紅瞳の秘預言 77 双門

 やっとの事でロニール雪山を離れ、ケテルブルクの街へと戻ったルークたち。彼らを出迎えたのは、アルビオールの整備をしているはずのノエルだった。

「ルークさん、皆さん!」
「お久しぶりです!」

 彼女の横には、何故かギンジの姿があった。キムラスカとマルクトの和平が成ってから、彼は1号機を駆り手紙や荷物、人員などを運搬するために各地を巡っているはずだ。遠くない未来にやって来る外殻大地の降下とプラネットストームの停止に向け、情報を共有し国内情勢を落ち着かせるために必要な任務である。

「ノエル……ギンジ!?」

 それを多少なりとも皆知っていたのか、それとも単純に突然顔を見せたからなのか、驚きを隠さない。ルークは目を丸くしながら、2人の兄妹へと歩み寄る。

「何で、お前いるんだ?」
「あー、実はダアトからお届け物を頼まれまして。こちらにルークさんたちがいるはずだから、って」

 背後を気にしながらルークに答えるギンジの様子を、ティアが訝しげに見眇める。「お届け物?」と首を傾げながら問うと、ギンジは小さく頷いた。

「はい。この子です」
「え?」

 この子。
 その言葉に目を見張った一行の前で、ギンジは肩越しに背後を振り返った。そうして腕を伸ばし、自分の後ろにいた『この子』の背中を軽く押してやる。人見知りをしている様子では無く、ただ単純に紹介されるまでは隠れていたかったのだろう……その子どもはとことこと、軽い足取りで皆の前に歩み出た。

「ほら、出ておいで」
「えへへ、こんばんは」

 イオンと良く似た容貌のその少年は、無邪気な笑みを浮かべてぺこりと頭を下げた。ダアトで手に入れたのか、粗末ではあるがきちんとした冬服を身に纏っている。

 実は、モースの所に貴方やイオン様のご兄弟がもう1人いるはずなんです。

 地核から脱出した後、ジェイドが口にした言葉を皆が思い出す。彼と、そしてサフィールはイオンの『兄』であるシンクに、もう1人の『兄弟』の救出を依頼した。
 まさかとは思っていたが、今目の前にその『もう1人』がいると言うのは事実だ。

「こ、こんばんは」
「こんばんはー。うわ、大佐とディストの言ってたのって、この子?」
「そうですよ、アニス。シンクってば、約束守ってくれたみたいですねえ」

 目を瞬かせるティアの横で、顎をさすりながらサフィールはふむと頷いた。世界を滅ぼさんがためにヴァンに従っていたあの少年が、ジェイドと自分の願いを素直に聞き入れてくれるとは思っていなかったのだ。少なくとも、サフィール本人は。
 それでも事実を目にした以上、ジェイドがフローリアンと呼んだこの子を迎え入れるのは自分の役割だ、と考えてサフィールは一歩踏み出した。胸元に手を当てて、名を名乗る。

「私はサフィールと言います。貴方のお名前は何ですか?」
「僕、フローリアン。よろしく」

 ジェイドが知る同じ名を口にして、少年はにこにこと笑った。雪の街にあってその笑顔はとても温かく、彼を見守る皆の表情があっという間に解けて行くのが分かる。

「みゅう! フローリアンさんですの? ボクはミュウですの、よろしくですの!」
「わは、可愛い。よろしくー」

 ルークの胸元から顔を出したミュウに、フローリアンは一瞬驚いたもののすぐに手を伸ばしてその頭を撫でてやった。年齢の近いアニスと握手を交わし、そうして彼の視線はアリエッタと並んで立っているイオンに向けられる。そこで、フローリアンの表情が更に晴れた。

「あ! 君、イオンでしょう!」
「あ、え、ええ」

 すぐ目の前までやって来た、自分と同じ顔をしたもう1人の兄弟。一瞬だけ戸惑ったけれど、イオンはふわりと穏やかな笑みを浮かべた。無邪気に笑うフローリアンよりも少しだけ年長に見えるそれは、彼らの個性。

「よろしく、フローリアン」
「うん、よろしく!」

 互いに両手で相手の手を包み込むような握手を交わし、同じ顔をした兄弟は楽しそうに肩を並べた。

 アリエッタやルークとも言葉を交わすフローリアンを見つめながら、ふとナタリアはギンジに視線を向けた。彼女の動きに気づいたのか、アッシュがちらりと碧の目を向ける。

「けれど、どうしてケテルブルクなのでしょうか? イオン様のご兄弟と言うことであれば、ダアトでそのまま預かっていただいても良いのでは……」

 フローリアンを連れて来た当人であるギンジに、ナタリアが問う。その疑問に、ギンジは苦笑を浮かべつつ肩をすくめた。

「おいらもそう言ったんですが、シンクさんがディストさんたちに預けた方が安全だからって言ってました」
「ダアトじゃあまだ、モースが幅利かせてるだろうからな」

 返答に納得したかのように、アッシュが頷いた。僅かに小首を傾げたナタリアに視線を向け、言葉を続ける。

「死霊使いやディストが言っていたろう? 元々あいつは、モースが隠して育てていたと。ダアトに置いてくると言うことは、要するにモースの手に返すと言うことだ」
「……そうでしたわね。私どもがダアトに行った時、モースは平然と教会の中を歩いていましたもの」

 ジェイドが攫われる直前の記憶を掘り起こし、ナタリアはうんざりとした表情を浮かべる。ガイは短い髪を指先で掻いて雪を落としながら、ウインクして見せた。

「ま、シンクならここの知事さんがジェイドの旦那の妹さんだってことくらい知ってるだろうさ。なら、そこに預けた方が危なくないって考えたんだろ」
「だよねえ。ネフリーさん、ディストとも幼馴染みだからお話しすれば分かってくれそうだしー」
「ネフリー、優しいひとだから、大丈夫」

 アニスはフローリアンと、アリエッタはイオンと肩を並べながら、うんうんと楽しげに頷いた。以前にこの街を訪れた時に出会った彼女の印象を、今でもはっきり覚えているらしい。

 会話がひとまずの区切りを迎えたところで、ルークはノエルに向き直った。

「それで、ノエルはどうしたんだ? ギンジの付き添いってわけじゃねえんだろ?」
「あ、そうでした。ちょっとお話があって」

 ぽんと手を打って、ノエルは皆に向き直る。その続きの台詞に、全員が一瞬青ざめた。

「1号機は良いんですが、2号機の浮力機関が凍結してしまってて。しばらく飛べない状態なんです」
「ありゃ。そうか、寒冷地対策してないんですねえ。シェリダン、気候温暖ですし」

 その中にあってサフィールだけは、しまったと言う表情で銀の髪を掻いた。ケテルブルクの気候を実際に知ることの無いキムラスカの技術者たちが、そういった気候への対策を念頭に置くことが無いだろうと言う意識は雪国生まれの彼の中には存在しなかったのだ。

「ネフリーさんと兄さんに協力してもらって修復中なんですけど、多分明日の朝までは無理だと思います」

 ノエルの報告を受け、サフィールは少しだけ思考を巡らせる。しばらくして彼が問いを投げかけたのは、彼女では無くギンジの方だった。

「ギンジ。1号機は飛べますか?」
「あ、はい。2号機の凍結を聞いて、一応対策は取りました。念のため数時間ごとに起動させて、凍結を防いでいます」
「結構」

 ギンジの答えに鷹揚に頷いて、銀髪の譜業使いはうっすらと笑みを浮かべた。そうして、手際良く指示をする。

「では、こちらから指示があるまで2号機の復旧作業をお願いします。1号機はもしかしたら先に飛んで貰うかも知れませんから、貴方は適宜休んでくださいね」
「了解です。では」
「こちら、失礼します」

 2人の兄妹はぴしりと敬礼をすると、すぐさま身を翻した。走り去って行くその背中を見送りながら、サフィールは子どもたちの背中を押す。

「ほら、ネフリーの所に行きますよ。フローリアンもそうですが、イオン様もこちらで休まれた方がよろしいでしょうからね」
「あ、そうですね。フローリアン、一緒に行きましょう」
「うん! 一緒に行こう、イオン」

 緑の髪を持つ2人の子どもたちは互いに顔を見合わせ、楽しそうな笑顔になるとその手を繋いだ。他の子どもたちは彼らを取り囲むように、足を動かす。
 その姿を最後尾から見つめて、サフィールは軽く頭を振った。彼はイオンを、ゲートにまで付き合わせるつもりは無い。
 残るセフィロトであるアブソーブ・ラジエイトの両ゲートは既にダアト式封咒を解かれた状態であり、故にイオンが一行に同行する理由は無い。そうで無くともかなりの強行軍故にイオンが疲れ切っていることは分かっているから、サフィールはイオンをこの街に置いて行くつもりだった。『前の世界』でも導師は、外殻降下をこの雪の街で迎えたのだから。


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