紅瞳の秘預言 76 分岐

「イオン様、イオン様!」
「……え?」

 肩を揺さぶられて、イオンははっと意識を引き戻した。目の前にはアニスとアリエッタが、心配そうに眉をひそめながら自分の顔を覗き込んでいる。

「大丈夫ですかぁ?」
「イオン様、ずっとぼーっとしてた。大丈夫、ですか」

 この2人は第七音譜術士では無いから、あの『夢』を見てはいないだろう。故に意識を飛ばしていたイオンを、雪山の強行軍故に体調を崩しているとでも解釈したらしい。

「え、ええ……大丈夫です」

 小さく頷いてから、イオンはやっと自分の足元が激しく揺れていることに気がついた。周囲を見渡すと、操作盤を覗き込んでいるサフィールの後ろ姿が目に入った。
 その姿を遮るように、朱赤の焔がひょっこりと顔を見せた。碧の目が不安げに揺れているのは、守り役の少女たちと同じ不安からだろうか。

「イオン、大丈夫か?」
「はい。……あの、この揺れは一体?」

 微笑んでみせるとルークは、ほっと一息ついてから頬を緩める。それから、銀髪の学者を振り返った。怒鳴りつけるように「ディスト! 原因分かったか?」と声を張り上げる。

「あー、主席総長ですね。アブソーブゲートのセフィロトから、記憶粒子が逆流してるみたいです」

 対するサフィールの台詞は、いつものように平坦なものだった。彼にしてみれば、事前にジェイドから聞いている『緊急事態』。それなりに覚悟は出来ているのだから当然だろう。
 だが、彼以外の子どもたちはそうでは無い。ティアは露骨に表情を変え、ナタリアもただでさえ悪い顔色を更に白くする。

「逆流ですって!?」
「ええ。動作している全てのセフィロトが連結した訳ですし、その力を利用して地核を活性化させているようですね」

 子どもたちを急かし、地上への道を戻り始めるサフィール。彼を追いかけながらガイが、噛みつくように問うた。

「それじゃあ、ツフト諸島は崩落しちまうんじゃないか? 記憶粒子が逆流しているって言うんなら、アブソーブゲートのセフィロトツリーだって逆転するだろう。機能しなくなるかもしれない」
「ツフト諸島にアブソーブゲートがあるんだから、そこのツリーで支えてるはずだもんね」

 難しい顔でアニスも頷いた。だがサフィールは、「いえいえ」と首を振った。その間も揺れは大きくなったり小さくなったりしながら、断続的に続いている。

「全セフィロトの力が、通常通りにアブソーブゲートに流れ込んでいます。溢れた分を利用して、セフィロトを逆流させてるんでしょうね。アブソーブゲートのセフィロトツリー自体は、本来の機能を維持しているでしょうよ」

 『前回』ジェイドが紡いだ推測を、『今回』はサフィールが口にした。それを知る者は、この場にはサフィール以外にいないけれど。

「……それって、要するにアブソーブゲート以外の外殻が崩落する……と言うことですの?」
「じょ、冗談じゃねえ!」

 ナタリアが最悪の、だが正解であろう推測を口にする。ルークが怒りに震え、拳を握る。

「あ、あれ? 地核振動はタルタロスが中和してくれてるんだよねえ。活性化なんてしちゃったら……」
「タルタロスが壊れて、中和されていた分の振動が……」
「みゅう! タルタロスさんが大変ですのー!」

 アニスの言葉をティアが拾い、チーグルの子どもはおろおろと周囲を見回す。それでも彼らは、無事に地上へとたどり着くことが出来た。
 だって、止まっていては何も解決しないのだから。

 雪山を早足で進む一行の中にあって、アッシュがサフィールと肩を並べた。前方を見つめたまま、真紅の焔が言葉を口にする。

「……ディスト」
「はい?」
「ヴァンは、アブソーブゲートだな?」

 短い問い。その意図するところには気づかないまま、サフィールは小さく頷いた。

「でしょうね。自身が外殻崩落に巻き込まれては、大地の複製が出来ませんから。あの人、やるべきことをやり尽くしてから自殺しそうですし。ですが、何故そんなことを聞くんです?」
「確認だ」

 サフィールの反問に、アッシュの答えはやはり短い言葉で返される。だからこのとき、銀髪の彼は真紅の焔が考えていることを把握することは出来なかった。

 ヴァンの奴は、ルークを馬鹿にしやがった。
 ふざけんな。
 ルークは、俺の弟は、立派な1人の人間だ。

 刃を交えれば、あいつだって少しは理解するだろうか。


PREV BACK NEXT