紅瞳の秘預言 77 双門

「なら、決まりだな」

 ゆったりと頷いて、手元にある水を飲み干す。それから一同の顔を見渡した後、アッシュはルークに視線を戻した。

「お前はなるべく大勢連れて、アブソーブゲートに行け。ヴァンと決着を付けて来い」
「え……じゃあ、アッシュは?」
「ディストが言ったろう。俺はお前と別のゲートに行って、お前の作業をサポートするんだ」

 こん、とルークの額を軽く拳で叩いて、アッシュは椅子から離れた。自分の剣を手に取り、腰にはく。長い真紅の髪を掻き上げてから彼は、仲間たちを振り返った。視線は、この中ではまとめ役とも言えるサフィールに注がれている。

「俺はラジエイトゲートに向かう。ここからだと距離があるから、すぐにでも出たいんだが」
「なら、ギンジの1号機を使ってくださいな」

 そう言われることを予想していたのだろうか、平然とサフィールは頷いた。そうして仲間を見回し、「他に行かれる方はいますか?」と問う。『前の世界』ではアッシュは1人でラジエイトゲートを訪れたと言うことだったが、今回はまだリグレットが残っている。彼女と戦うであろうことを考えれば、単独行動をさせるべきでは無い。

 ルークも、そしてアッシュも生き延びて未来を掴めなければ、ジェイドが悲しむから。

 がたり、と音がして椅子が動いた。立ち上がったのは、アッシュと共に道を歩むことを望んでいる金の髪の王女。

「私はアッシュに着いて行きますわ。敵勢が兵を潜めている可能性もあるのですから、弓と治癒譜術は必要でしょう?」
「俺も着いて行くよ。剣士は2人いても問題無いだろう」

 ナタリアに続き、ガイもゆったりと腰を上げる。そしてアニスも、椅子からぴょんと飛び降りた。

「あ、アニスちゃんも行きたいでーす。大佐ほどじゃないけど、あたしだって譜術それなりに使えるもんね」

 背中のトクナガを揺らしながらアッシュににんまりと笑って見せた黒髪の少女に、アッシュは一瞬だけ目を丸くした。それから、ほんの僅か口元を緩める。ヴァンの思想から解放されて以降、時折彼が見せるようになった穏やかな表情だ。

「……分かった。済まない」
「じゃ、残った我々は皆でアブソーブゲートに行って来ます。ラジエイトゲートはお願いしましたよ」
「ああ」

 サフィールの軽い言葉に、真紅の焔は短く答える。銀髪の彼は彼なりに、考えるところがあるのだろう。そう考えて身を翻しかけたアッシュの背に、ルークの声がぶつかってきた。

「あ、アッシュ!」

 呼び止めたものの、ルークはそこで口ごもってしまった。言いたいことはあるのだが、どう言葉にして良いのか分からないのだろう。それに気づかないふりをしてアッシュは振り返ると、自分から声を掛けた。

「外殻降下が無事済んだら、一度グランコクマで落ち合おう。良いな」

 だから、やって見せろ。

「わ、分かった! 俺、ちゃんと終わらせて来るから!」

 どうやら、『兄』の言外の思いを『弟』はちゃんと拾い上げられたらしい。それだけを確認すると、アッシュは再び身を翻した。ナタリア、ガイ、そしてアニスの足音を背後に聞きながら、腰に履いた剣の重みを確かめる。

 ラジエイトゲートには、ジェイド・カーティスがいる可能性が高い。
 もしいなければ、それはヴァンにとって奴の使い道がまだあると言うことだ。

 声にならないアッシュの呟きは、アッシュ自身と彼は知らないもののサフィールの推測に共通するものである。
 アブソーブゲート周辺以外の外殻大地を崩落させる、それを前提にヴァンは兵士を派遣しているとアッシュは読んでいた。つまり、ラジエイトゲートに派遣される兵力は外殻崩落が成功するにせよ失敗するにせよ、壊滅することが確実であろう。
 ならば、用済みとなったジェイドをラジエイトゲートに配置することで自分たち諸共崩落させ始末するつもりなのだ、と考えることは難しくない。以前アクゼリュスで、ヴァンは同様にしてルークを始末するはずだったのだから。

 恐らく、ジェイドは酷い状態だろう。
 サフィールに解放される前の自分のように、ヴァンに取り込まれてしまっているかも知れない。
 そうで無くとも、正気を失っている可能性は高い。
 自分たちの知っている彼に戻れるかどうか、分からない。

 それでも、と真紅の焔は胸の中だけで呟いた。

 済みません、つい。

 魔界の海を走るタルタロスの上で、ルークと自分を当たり前のように両腕に抱きしめたジェイドのことを、アッシュは思い出す。あの笑顔は心の底からのもので、今考えれば被験者と複製体である2人の焔が仲良く並び立ってくれたことへの感謝の笑みだったのかも知れない。

 ──!

 『夢』の世界。名を呼んだ自分の目の前で、光に解けて消えたジェイドの姿を思い出す。あれもまたきっと、心の底からの笑みを浮かべてはいたけれど……その歓喜の中に、きっとジェイド自身は存在していない。そうで無ければ、自分が消える瞬間まであんな表情は浮かべていられないだろう。
 あの『夢』は、そこから『夢の世界』の時間が遡っていると言うことを考え合わせると全てが終わった後の出来事であろう。自分やルーク、そして第七音譜術士の仲間たちはあの『夢』を共有することでその結果を迎えないよう、力を合わせて来た。
 だが、ジェイドを奪われた今のままでは『夢』よりも悪い結果を迎えることになりかねない。
 そうならないためにはルークに外殻大地とヴァンを任せ、自分がジェイドを救うために動くのが最善の手段だとアッシュは考えていた。ヴァンとの決着は長く彼の手の内にあった己では無く、ルークに付けさせるべきだとも。
 これまでずっと旅路を共にして来た仲間たちならば、必ずやヴァンを倒し外殻大地を無事に降下させてくれる。自身はその裏で、自分たちをずっと導いてくれていた紅瞳の譜術士をヴァンの手から救い出す。もし彼が酷く傷ついているのならば……皆で癒そう。
 彼がいなければ自分はこうやって、『弟』たるルークと同じ道を歩むことなど出来なかったのだから。

「ジェイドは必ず助ける。だから、世界は任せたぞ……ルーク」

 拳を握りしめ、真紅の焔は決意の表情で呟いた。ほとんど呼んだことの無いジェイドの名を口にしたことに、彼は気づいていない。


PREV BACK NEXT