紅瞳の秘預言 76 分岐

「はあああっ!」
「うわ!」
「とっ!」

 良く通る重低音の声と共に、巨大な刃がぶうんと横薙ぎにされた。バックステップでかわしたルークとアッシュは雪に足を取られ、態勢を立て直すのに手間取る。

「フレス、行ってぇ!」
「くぁあお!」

 だが、アリエッタの舌足らずな声で呼ばれた魔物が彼らを守るように舞い降りた。ラルゴの目の前を掠めるように足の爪が空を切り裂く。その間に焔たちはどうにか立ち上がり、剣を構え直した。

「アッシュ、ルーク!」
「だいじょぶ! ガイはアニスとイオン頼む!」
「あいよ!」

 自分たちの名を呼んだ金の髪の青年に、朱赤の焔が怒鳴って答える。口の端を少し上げ、ガイは眼を細めると神託の盾兵士の喉を切り裂いた。

「歪められし扉、今開かれん……ネガティブゲイトぉ!」

 少女の詠唱と共に暗黒の空間が現出し、白い鎧たちが倒れて行く。アニスはトクナガの腕の中にイオンを抱えさせているため、もっぱら譜術で戦闘を行っていた。

「アニス、大丈夫ですか?」
「へーきへーきですっ。動き回らない分、かえっていつもより楽って言うかー」

 自分を見上げながら問うてくるイオンに、少女はガッツポーズで答える。それから、手の中でくるりと杖を回した。視界に映るのは、白い雪にとても映える2色の赤い髪。

 さっさと片付けないと、ルークたちに面倒かかっちゃうもんね。
 大佐が帰って来たら、みんなでお帰りなさいを言うんだから。

 心の中でそう決めてアニスは、再び詠唱を紡いだ。

「展開」

 サフィールの前方に譜術障壁が広がり、刃を受け止めた。彼の背後からナタリアが射た矢が、刃の主である兵士たちの生命を貫いて行く。

「助かりますわ、ネイス博士」
「いえ、こちらこそ。私自身、戦闘には慣れてませんから」

 次の矢を番えながら口を開いたナタリアに、サフィールは音機関で音素の刃を構築しながら答える。それでも彼のさりげない一閃は、確実に敵の心臓を捉えていた。次の瞬間再び展開された譜術障壁は、ラルゴの大鎌をギリギリの所で受け止めている。

「そうだな。貴様は音機関を弄っているか、空の上で喚いているくらいしかしない怠け者だったからな」
「私は基本的に頭脳労働なんです。肉体労働には貴方がいましたからね」

 余裕を持って笑うラルゴに対し、サフィールの額には汗がにじみ出ている。大鎌の重量と圧力に、細身の学者では耐えきれないのだろう。無論それは元の同僚であったラルゴも、サフィール自身も分かっている。
 そして、サフィールと旅路を共にして来た子どもたちも。

「ネイス博士から離れなさい、ラルゴ!」
「下がってください、ネイス博士!」

 ナタリアが矢を、ティアがナイフを同時にラルゴの顔面目がけて放った。咄嗟にラルゴが腕で払いのけた次の瞬間、サフィールは横っ飛びでその場を逃れる。

「……っ」

 刃を向けられたことでほんの刹那視界を失った黒獅子を挟み込むように、2人の焔が駆け寄る。再び目を開いた彼の間合いの中にまで、彼らは既に迫っていた。

「たああっ!」
「はあっ!」
「こざかしい……くっ!」

 先にルークが、少しタイミングをずらしてアッシュが斬りかかる。そのことごとくを大鎌を振るってしのいだラルゴの肩口から、ばしゅっと血が噴き出した。

「ひゅっ」

 ふわりと身を翻して着地したのは、兵士たちを一掃したガイだった。どちらかと言えばパワーで押すタイプの焔たちと違い、彼は速度を生かして戦う。今も、2人の焔の攻撃を受け流したラルゴに僅かな隙が出来たところを見計らって、一撃を与えたのだ。

「……くうっ……ま、まだだぞ、小僧共」

 だが、せいぜい肩への一撃ではラルゴにはさほどのダメージとなり得ないだろう。彼は傷口を押さえることすらせずに、にいと唇の端を歪めて見せる。子どもたちは彼と距離を取り、各々の武器を構え直した。
 敵の数が少なく、なおかつ将たるラルゴと子どもたちの間にある程度の距離がある。
 このタイミングを、銀髪の学者は待っていた。

「場所はこの辺のはずですし……頃合い、ですね」

 薄く笑みを浮かべ、サフィールは口の中でぼそりと呟いた。そのまま雪の積もった大地を蹴り、ラルゴの目の前へと着地する。仲間たちだけで無くラルゴも、彼の動きに一瞬虚を突かれた。

「な、ディスト!?」
「ラルゴ。悪いですけど、ここは引いてください。邪魔ですから」
「なに……?」

 ぱきり、と指を鳴らしながらサフィールが笑う。その腕に、音機関は存在していない。ただ、譜術士であればその手にまとわりつく音素を感じ取ることは出来るだろう。

「大地の咆哮、其は怒れる地竜の爪牙」

 地に手をつき、詠唱する。途端、サフィールの掌の下から雪を蹴破るように大地が盛り上がり、一直線にラルゴを襲った。

「がっ!?」

 さすがのラルゴも、譜業使いであるサフィールが譜術を使えるとは思っていなかったのだろう。不意を突かれ、グランドダッシャーの直撃を受ける。
 さらに、譜術の衝撃を受けたのはラルゴだけでは無い。

「え、な、なにっ?」

 地の底から響くような音が、雪原を支配する。アニスは一瞬周囲を見渡した後、すぐにトクナガでイオンをしっかりと抱きしめた。自身も全力で、その後頭部にしがみつく。

「まさか、雪崩ですか!?」
「皆、集まりなさい!」

 狼狽える子どもたちを、サフィールは怒鳴りつけた。その迫力に圧倒されたのか、子どもたちは彼の回りに集まってくる。1人、頭を振りながら起き上がろうとするラルゴを残して。

「ぐ……ディスト……貴様、わざと……っ!?」
「ほら、私ここ地元ですし。それにこの方が、実は助かるんですよねえ」

 音機関を腕にはめ直しながらラルゴを見つめ、銀の髪の彼はにいと微笑んだ。もっとも、自分の声が相手に届くとは互いに思っていないだろう。白い奔流が発する騒々しい響きが、周囲の音を全て飲み込んでしまっているのだから。

「譜術障壁、全力展開」

 落とされた一言と共に光のフィールドに包まれるルークたち、そしてやっとの事で立ち上がったラルゴ。彼らを、激しく流れる雪が無情に覆い隠していった。


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