紅瞳の秘預言 76 分岐

「……って、絶対死んだと思ったぞてめー!」

 崖の下に張り出した足場。『前回』ジェイドが訪れたこの場所を、サフィールは彼から聞いている。そうして、高い確率で雪崩が起きるであろうことも。
 故にサフィールは、障害物であるラルゴを排除しなおかつ子どもたちをセフィロトに確実に導くために、自身の知恵を存分に発揮した。戦闘の場がセフィロトの真上になる可能性は、ロニール雪山の地形から考えてかなり高い。自分たちだけをセフィロトに通じる足場に残すには、防御用の譜術障壁を利用して雪崩の力を上手く流せば良いのだ。
 そうしてその結果、サフィールの計算通りに子どもたちは無事扉の前に辿り着いていた。もっとも雪から完全に逃れることは出来ず、真っ白になったルークが目の前でぎゃあぎゃあと叫んでいるのだけれど。

「生きているから良いじゃありませんか。それにほら、セフィロトの扉も見つかりましたし」
「偶然……にしては手際が良いな。てめえ、ここだと知っていたのか?」
「ラルゴにも言いましたけど、ここは私の地元ですし。昔はこっそり歩き回ってましたから、ある程度地形は知ってますよ」

 『弟』を掘り起こしながら自分を睨むアッシュに、サフィールは平然と肩をすくめて見せた。それから、恐る恐る崖の下を覗き込んでいる少女たちに視線を向ける。

「何見てるんです? 落ちないでくださいよ」
「……あの、ラルゴ、は……」
「ああ。どうでしょうねえ」

 ナタリアの顔色が悪いことは、サフィールから見てもはっきりと分かった。まあ、それはそうだろう。
 どこでどうやって情報を得たのかは分からないが、ナタリアは自分がラルゴの娘であることを知っているらしい。血を分けた実の父親と戦い、その父は雪崩に巻き込まれ谷底へと消えて行った。
 ジェイドの『記憶』ではこのときラルゴは生き延びており、後に再び姿を見せることとなった。だが、それは同行していたアリエッタの魔物たちに因るところが大きいだろうとサフィールは考えている。既にアリエッタがこちら側に着いている『この世界』で彼が生き延びられるかどうかは、分からない。

「案外、ほとぼりが冷めた頃にひょっこり復活するかも知れませんけどね。頑丈さには定評がありますから」

 故にサフィールは、楽観的な……否、こちら側からすれば悲観的な推測を述べるに留めた。これでナタリアを安心させるには至らないだろうが、その役割は自分では無くアッシュが担うべきものだろう。

「まあ、ラルゴが生きているにせよ死んだにせよ、とりあえず邪魔をすることは無くなったわけだな」

 突き放したような口調で、ガイが頷く。トクナガの腕から降りたイオンが、足元に気を使いながらゆっくりと歩み寄って来た。

「セフィロトに急ぎます。ここで最後ですからね」

 意図的に感情を伴わない口調で、少年が呟く。ナタリアの気持ちを考えるのは、セフィロトの操作を終えた後の方が良い。

 そう言えば、前回の『夢』の話を聞いていませんでしたね。
 ナタリアの情報源はそこ、ですか。

 思考を脳の奥底に閉じ込めて、イオンは扉に手を当てる。長きに渡り寒い気候に晒されてきた扉のひんやりとした感触が、皮膚を通して伝わってきた。


 最奥部にあるパッセージリングまでは、いつものように何の妨害も無く辿り着くことが出来た。考えてみればラルゴたち以外、雪山で戦闘した記憶もほとんど無い。

「例によって、ローレライがこの辺の魔物と話でもつけといてくれたのかねえ」
「さあな。まあ、こちらとしても楽で助かったんだが」

 首を捻りながらガイは、アッシュと小声で会話を交わしている。その彼らの前で、いつもと同じようにフィールド発生装置を腕に付けたティアがユリア式封咒を解除した。ルークは一度すうと息を吸い、両手を掲げる。

 ジェイド。
 待っててくれよ。
 頑張って、世界守るから。

「起動している全てのセフィロトと、アブソーブ・ラジエイトの両ゲートを繋いでください」
「了解」

 サフィールの指示に従い、朱赤の焔は超振動を発生させた。ゆっくりと慎重に、セフィロトを繋ぐ道を刻み込んで行く。
 そうして、動作していないホドを除く9つのセフィロト全てが、道で繋がれた。


「シルヴィアは、身体が弱かった」

 つい先ほど聞いたばかりの、低く落ち着いた声。はっと顔を上げたイオンの目の前で、大柄な男は目の前に広がる海を眺めていた。

 ここは……バチカルの港?

 イオンは、自分が『夢』の世界にいることを瞬時に把握した。そして、眼を細める。
 前回『夢』を見たらしいナタリアは、その中で自身がラルゴの娘であるらしいことを知った。ならばこの状況はそれより前の話で……どうやら『今』目の前にいる彼は、その話をしているようだ。
 シルヴィアと言う名であるらしい彼の妻は生まれたばかりの赤子を奪われ、バチカルの海に身を投じた。ラルゴはそこまでを言葉にして紡ぐと、はあと1つ息を吐いた。

「だが預言士が、2人の間に必ず子供が生まれる……いや、産まねばならぬと言ってな」

 それは、身体の弱かった妻を持った彼には辛いことだったろう。だが……だからこそ、やっと生まれた一人娘がどれほど愛しかったことか。
 ラルゴは娘を得て、幸せの絶頂にあったはずだ。その幸福を破壊したのは、預言に記された王女のすり替え。
 やっとのことで得た娘を奪われ、妻が死に、それらが預言に起因するものだったと知ったラルゴ。彼はきっと嘆き、怒り、絶望し……そして、ヴァンに従うことを決めた。

「星は消滅するまでのあらゆる記憶を内包していて、全ての命は定められた記憶通りに動いている。預言はその一端を、人の言葉に訳しているだけなのだと」

 なおもラルゴが紡ぐ言葉は、第七音素とその意識集合体であるローレライへの呪詛にも聞こえる。と同時にそれは、全ての責任を預言と第七音素に押し付けているだけにも聞こえる。
 預言は絶対のものだから、預言に詠まれていない存在であるレプリカに世界を明け渡す。
 オリジナルの人類は、預言と共に滅びよ。
 ヴァンの企むレプリカ計画とは、つまりそう言うことなのだ。

 だったらどうして、僕の預言とユリアの預言は違うんですか。
 ラルゴの言うように定められた記憶が内包されているのであれば、こんなことはあり得ない。

 星が滅びると、ユリア・ジュエは詠んだ。
 星の代わりにルークが死し、彼を救おうとしてジェイドも死ぬとイオンは詠んだ。

 けれど子どもたちが今辿っている道は、そのどちらの未来も選ばない道だ。
 アッシュとルークは既に和解し、サフィールもアリエッタもこちらについてくれている。

 僕たちは、既に知っています。
 預言は定められたものなんかじゃ無い、僕たちが努力すれば変えられるものなのだと。

 ジェイドがそう、教えてくれたから。

 『夢』の中のラルゴには届かないと分かっていながらも、イオンはそう告げずにはいられなかった。


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