紅瞳の秘預言 79 両極

 アブソーブゲート内部を降りていく内に、微かな音色が流れて来た。ライガがくるる、と喉を振るわせたのに気づいたアリエッタが、足を止め耳を澄ませる。そうして音を聞きとがめ、軽く目を見開いた。

「……何か、音がする」
「え?」
「……ええ、聞こえるわ。これは……オルガンかしら」

 きょとんとしたルークの横で、ティアが耳に手を当てて周囲を伺う。彼らの所にまで届いてくるのは、ティアの指摘通りオルガンの音色。とぎれとぎれではあるが、何らかの曲を演奏しているようにも思える。
 サフィールはしばらくじっと耳を澄ませていた後少しだけ思考を巡らせて、子どもたちを振り返った。

「多分、セフィロトを操作するための音機関でしょうね。ここはプラネットストームの終点ですし、吸い込む記憶粒子の量などを制御出来てもおかしくはありません」
「まあなー。けど、何でオルガンなんだ?」
「ティアの譜歌も、第七音素の力を引き出すことが出来ますよね。譜歌の力を使えない人用に、楽器型してるんじゃ無いですか?」

 自身の推測を子どもたちに伝えながら、銀髪の学者は自ら先頭に立ちなおもゲート内部を降りて行く。ほんの少しずつではあるがオルガンの音が大きくなっているから、恐らくこの先に楽器は存在しているのであろう。

「あー、楽器で譜歌を弾いてるってことか。でも、ディストのフォミクリー装置って楽器っぽく無かったよな」
「私、そこまで風流じゃ無いんで」

 ルークの指摘に、サフィールは肩をすくめる。自身は音楽を好んで聴くような趣味はほとんど無く、むしろ音機関の無機質な騒音に包まれている方が性に合っているのだから。ただ、ティアの奏でる譜歌を聞く機会が増えた現在では、そうでもないのだが。

「ラジエイトゲートにも、同じものがあるんでしょうか?」
「あってもおかしくは無いですね。今回我々は、セフィロトの制御に関してはルークの超振動に頼っていますが、本来は操作盤を弄るだけで出来るはずなんです。もっとも、やっぱり第七音素の素養が無ければ無理みたいですが」

 首を捻りながら問う音律士の少女に、つい言葉をずらずらと並べて答える。六神将時代は同僚たちにうんざりされたこの癖も、最近は大人しくなった方だ。
 以前と比較して短く終わったサフィールの説明をつまらなそうに聞いていたアリエッタは、ふと顔を上げた。第七音譜術士がごく少数しか存在していないことは、オールドラントではごく当然の常識である。

「でも、昔は第七音譜術士、そんなに多かったの?」
「割合としては大して変わらないでしょう。むしろ今の方が、生体レプリカと言う存在がある以上増えている可能性の方が高いです。ま、本当に僅か、ですが」

 ルークの朱赤の髪に一瞬だけ視線を向けてからサフィールは、呆れたように肩をすくめた。
 それも当然だろう。ジェイドがフォミクリーの原理を考案してからせいぜい20年そこそこ、サフィールによる譜業フォミクリーが確立したのはここ10年から15年程度だ。第七音素で構成された生体レプリカは、数えるほどしか存在していないはずである。
 ジェイドの『記憶』にあるようなレプリカ大量生産などでも無ければ、その割合は極度に変化しない。

「じゃあ、創世暦時代も第七音譜術士はそんなに多くなくて、でもその人たちにセフィロトの制御を任せなくちゃいけなかったのか」

 だが、サフィールの思考を読むことの出来ない朱赤の焔は、未来では無く過去に思いを馳せる。立ち止まったサフィールに追いつくように少し足を早め、全員がひとところにまとまった。床に描かれた譜陣は、全員をその上に足を止めたことを確認したかのように光り出す。

「ええ。ですから、そうでなくても扱えるようにゲートにはそれ用の音機関を設置した、と考えてもおかしくは無いですね」

 会話が途切れた一瞬、光がルークたちを包み込む。次の瞬間彼らは、広い空間に現れていた。オルガンは音量を増して朗々と響き続けており、この空間が発信源であることが分かる。パッセージリングは……無い。あの音機関は、もう少しだけ奥にあるのだろう。

「ま、もっとも今はルークの無理矢理制御が効きまくっていますから、あの音機関も単なる楽器としての役目しか無いんでしょうけれど」

 ゆっくりと歩を進める彼らの前に、白い背中が見えた。その前にある巨大な音機関……オルガンの鍵盤を優雅に奏でる男に、サフィールはうっすらと笑みを浮かべながら声を掛けた。

「ねぇ? ヴァン・グランツ」

 オルガンの演奏が終わりを迎える。ゆっくりと振り返ったヴァンは、その場に居並ぶ全員の顔を見渡して軽く息を吐いた。その表情には、失望の色が見える。

「……レプリカか」
「もう、名前呼ばれなくなってどんくらいになるかな。師匠」

 ルークは表情を固めたまま、ぼそりと呟いた。彼がルークを『ルーク』では無く『レプリカ』と呼ぶようになったのは、崩落寸前のアクゼリュスだったか。
 自身を弟として受け入れてくれたアッシュと違い、ヴァンは既にルークを用済みの不要品としか考えていない。それはルーク自身、良く分かっている。それでもこうやって彼の前に立っていられるのは、自分を支えてくれた兄や仲間たちがいてくれたからだ。
 そうして、ルークがルークと言う1人の人間であることをずっと教えてくれていた、青の軍人が。
 朱赤の焔を人として受け入れないのは、目の前にいるかつての剣の師だけ。

「私が望むのは、私と共に新たなる世界の秩序を紡ぐべきアッシュ……ルーク・オリジナルだ。複製の貴様ではものの役にも立たん」

 ヴァンの冷たい言葉が少年の心に突き刺さる。足を一歩踏み出したティアに一瞬だけ視線を巡らせて、それでもルークは胸を張り、口を開く。

「こちらに行け、と俺の背中を押してくれたのは、そのアッシュだよ。お前があんたと勝負を付けてこいって」
「でも、兄さんと決着をつけたいと申し出たのはルークだわ」
「ええ。アッシュは、ルークこそ貴方と勝負を付けるに相応しいと考えたのでしょうね。だからこそ、我々はここにいる」
「アッシュは、総長と一緒に世界を変えたいなんて、思ってない」

 ティアが、サフィールが、アリエッタが口々に発した言葉は、アッシュがヴァンの望む『世界の秩序』を拒絶したことを間接的にではあるが示している。それに気づかぬヴァンでは無く、一瞬だけつまらなそうに眼を閉じた。

「そうか……それは残念だ。あれにも預言の危険性は理解出来なかったか」

 だが、すぐにその唇には余裕のある笑みが浮かぶ。鋭い視線がその先に捉えたのは、銀の髪の譜業使い。

「ディスト。貴様もラジエイトゲートに行けば、愛しい親友に会えたであろうになあ」

 その言葉に、サフィールの眼が細められた。レンズを通してもなお余りある殺気を宿した視線をヴァンに叩き付け、唇を噛みしめる。

 思った通り、ジェイドはラジエイトゲートに送られていましたか。
 アッシュ、お願いしますね。

 心の中で呟くサフィールに構わず、ヴァンは言葉を続けた。薄い笑みで唇の端を歪め、まるで何も知らぬ相手に真実を突きつけるように。

「もっとも、あの男も可哀想にな。己自身の預言に惑わされ、そのあげくに滅びの片棒を担がされることになるのだから」
「……えっ?」

 全員の答えが、重なり合う。けれどその一言にそれぞれが重ねた意味は、少しずつ違っていた。


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