紅瞳の秘預言 75 相克

 翌日の朝早く、ネフリーに見送られてルークたちはロニール雪山へと足を踏み入れた。一行の上空を、フレスベルグが警戒を兼ねてゆっくりと飛んでいる。空を飛ぶ魔物である『彼』は、その特性上ライガたちよりよほど寒さには耐性が高いらしい。

「うぅ、マジ寒……」

 厚手のコートを纏い、ルークはぶるりと肩を震わせた。胸元にミュウが入っている分仲間たちよりは暖を取れているはずだが、それでもこの底冷えを完全に排除するには至らない。
 慣れない雪山登山と言うこともあり全員が揃いの雪山用ブーツを履いているのだが、その足元に視線を向けながらナタリアが白い息を吐いた。

「地面から、寒気がじわじわと忍び寄って来ますわね」
「ケテルブルクで装備を調えておいて良かったわ。いつもの格好じゃ、もっと冷えていたもの」

 目の前を横切った雪の欠片を視線で追いつつ、ティアも頷く。ガイは戦闘になった際の動きを考慮して選んだらしい、質の良いショートコートの襟を直しつつ眼を細めた。先頭を進んでいるサフィールのマントを羽織った背中を見失わないよう、いつもより早足のつもりで彼は歩いている。

「ま、最寄りの街がケテルブルクで良かったよ。品揃えは良いからな」
「値は高いが、まあ貴族相手の商売だしな」

 いつも通りの黒い詠師服姿で歩きつつ、アッシュは周囲の警戒を怠らない。足元だけは換装しているが、それ以外は普段通りである『兄』に視線を向けて、ルークは小さく溜息をつく。

「アッシュはぱっと見、あまり変わらないよな」
「中に着込めるからな。砂漠でも問題無いように断熱性が高くなっている。まあ、その分重量があるが」

 襟元を軽く引きながら答えてアッシュは、ルークを見直した。そう言えば、この服は確か。

「お前、一度着ただろうが」

 王族の偽者と呼ばれたナタリアを守るため、アッシュはルークと入れ替わった。その時にルークはアッシュの詠師服を着用しており、その着心地を覚えているはずだ。

「うん。あの時は肩凝ったあ」

 小さく頷いてルークは、こきこきと肩を上下させた。アッシュの姿をしていた時のことを思い出したのだろう。同行していた仲間たち以外は2人を見分けることが出来ず、そのおかげでバチカル帰還とナタリアたちの救出も上手く行った。
 その計画を立案したのは、今ここにはいない青い軍服の彼。

 ──頑張らなくっちゃな。

 あの背中を取り返すためにも、まずはこの雪山に隠されているセフィロトへ辿り着かなければならない。その決意を籠めてルークは、積もったばかりで柔らかな純白を踏みしめた。

 一際風が強くなった。地面に積もった雪が吹き上げられて、ルークたちの視界を極度に狭める。その風の中で、何に気づいたのかミュウが袋状の耳をぴんと立てた。

「ご主人様、人の声が聞こえたですの」
「え? まじ?」

 チーグルの指摘に、ルークは慌てて周囲に視線を向ける。と、ミュウに答えるかのように上空から鋭い声が降り注いで来た。

「くおう、くあぁ────!」
「フレス? 敵、いるの?」
「みゅっ!」

 アリエッタがその中に込められた意味を悟り、ミュウが全身の毛を逆立てたことで同行者たちの間に緊張が走った。中でもイオンを守るように最後尾を歩いていたアニスは、即座に背中からトクナガをむしり取る。その友人を、アリエッタは肩越しに振り向いた。

「アニス、トクナガでイオン様連れて下がって。多分、ラルゴがいる」
「う、うん」

 足元が覚束ない上に雪崩が発生する可能性のあるこの雪山では、巨大化したトクナガよりも空を飛ぶことの出来るフレスベルグが戦闘に参加した方がまだ安全性は高い。理屈で無く直感でその考えに至った桜色の髪の少女は、アニスにイオンを任せることを躊躇わなかった。

「イオン様、しっかり掴まっててくださいね」
「はいアニス、お願いします」

 黒髪の少女の固有振動数に反応して、トクナガが巨大化する。その腕の中にアニスはそっとイオンを抱き上げて、自分は人形の後頭部にしっかりとしがみついた。
 一方、ガイは先頭を進んでいるサフィールに素早く駆け寄った。強めに肩を叩くことで意識を自分に向けさせ、声を張ってその名を呼ぶ。

「ディストの旦那!」
「え? ガイ、どうしました?」

 唐突に名を呼ばれたと言う認識なのか、振り返ったサフィールはぽかんと目を見開いてガイを見つめている。その表情に、ガイは胸の内で小さく溜息をついた。
 ロニール雪山に入ってからのサフィールが、ほとんど自分たちを振り返らなかったことを思い出したのだ。幸いサフィールの歩く速度はそんなに速くなくて、だから皆はその後を着いてくることが出来たのだけれど。

 ああ、やっぱりか。
 ジェイドの旦那のことを気にしすぎていて、周囲の話が聞こえて無い。

「この先にラルゴがいるらしい。俺が前に出るから、旦那は後衛を頼む」

 相手の心中を思いながらも手短に状況を説明し、ガイはサフィールの肩をぽんと叩いた。彼が先頭のままラルゴと接触してしまっては、一撃の下に斬り伏せられる可能性が高い。そのくらい、サフィール自身も理解はしているはずだとガイは考えた。

「……はい。済みません」

 そうして青年の考え通り、銀髪を揺らしながらサフィールは素直に引き下がった。ガイは小さく頷いて、刀を抜き放ちながら一行の先頭に立つ。その両脇を、駆け寄って来たルークとアッシュが固めた。最後尾にいるトクナガの両脇にはアリエッタとティアが回り、サフィールのすぐ背後には彼と同じく近接戦闘には向いていないナタリアがついた。

 やがて一行は、少し広い空間に出た。白で統一された風景の中に、黒と濃い色で身を固めた巨漢が仁王立ちしている。そうして、空間を取り囲むように神託の盾兵士たちが各々得物を構えていた。

「思ったより早かったな。だが、ここより先へは進ません」
「悪いな。そこをどけて貰うぞ、『黒獅子ラルゴ』」

 ぼそりと呟いたアッシュの言葉を、ナタリアは奥歯を噛みしめながら聞く。『夢』の中で自分が父と呼んだ、その人の姿を真正面に捉えて。

 貴方が私の父ならば。
 私は戦えるのでしょうか?


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