紅瞳の秘預言 75 相克

 彼女の見た『夢』を唯一知るアッシュは、恋人である少女の心を思いやった。そうして彼女と、父であるかも知れない男が刃を交えることを忌避しようとして声を掛ける。

「ナタリア、下がっていろ」
「いえ、平気ですわ」

 だがナタリアは、敢えてその気遣いを断った。1度目を閉じ、呼吸を整える。『夢』の中の自分が叫んでいた言葉を思い出し、それでも彼女は毅然として顔を上げた。

「真実がどこにあるにしろ、いずれこうなるのだと薄々感じていましたから」

 アッシュが傍にいてくださるから、私はこうやって気丈に振る舞えるのです。
 どうか私の心を守ってくださいましね、アッシュ。

 そう心の中だけで呟きながら彼女は、背負った矢筒から一条の矢を取り出した。恐らくは実の父であろう男と戦わねばならない、その不安を押し殺すために。

「ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「俺にか?」

 訝しげに眉をひそめたラルゴ。同行者たちも虚を突かれたように動きを止めた中で、アッシュだけがそっと視線を逸らした。
 ゆっくりと弓に矢を番え、ガイの肩越しに狙いを定め引き絞る。標的はラルゴだが、馬鹿正直に真正面から放ったところで避けられるか切り払われるのが落ちだろう。だがそれでも、ナタリアは自身の意志をこういった形で見せた。

「貴方には……メリルと言う名前の娘さんがおられたのですか?」
「……む」
「ナタリア!?」

 眉を僅かに動かしただけのラルゴと、彼と同時にその言葉に反応して顔色を変えたサフィール。彼らの表情を伺ってアッシュは、ナタリアが見たと言う『夢』がどうやらこの世界でも通じる真実だと言うことを把握した。
 つまり、今目の前に敵として立ちはだかっているあの男は、ナタリアの本当の父親なのだ。

「どこで、その話を聞いた」
「私にも、独自の情報網くらいありますわ」

 ほとんど表情を変えぬまま問い返したラルゴに、ナタリアは漠然とした答えだけを返す。事実を答えたところできっと彼や、第七音素を操れぬ仲間たちには理解して貰えない。いや、答える気は無い。
 それを知らせると言うことはつまり、ジェイドの死の場面を彼らに伝えることになってしまうから。

「ナタリア、どういうことなんだ?」

 『夢』の話を知らぬ仲間たちを代表するように、ガイが疑問を口にした。だがティアやルーク、そしてイオンには、ナタリアがそんなことを『知った』理由を理解している。

 恐らく、ザレッホ火山で彼女が見た『夢』。
 そこでナタリアは、ラルゴが実父であるらしいことを知ったのだと。

 もっとも、ラルゴにはそのようなことは分からない。だが、ナタリアが事実を知ったらしいことは理解した。その上で彼は、ふっと一瞬だけ視線を逸らし呟くように答える。

「18年ほど前に、死んだがね」
「……分かりましたわ。ありがとう、『黒獅子ラルゴ』」

 ナタリアは、その答えに納得したように小さく頷いた。
 目の前にいるこの武人は、娘を失ったものだと考えている。それはつまり、例え目の前にいるナタリアが本当に娘だとしてもその大鎌を止めるつもりが無い、と言うことだ。
 ナタリア自身は、そこまで割り切れてはいない。自身の実父と戦わねばならないと言うこの状況を完全に受け入れるには、どうしても時間が掛かる。

 けれど、今ここで止まっている訳にはいかないのです。
 世界を守り、外殻大地を降下させ、カーティス大佐をお救いするためには。

「私は、キムラスカ・ランバルディア王国が王女ナタリア」

 だから彼女は、思いを振り切るように高らかに名乗った。せめてここで尻込みをせぬように、仲間たちの足を引っ張ることの無いように。
 そして。

「オールドラントを守るため、貴方がたに負けるわけには行きません。参ります!」

 ありったけの思いが込められた声と共に、矢が放たれた。と同時にティアが太腿から小型のナイフを引き抜き、神託の盾目がけて叩き付けるように投げる。

「譜術障壁、展開」

 ナタリアの一撃を合図として飛びかかってきた兵士たちの刃は、うっすらと眼を細めたサフィールの眼前でばちりと弾かれた。軽く振られた彼の右腕には、小型の音機関が防具のように装着されている。普段は武器を持ち歩くことも無くそもそも戦闘を避けることの多いサフィールの、それは唯一にして最大の武器であった。

「雪崩に巻き込まれるのはごめんですからねえ、これでお相手しますよ」

 指を軽く動かすと、音機関から放出された音素が刃を形作る。自分に向かって来た兵士にその切っ先を向けるように、すっと指を差した。

「射出」

 独特のしゃがれた声をトリガーに、音素の刃が発射される。流れるような腕の動きに沿って連射された鋭い切っ先は、次々に兵士の兜の隙間から滑り込み血を噴き出させていった。

「慌てるな! 一斉に行けば間に合わんはずだ!」

 倒れ込む鎧を踏み越えながら兵士たちが態勢を立て直そうとした瞬間、上空からばさりと翼のはためく音がした。先ほどの鳴き声は彼らにも聞こえていたはずで、だから上方への警戒を怠ったのは偏に神託の盾兵士たちがこちらの戦力を完全に理解出来ていなかったから。

「くぁああああああああっ!」
「フレス、お願い!」

 アリエッタが、掴んでいるぬいぐるみごと手を振り下ろした。ほんの一瞬だけ遅れ、舞い降りて来た魔物の嘴と爪が無造作に兵士たちを引き裂く。慌てて空を見上げた彼らの足元へと、低い姿勢でガイが駆け寄った。

「敵は空の上だけじゃ無いだろ」

 独特のフォルムを持つ刀で兵士の喉元を切り裂きながら、ガイは周囲を舞う雪と同化するように冷ややかな声で呟いた。それから、ちらりと敵の指揮官に視線を向ける。

「雑魚を片付けたら、手伝うか」

 口の端が僅かに上げられる。それだけで己の感情をかみ殺し、青年は再び雪を蹴った。まずは白い鎧を纏う兵士の数を減らさなければ、自分の言葉を現実にすることは出来ないのだから。


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