紅瞳の秘預言 78 突入

 サフィールはふと、ケテルブルクを発つときのことを思い出した。
 アルビオールの修復が終わったと言うことで、朝早くに一行は街を出ようとした。
 そこに、彼らを見送るため、と言ってネフリーが顔を見せた。先に街を離れたアッシュたちのことを見送れなかった、と少し残念そうにしていたネフリーは、ふと幼馴染みに視線を向ける。

「ねえ、サフィール」
「はい?」

 不思議そうに首を傾げたサフィールの顔を真っ直ぐ見つめ、笑顔で彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。

「お兄さんは、きっと大丈夫だから」
「……え」
「みゅっ?」

 サフィールだけで無くルークもティアも、そしてアリエッタやミュウまでもがネフリーに視線を集中させる。その中で彼女は、笑みを崩さないまま言葉を続けた。

「貴方は素直な人だもの。きっとお兄さんに何かあって、私を心配させたくなくって別任務だって言ったんでしょう?」
「……」

 銀の髪に透けて見える眉が、見て分かるほどはっきりと下がった。その表情は困り果てた、と言うよりはばれてしまった、と言う類のもので。
 サフィールが見せた露骨な表情の変化に、子どもたちは2人の大人を恐る恐る見比べた。それでもネフリーは平然と、サフィールの銀髪を軽く撫でる。幼馴染み同士だからこそ許された、ほんのちょっとした接触。

「私は大丈夫。今までだって、お兄さんはどんな危険に陥ってもちゃんとピオニー様の元に戻って来たもの。今度も必ず帰って来るわ」
「……はい」

 幼い頃よりもずっと素直に、サフィールは頷いた。その返答にほっと息をついてネフリーは、彼と共に発つ子どもたちを見渡す。

「皆さん、行ってらっしゃい。世界を、よろしくお願いしますね」

 どこまでも笑顔を絶やさずに、ネフリーはそう言ってルークたちを送り出した。飛び立った飛晃艇のシルエットを見送りながら彼女がそっと涙を拭ったことを、彼らは知らないでいる。


 ルークたちよりも早くケテルブルクを発ったアッシュたちは、アルビオールを下りた後ラジエイトゲートへと急いでいた。雪の街からはアブソーブゲートよりもかなり距離があり、先に出発したとしても到着時刻はルークたちとさほど変わらないだろう、とガイは推測している。
 ただ、ゲートの近くまでアッシュたちが神託の盾兵士の襲撃を受けることは無かった。これはルークたちとは異なる点だが、彼らにはそれは分からない。

「くぉーう!」

 間も無くラジエイトゲートに辿り着こうかと言う時になって、突然空から悲鳴のような鳴き声が降って来た。少し遅れて、大きな翼のはためく音が追いかけて来る。全員が顔を上げると、そこには鳥の魔物が飛んでいるのが見えた。

「ちっ!」

 2人の剣士は同時に剣の柄に手を掛ける。だが、魔物をじっと見ていたアニスが制止の声を上げた。

「アッシュ、ガイ、ストップ! あれ敵じゃない!」
「えっ?」

 ぴたりと動きを止めた2人の後ろで、ナタリアが眼を細めて魔物を見つめる。ややあって、ぽんと手を打った。アニスがその魔物を敵ではないと認識したその証拠を、彼女も発見したのだ。

「リボンがついていますわ。あれは、アリエッタのお友達ですわね」
「……む」

 唸るアッシュの目の前に、その魔物……アリエッタのグリフィンはふわりと舞い降りた。そのまま黒い詠師服の裾をくわえ、くいくいと引っ張る。

「な、なんだ?」
「くわう、くわあ!」

 アリエッタもミュウもいないこの一行では、魔物の言葉を理解することは出来ない。だが、少なくともこのグリフィンがアッシュに対し何かを願っていることだけははっきりしている。

「何だか、焦っているみたいですわね……」
「急いで行けって言ってるんじゃ無いか? こいつ、シンクが乗って行っただろ」

 ナタリアとガイの言葉に、アッシュは眉をひそめる。『友人』であるアリエッタが原因で無い以上、グリフィンが焦る理由はまず、直前まで乗っていた可能性のあるシンクだろう。
 ならば、シンクに何かあったのか。
 ほんの数瞬だけ思考を巡らせて、真紅の焔は顔を上げた。

「案内しろ」

 羽毛の揃った首筋を軽く叩いてやると、グリフィンはくおうと鳴いた。そうして、一目散に走り出す。その後を追って駆け出したアッシュたちだったが、すぐにその表情は険しいものになった。
 魔物が進んで行くそのルート沿いに、生命の無い物体と化した白い鎧が転がっていた。1人、また1人、たまに数人まとめて。

「神託の盾兵!」
「止まらないで、ナタリア!」
「え、ええ」

 アニスに叱咤されて速度を上げたナタリアだが、その顔には悲痛の色が浮かんでいる。こうやって無造作に転がる遺体をまじまじと見る機会が、彼女には少なすぎたからだろう。
 一方、死体の間を駆け抜けながらアッシュとガイは彼らの死因を推測する。

「剣じゃ無いな。切り傷っぽいのは譜術のようだけど、ほとんど使ってないし」
「それ以外はほとんど外傷が無い。首を折られたか急所を一撃」
「……やはり、シンクだよな。これは」
「ああ」

 『弟』であるルークと同じく、ヴァンの企みの中で生み出されたレプリカの1人であるシンク。ジェイドに手を引かれ、共に地核を脱出した後彼がどうしているのかアッシュは知る由も無かったが、少なくともラジエイトゲートに向かっていることだけは確実だろう。その邪魔をせんと刃向かって来たであろう神託の盾兵士が、こうやって物言わぬ骸と化しているのだから。

「そう言えば、格闘技使うんだったか」
「スピード勝負の奴だからな、相手の隙を突いて急所を狙うやり方も一致している」
「なるほど」

 元々同僚であったアッシュの意見を聞き、ガイは納得した表情で頷く。そうしている内にいつの間にか彼らは、ラジエイトゲートの入口前にまで辿り着いていた。

「かなり激しい戦闘があったようですわね……」

 これまで見た総数を軽く超える数の白い鎧たちが、地面に横たわっている。その惨状をじっと目に焼き付けながら、ナタリアが呟く。きりと噛みしめた奥歯が、ほんの僅か痛みを訴えた。
 攻撃の余波を受けたのか欠けた岩の前にしゃがみ込んで調べていたガイが、顔を上げる。ふうと溜息をつきつつ立ち上がり、周囲に視線を巡らせながら言葉を紡いだ。

「こいつは譜業銃の攻撃によるもんだ。リグレットが来てるのは間違い無いな」
「うは、やっぱり? でも、神託の盾は全部シンクなんだよね?」
「くおおん」

 肩をすくめたアニスの反問に、リボンを付けたグリフィンが一声鳴いた。きょとんと目を丸くした少女の横で、ガイは苦笑を浮かべるとその首筋を軽く撫でてやる。言葉こそ通じないまでも、この魔物が主張したいことは何となく分かったから。

「そうか、お前も戦ったんだな。良くやった」
「くあ」

 しばらく手入れされていないせいか少し乱れ気味の羽毛ではあったが、それでも手触りはなかなか良い。その乱れを手で直すように撫でると、グリフィンは嬉しそうに鳴き声を上げた。

「そう言えば、こちらの兵士は爪で斬り裂かれていますわね……」

 鎧の1つに見られる傷を認識して、ナタリアは目を背けながら呟いた。その背中を押しながらアニスは、呆れ声を上げる。

「はいはい、慣れないならまじまじと見ない」
「え、ええ……ごめんなさい」

 戦地視察の経験があるとは言え、ナタリアは悲惨な戦場の現実に直面したことはあまり無い。この旅を始めてからはそうでも無いが、それでも自分が手に掛けたものと誰かの手に掛かったものでは感覚が異なるのだろう。


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