紅瞳の秘預言 79 両極

 巨大化した譜業人形が、緑の髪の少年を襲う白い鎧をその腕で張り飛ばす。床に倒れ込んだ1人を無造作に蹴り飛ばし、ナタリアが跪いたその傍に着地した。なおも鋭い爪をきらめかせ構えるトクナガに、神託の盾兵士たちは思わず後ずさりしてしまう。

「シンク、大丈夫!?」

 譜業人形の後頭部から叫ぶアニスの声に、シンクはやっと意識を引き戻した。腕の中で青の軍人が微かに呼吸していることをその目で確認して、詰めていた息をほうと吐き出す。

「……遅いよ、馬鹿っ」
「ごめんごめん。でも、もう大丈夫だからね」

 どこか泣きそうな声。気の強いシンクにしては珍しいな、とアニスは胸の内だけで呟いた。それから、久しぶりに会うことの出来たジェイドの白い頬をそっと撫でているナタリアに声を掛ける。

「ナタリア、大佐頼んだよ!」
「お任せなさい。私自身に賭けて、カーティス大佐は死なせませんわ」

 力強く頷いて見せ、服が汚れるのにも構わずナタリアはぐったりしたジェイドの身体を自らの膝の上に移した。それから、ジェイドをじっと見つめているシンクに視線を向けた。真剣な彼女の眼差しを感じ、シンクはおずおずと顔を上げる。

「私はこれより、カーティス大佐の治癒に専念します。シンク……私とカーティス大佐を、守ってくださいまし」
「……死なせないで」
「当然ですわ」

 願いに対する答えは、たった一言。それを受け取り、少女は少年にも頷く。

「ありがと」

 ナタリアの答えに、シンクは少しだけイオンにも似た幼い笑みを浮かべた。そうしてゆるりと立ち上がり、リグレットへと目を向ける。アッシュとガイによってあらかたの神託の盾兵は倒されていたが、それでも10名ほどが未だ戦闘態勢を取り、譜業銃を武器としているリグレットを守るために構えていた。
 ナタリアが治癒譜術の詠唱を始めたことを見て取り、リグレットは呆れたように首を振った。

「あくまでも、腐ったオリジナルを守ろうと言うのだな」
「全部が腐っている訳じゃ無いだろう。あんたらはほんの一部の人間を見て、そう判断しているだけだ」
「だねー。あたしたちだって世界から見れば、すこーしだけしか知らないのかも知れないけどさ」

 彼女の言葉に、ガイとアニスは溜息をつきながら言葉を返す。真紅の髪を背になびかせ、アッシュはぎろりと敵対者を睨み付けた。もう、彼らとは手を携えることも出来ないのだろうと言うことは分かっているから。

「だが、オリジナルを滅ぼさなくとも預言は変えられる。俺たちは、そのことを知っている」
「ジェイド・カーティスか」

 ナタリアの腕の中で僅かずつ傷を癒され始めた軍人に、一瞬だけリグレットの視線が注がれる。それは冷たく、人を見ると言うよりはがらくたを見るようなもので。

「そいつもまた、預言に縛られた可哀想な男だ」

 その彼女の口からは、ぽつりと感情の無い言葉がこぼれ落ちた。それを聞きとがめたのは、リグレットに意識を集中していたであろう真紅の焔。

「何?」

 眉をひそめるアッシュの表情に、リグレットは含み笑いを浮かべた。そうして、彼らが知らぬであろう事実を言葉にして紡ぎ上げる。

「ユリアの預言とは異なる、今ひとつの預言。どういった経緯からかは知らないが、その男はそれを持っている。世界を救ったものの最後には己が滅びると言う、自身にとっての終末預言をな」
「違う預言? 何言ってるんだ?」
「へ? 何変なこと言ってんの、リグレット」

 ガイとアニスは訝しげに眉をひそめただけだった。しかしアッシュとナタリア、そしてシンクには、その言葉は違う意味を持って届く。

 地核に突入したときに見た、幻。
 セフィロトで見た、『夢』。
 イオンが詠んだ、もうひとつの預言。

 青い高い空の下、幸せそうに笑いながら、音素に解けて消えるひと。


「愚かな男よ。いずれにせよ己は死すと言うのに、それでも世界を守ろうと足掻く」

 くくっと喉の奥で笑いながら、ヴァンはあくまでも冷酷な視線でルークを射抜く。『夢』を知る彼とティアはきりと奥歯を噛みしめ、ヴァンを睨み返していた。
 そして、ヴァンが口にした『預言』を知る1人は、一度目を閉じると小さく溜息をついた後首を振った。

 預言が何を言おうと、知ったことか。
 ユリアの預言を覆すために『前の世界』のジェイドは旅をした。
 自身の『記憶』を覆すために、ジェイドは今に『帰って』来た。
 故に。

「だったら、どうだって言うんです?」
「何?」

 サフィールの言葉から、温度が消える。ヴァンも、そして子どもたちもそれに気づいたのか、全員の視線がサフィールに集中した。

「ジェイドがどんな預言を知ってるかなんて、今この場にはまるで関係の無いことです。貴方は預言から逃げたくて世界を滅ぼそうとしている。私たちは預言に詠まれた未来を変え、なおかつ世界を守る」

 ザレッホ火山でジェイドを奪われた時のように冷たく、感情の無い言葉。その骨張った細い指は細かく動き、自身の戦闘準備を整える。

「貴方と私たちは未来を迎える方法が全く異なり、互いの思想は相容れない。故に、自分の思想を押し通すために相手を排除する」

 がしゃり、とサフィールの腕に装着された音機関が重い音を立てる。放出された音素が刃の形を取り、彼の牙となった。

「ジェイドのことはアッシュたちが何とかしてくれます。私はただ、貴方を殺しに来たんですよ。『死神』はそれが仕事でしょう?」

 ひゅん、と剣を振るように腕を振り下ろし、サフィールは構えた。つられるようにルークが、ティアが、アリエッタとライガが戦闘態勢に入る。ヴァンもまた、腰に携えていた剣をすらりと抜き放った。

「死神なれば、私の魂を狩って見せよ。その前に私が、貴様らの生命を刈り取ってくれる!!」

 一声吠えて、ヴァンは大きく剣を振る。発生した衝撃波を交わし、ルークたちは一斉に床を蹴った。


「おーあたたたたたぁ!」

 トクナガが、矢継ぎ早に爪を繰り出す。吹き飛ばされながらもどうにか持ち堪え、剣をかざして飛びかかって来る兵士は、ガイの素早い刀捌きが受け止めた。

「ふっ! 悪いね、こっちも負けるわけにはいかなくてな!」

 返す刀で相手の喉を切り裂き、胸元を蹴り飛ばしてリグレットの意識をそちらに逸らす。アッシュが上段から斬りかかったところを、リグレットはすんでの所で譜業銃を交差させてどうにか受け止めた。

「リグレット!」
「アッシュ! 閣下のご慈悲を踏みにじった、貴様だけは許さん!」
「何が慈悲だ! どうせ殺す癖に!」

 互いの思いを乗せた叫びは、もう相手の心を揺り動かすことは無い。ぎりぎりと剣を押し込んでいくアッシュの背中を狙い、神託の盾兵の1人が背後から駆け寄って来た。

「邪魔だよ」

 だが、その剣が構えられるより早く兵士の顎を、シンクの拳が捉えた。下からの一撃で足が浮いたところに、鋭い蹴りが入る。そのまま壁に叩き付けられた兵士は、床にずり落ちた格好のまま動かなくなった。

「シンク!」
「背中に気をつけてよね! あんたが無事でなきゃ、死霊使いが悲しいだろ」

 アッシュの背を守るように立ち上がった緑の髪の少年に、真紅の焔は僅かに目を見開く。それはリグレットも同じことで、その一瞬の隙に気づいたアッシュは剣の力を緩めると彼女の腹に向けて膝蹴りを繰り出した。


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