紅瞳の秘預言 75 相克

「ラルゴ!」
「お前の相手は俺たちだ!」

 巨漢を挟み込むように右と左、全く同じタイミングで刃が滑り込んで来る。アッシュの剣を腕で殴って軌跡を歪め、ルークの剣を鎌の柄で受け止めながらラルゴはにやり、と満足そうに歯を剥き出した。

「聖なる焔どもか! 良かろう、まとめて掛かって来い!」

 ぶうん、と大きく振られる鎌をかいくぐり、アッシュとルークはラルゴを挟むように位置を取ると剣を構え直した。ティアの歌声が戦場を包み込むように奏でられる中、2人の焔はこれまた同時に大地を蹴る。

「さすがはオリジナルとレプリカだな! 同じ動きしか出来んのか!」

 2人の動きを読み、バックステップしながらラルゴが叫ぶ。だがその言葉に対する答えは、ルークの一閃だった。

「はぁっ!」

 ラルゴの動きに一瞬遅れながらついて行ったルークは、その足元から切り上げる。それを避けるように軽く跳ねたラルゴの背後から、アッシュが刃を突き入れた。

「がっ!」

 着地した瞬間、ラルゴの脇腹から血が吹き出した。微かに顔をしかめ、ぎりと歯を食いしばりながらそれでもラルゴは大鎌を構え直し、焔たちを睨み付ける。

「あいにくだが、そいつと俺は別人だ。動きが良く似ているのは、同じ流派の剣術を学んでいるからに過ぎねえ」
「だよなー。俺とアッシュじゃあ、修行の進み具合も違うもん」

 冷たく睨み付けるアッシュと、ぷうと頬を膨らませるルーク。確かに、こうやって見るとこの2人は、被験体と複製体と言うよりはただの兄弟にしか見えなくて。

 オールドラントを複製した世界に散らばることになるレプリカ。
 彼らはもしかして、自分たちの代替では無いのだろうか?

 そんなちっぽけな疑問を、ラルゴの胸の中に灯す。

「……だが、その程度では俺を倒すことは出来んぞ、小僧ども!」

 それでもなお、黒獅子は吠えた。既にレプリカ計画は着々と進められ、あと少しで最終段階に入る。ここまで来てはもう、後戻りすることなど出来ないのだから。


 どさり。
 落下音は、どこと無く軽い音に聞こえた。リグレットは、足元に散らばった癖の無いくすんだ金髪を冷たく見下ろす。

「う……ぁ」

 既に限界なのだろうか。自身の意志を半ば失い命じられるがまま禁忌の譜術を繰り返したジェイドは、床に倒れ込んだ身体を小刻みに震わせている。感情を浮かべること無く彼を見つめているリグレットには、微かに呻く声すらも煩わしい。
 この男が複製技術などを生み出してしまったためにヴァンは生まれ故郷を失い、世界に絶望しているのだ。

 閣下のご命令さえ無ければ、お前などとうの昔に骸だったのに。

 敬愛する人物を苦しめた彼を許す気は、リグレットには全く無い。許されるならば今すぐにでも、その首を刎ねてやりたい。
 そうしないのは偏に、この男には利用価値があるからだ。
 たった今彼の目の前に構築された音機関の中枢部は、ジェイドが自ら編み出した複製を構築する譜術により生み出された。ヴァンの計画を完成させるために必要なその構造を知る者は既に彼の元を離れており、設計図すらも存在していない。
 だが、今リグレットの目の前でぐったりと倒れているこの男の手に掛かれば、設計図など必要無い。破壊されてしまったとは言え元の音機関さえあれば、彼の譜術により本来の構造をそっくりそのまま複製することが出来る。
 だからこそヴァンはジェイドを殺さず、薬物投与と思考誘導により支配下に置いた。自身の目指す、レプリカ計画完遂のために。

「お前は今、閣下の慈悲により生かされているのだ。そのことをゆめ忘れるな」
「……は、い……」

 吐き捨てた言葉に、律儀に返事が返って来る。ジェイド自身の本来の意識がどこまで残っているのかはリグレットには分からないが、少なくとも今この男は自分たちに牙を向けることは無い。そうで無ければこうやって、手枷も鎖も無しに放置など出来ようはずも無いからだ。

 かつ、と硬質の足音が背後でした。

「……閣下」

 リグレットが振り返ると、そこにはヴァンが立っていた。悠然と笑みを浮かべ、彼はリグレットと肩を並べ青い軍服を見下ろす。

「首尾はどうだ?」
「ひとまずは6基を確保出来ました。しかし……」

 ちらりと投げかけられたリグレットの視線を、ヴァンがさりげなく追う。そこには同じ色、同じ形をした音機関が彼女の言う通り6基、音も無く並べられていた。最後の1基を複製したところでジェイドが倒れてしまったのだと、ヴァンは一瞥しただけで理解する。

「ふむ、そろそろ限界か」
「如何致しましょう」

 考えるように顎に手を当てたヴァンを見つめ、リグレットが問うた。彼女が『処分』の許可を欲しがっていることを、薄々ヴァンは感付いている。
 だが彼は、くっと喉の奥で笑うと彼女に命じた。

「音機関は予定通り搬出、組み込みを開始しろ。リグレット、これを連れてラジエイトゲートへ向かえ」
「は?」

 『これ』が足元で倒れている男のことだと彼女が理解するのに、ほんの僅かながら時間が必要だった。次の瞬間露骨に表情を歪めた己の副官に、ヴァンは身を翻しながら命令の続きを言葉として紡ぐ。

「アッシュとルークのどちらかがあちらへ向かうはずだ。これを利用して確保しろ」
「……なるほど」

 単体で超振動を操ることの出来る、2人の『聖なる焔の光』。レプリカ計画を確実に遂行するためにヴァンは、その2人のどちらかを確実に、出来れば双方とも手の内に納めたいのだ。
 ならば、『死霊使い』の処分はそれからで良い。そうリグレットは、自分に言い聞かせながら頭を下げた。

「承知しました。ご武運を」

 彼女が頭を上げた時には、既にヴァンの姿は無かった。だがリグレットは満足したように笑みを浮かべると、そのまま視線を青い軍服に向ける。そうして、温度の無い命令を叩き付けた。

「閣下のご命令だ。ラジエイトゲートへ向かうぞ、ぼさっとしていないで立て」
「……はい」

 のろのろと身体を起こし、ジェイドはゆっくりと立ち上がった。乱れた髪は直されることも無く、真紅の瞳はどんよりと濁っている。今の彼は、命令に逆らうことの出来ない人形のような存在だとリグレットは理解していた。少なくとも表向きには、その通りでしか無い。
 だが。
 彼の思考のほんの僅かな部分だけは、彼らの支配を免れていた。ヴァンとリグレットの会話を確かに聞き取っていたジェイドは、言葉にすること無く己の思いを紡ぐ。

 ラジエイトゲート。
 『あの時』と同じなら、きっと会える。
 赤い髪を持つ、

 ──

 ──誰に?

 ただ、ほとんどの記憶は押し潰された思考と共に封じられているのだけれど。


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