンに丸投げしていたのだろう。いや、『今回』も結論としては同じことだし、実務部隊である自分たちに何が出来るわけでも無いのだが。

「それで、他のセフィロトには回ったの?」
「魔物が強いという話は聞いていましたので、アブソーブゲートとラジエイトゲートを除けばこちらが最後になります」
「じゃあ、もう少しなのね」

 ティアの説明を聞いて、ほっとしたようにネフリーは紅茶を口にした。それからサフィールと焔たち、そしてナタリアを見比べながら言葉を続ける。

「ここが終わったら、バチカルとグランコクマに連絡を入れておいた方がいいわね。住民のみんなも、心の準備は必要でしょう?」
「確かにな」

 真紅の焔は小さく頷き、それからナタリアに視線を向けた。ネフリーが彼女に視線を向けたのはつまり、バチカルの主であるインゴベルト王が彼女の父親だからだろう。彼は王であると共にナタリアの父であり、世界を救うためにとは言え己の元を離れ敵対勢力と戦っている娘を案じているに違いない。
 そんなときに一番心の支えになるのは、きっと。

「ナタリア、伯父上にはお前から手紙をしたためた方が良いだろう」
「そうですわね。お父様にはろくに連絡も入れずに、きっと心配させてしまっていますわ」

 アッシュの進言をナタリアは、その中に籠められた思いと共に受け取る。自分が王の実の娘で無いと判明する前も、そして和解した後も王は、一人娘であるナタリアを愛し、気遣い、守って来た。

 お父様。
 私のお父様は、貴方です。
 例え実の父がラルゴであったとしても。

 『夢』の記憶を胸の奥にしまい込んで少女は、軽く拳を握った。
 ナタリアの思いを知ってか知らずか、サフィールは指先で眼鏡の位置を直してからネフリーに向き直った。今この中でグランコクマと一番太いパイプを繋げているのは、彼だ。

「じゃあ、ピオニー陛下には私が出しますよ。ネフリーは速達便の手配をお願いします」
「ええ」

 幼馴染みの、子どもの頃とは違うしっかりした意思のある言葉にネフリーは、嬉しそうに頷いた。


「それで、ロニール雪山の話だったわね」

 そうして話は元に戻る。ネフリーは少し前の記憶を掘り起こすように視線を宙に巡らせながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「1年くらい前は魔物が凶暴になっていたけれど……ピオニー様が視察に入られてからは、だいぶ落ち着いたみたい。それでも、気をつけた方が良いわ」
「ピオニー陛下が直々にですか?」

 ティーカップを両手の中に包み込んで、イオンが尋ねた。自身が育った地であるとは言え、そう言った理由で皇帝が直々に視察に入るとは考えにくい。
 だがその疑問には、ネフリーが答えを出してくれた。

「ええ。ケテルブルクのカジノはマルクトの財政にとって無視できない規模なの。その近くで魔物の凶暴化が進んでいたら税収が下がるかも知れないし、何より危険だから」
「はあ……」

 だが、サフィールはなおも首を傾げる。ネフリーが掲げた理由はピオニーが出した『表向き』のものだろう、と言う推測は出来る。ジェイドの話によればピオニーがジェイドの『記憶』を知ったのは2年ほど前の話であり、つまり1年前なら既にピオニーは知っている。
 だから、ジェイドの『記憶』を元にあの皇帝が何らかの下地を敷いたのでは無いだろうか。そう、サフィールは胸の中で結論づけた。

 ま、何やったかまでは考えなくても良いでしょうか。
 ピオニーがジェイドの不利になるようなことをするはずが無いですもん。

 サフィールはそこで思考を打ち切った。少なくとも今必要な情報は『現在ロニール雪山の魔物はそれなりに落ち着いている』と言う所だけであり、1年前のピオニーの行動は不要なノイズでしか無い。

「それはまあ、良いでしょう。後、雪崩の危険性なんかはどうです?」
「今年は積雪量が多いわね。知らずに地面の無いところを踏み外すかも」
「そうなると、ビバークの可能性も考えて食料を多めに持って行きましょうか。それと、防寒具も揃えませんとね」

 この中では、ケテルブルクで育ったサフィールとネフリーの2人が一番雪山の恐ろしさを知っている。だからどうしても彼らの間のみで話が続くことになる。それ以外の子どもたちはほとんど経験は無く、特にルークなどは未だに雪崩の危険性も理解出来ていないだろう。

「今から行くの?」
「出来ればそうしたいんですが、導師を連れてかなくちゃいけませんからね。彼の体調も考えて、明日の朝に出ようかと思ってます」

 ネフリーの質問にサフィールは、緑髪の少年にちらりと視線を向けてから答えた。この中では外見上も、そして実年齢も最年少に当たるイオンは本来なら雪山に連れて行くべきでは無い。だが、セフィロトのダアト式封咒を解放するために彼は不可欠であり、事情を余り知らないネフリーもサフィールの言葉で何となくではあるがそれを理解する。
 この少年が、兄と幼馴染みが生み出した『息子』であることを知らないままネフリーは、イオンにふわりと微笑んでみせた。

「それが良いわね。今からじゃあ、余り進まないうちに夜になるもの。体力を消耗してしまうわ」
「済みません」
「良いの。イオン様、頑張ってるから」
「だよねー。イオン様、もうちょっとですからね」

 済まなそうに頷いたイオンの両脇から、アリエッタとアニスがそれぞれの側にある腕にしがみつく。守り役の少女たちがいればきっと、イオンは無事セフィロトに辿り着くことが出来るはずだ。

「じゃあサフィール、防寒具は昔一緒に買い物に行ったあの店が良いんじゃ無いかしら。店主が代替わりしてからここ10年でかなり手を広げていて、色もサイズも揃えられると思うわ」
「ああ、あの服屋ですか。まだやってたんですねえ」

 ネフリーに話を振られてサフィールは、子どもの頃の記憶を掘り起こす。それから自分たちが一番良く知っている衣料店を思い出してそこのことだと合点した。
 どれだけ長くこの地を離れていたか、それをほんの僅か思い知らされて、サフィールは苦笑を浮かべる。子どもの頃、ネビリム先生に連れられて良くその前を通った衣料店……そこの店主が代替わりしたことすら、今聞かされるまで知らなかったのだから。


PREV BACK NEXT