紅瞳の秘預言 78 突入

 ぶんとサフィールが腕を振ると、音素の刃で喉を切り裂かれて兵士が崩れ落ちた。音機関の動作を止め、刃を消したところで彼は銀髪を揺らしながら仲間たちを振り返る。

「これでおしまいですか?」
「ええ。恐らくは」
「この辺にはもういないって」

 サフィールの問いに、ティアとアリエッタが頷きながら答える。桜色の髪の少女には、小柄の若いライガが付き添っていた。親離れしてすぐ逸る冒険心から北の大地に渡って来た、アリエッタの『弟』に当たる個体らしい。
 彼らの周囲には、10名ほどの白い鎧が倒れ臥していた。恐らくはヴァンについて神託の盾を出奔した兵士たちなのだろう。きっと、アブソーブゲートで『理想の世界』を生み出すための準備を整えんとしているヴァンを守るために、必死で戦ったのだ。無論それは、こちらも同様なのだけれど。
 くるる、と喉を鳴らしたライガが、剣を鞘に収めたルークに額を軽く擦りつけた。アリエッタの影響かどうかは分からないが、彼女の『兄弟』は基本的にルークとその仲間たちに対してはさほど攻撃的な態度を見せることは無い。特にルークに対しては、アリエッタに見せるのと同じように親愛を示すことも多い。
 そうしてこの『弟』もまた、朱赤の焔を気遣うようにその顔を見上げた。不安げな表情を浮かべていたルークは、その視線に気づくのに少しだけ時間を要した。

「あ、ああ……大丈夫だよ。ありがとな」

 ルークの方も魔物の気遣いを理解出来ているようで、少しだけ微笑むとその頭をゆっくり撫でた。今終わったばかりの戦闘で、彼の剣は両手の指ほどの生命を奪ったばかり。それが、少年から明るさを奪ったのだろうとサフィールは考えている。
 ジェイドの知る『前回』のルークは、死するまで慣れることが無かったから。

「相変わらず、慣れないんですね」
「わ、悪かったな!」

 だから、特に感情も籠めずそう声を掛ける。少なくとも今のルークに対して自分が掛けられるのは、表面上の気遣いでは無い。自分にそんな器用なことが出来るわけでも無い、とサフィールは良く分かっている。

 私は、ジェイドが愛しているからと言う理由でしか、誰かを愛せませんから。
 ジェイド自身を除いては、ね。

 心の中だけで小さく溜息をついてサフィールは、自分の髪を掻き上げる。意図的に優しい視線を作って、子どもを見つめつつ言葉を続けた。

「良いんですよ。軍属でもなきゃ、小さい頃から慣れるもんじゃ無いんですから」
「小さいって……」

 言葉の意味を理解出来なかったか、ルークは不思議そうに首を傾げた。確かにサフィールや同行者たちの目の前に立っている朱赤の焔はそこそこ大きく成長しており、7年もの間ファブレ邸の敷地内に閉じ込められていたとは思えないほどしっかりとした筋肉のある肉体を持っているけれど。

「貴方は7歳ですからね、見かけはともかく小さい子どもですよ」

 頭を撫でようとして、サフィールはふとその手を止めた。しばらくじっと自分の掌を見つめ……気を取り直して朱赤の髪を軽く撫でてやる。『親』である自分が、我が子の頭を撫でてやるくらいは当然だろう。

 ジェイドが今いないのだから、その分まで己が親の責務を果たさなければ。
 この子は、まだ7歳で世界の命運をその背に負うことになった、幼子なのだ。

 サフィールはそう、心に銘じている。
「……しっかりして、ルーク」

 低く抑えられたティアの声が、少年を彼女の方へと振り返らせた。伏せがちにされているティアの表情を、ルークから伺うことは出来ない。

「慣れろとは言わないわ。でも、私たちがここに来た目的を忘れないで」
「わ、分かってるよ……っ」

 感情が凍ったような言葉に思わず叫びかけて、ルークははっと目を見張った。顔を上げたティアの、唇をぎゅっと噛みしめて瞳を潤ませている悲しげな表情を目の当たりにしたから。

「……えと、その、ごめん」

 そうして、朱赤の焔は思い出した。
 これから自分たちが戦う相手は、ティアにとってはたった1人の兄であると言うことを。
 自分にとっても……アクゼリュスやベルケンドで捨てられたのは事実だけれど、それまではずっと優しくしてくれた師匠だった。ほんの7年ほど、それも時々顔を合わせるだけの自分にとって大切な人だったヴァンが、生まれた時からずっと一緒に育って来たティアにはどれほど大切で分かちがたい相手なのか。
 感じることは出来ないけれど、想像は出来る。

「……ごめんなさい」

 ティアも、自分が目を潤ませていたことに気づいたのか慌てて顔を逸らした。そんな彼を見比べていたアリエッタが、人形を抱きしめながら2人の顔を伺う。

「ルーク、ティア、大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。心配かけてごめんな、アリエッタ」
「ごめんね、アリエッタ。もう大丈夫よ」

 慌てて笑って見せたルークとふわりと微笑んだティアに、桜色の髪の少女はほっとしたように眼を細めた。
 そんな子どもたちを少し離れて見守っていたサフィールだったが、場が落ち着いたところを見てぱんぱんと両手を打ち合わせた。ぎすぎすした雰囲気のまま敵の懐中に突入することも覚悟していたが、これなら大丈夫だろう。

「さて、アブソーブゲートに入りますよ。中にも神託の盾兵が待ち伏せているかも知れませんからね、気を緩めないように」
「分かりました」
「おう」
「はぁい。頑張ろうね」
「くるる」

 子どもたちは、サフィールの言葉に対し一斉に頷く。アリエッタの『弟』も、喉を鳴らすことで彼らに同意した。

「ああ、念のために言っておきますが」

 不意に、思い出したようにサフィールが声を上げた。足を踏み出しかけたルークが動きを止め、自分の背中を守ってくれている学者を振り返る。その視界の中でサフィールは、眼鏡の位置を修正してから言葉を続けた。

「主席総長は、一度や二度打ち負かしたくらいで計画を止めるような人ではありません。もう説得も無理でしょう。だから、覚悟はしておきなさい」
「……はい」
「う……」

 強い口調で吐かれた言葉にルークは顔をしかめ、ティアは手をギュッと握りしめる。きょとんと首を傾げているアリエッタの頭を軽く撫でながら、サフィールは唇の端だけを動かして笑みの形を作った。

「大丈夫ですよ。貴方がたは『打ち負かす』までをやっちゃってくだされば良いんです」

 だが、実際にサフィールは笑ってはいない。逆に怒っているように感じられて、子どもたちと魔物はほんの少しだけ身を引いた。若いライガまでもがそう動いたのだから、相当のものだろう。

「あれを殺すのは、私ですから」

 レンズの奥で、サフィールの目が肉食獣すらたじろがせるほどの剣呑な光を宿らせる。ザレッホ火山で彼が見せた、激しい怒りの感情を宿す光を。

 待っていなさい、ヴァン・グランツ。
 貴方の息の根は、私が止めて差し上げます。

 ジェイドが望む、明るい未来のために。


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