紅瞳の秘預言 79 両極

「シンク! 貴様、閣下への恩も忘れて!」

 膝蹴りこそギリギリの所でかわしたものの、バランスと状況を崩されてリグレットは思わず激昂した。彼女にしてみれば、シンクがアッシュやガイと共にヴァンに対して刃を向けると言う事態は想定外だったのだろう。

「恩? あー、名前付けて部下に加えたってこと? そんなの、とっくのとうに返しただろ」

 少年の方はふんと鼻を鳴らし、放たれた銃弾を床を蹴って横っ飛びすることでかわす。同時に射出された弾丸に肩を掠められ、痛みに顔をしかめつつアッシュは視界の端にシンクを捉えた。

「じゃあてめえ、今何でこっちについてんだ?」
「あんたらについてんじゃ無いよ」

 ほんの微かに、少年の頬が赤く染まる。子どもっぽい照れ隠しか、視線を逸らしてシンクは言葉を続けた。その間も彼の小柄な身体は機敏に動き、1人の首をへし折る。

「僕が導師イオンのレプリカだとか、代わりにすらなれずに捨てられた役立たずとか、そんなの関係無しにあいつは手を伸ばしてくれたんだ」

 自身に照準を合わせたリグレットの銃身を下に潜り込むようにして蹴り上げ、続けざまにその脇腹を殴りつける。ハイキックを振り抜いてシンクは、思いの丈を言葉にして叫んだ。

「だから、僕はその手を取っただけ!」


「ぐっ……!」

 砕けた音機関を右腕から引き剥がし、サフィールは歯がみする。元々彼はルークたちのように武器を持っている訳でも無く、もっぱら自作の音機関を使って戦闘していた。
 故に、誰が見ても現在の彼は丸腰の状態だ。ヴァンは軽く剣を振るい、にやりと余裕の笑みを浮かべる。

「ふん。貴様のような、譜業に頼らねば何も出来ん男など既に利用価値は無い。戦力としても使えない男など必要は無い」
「ぎゃんっ!」

 飛びかかってきたライガを剣の一閃で弾き飛ばし、ルークの一撃を受け止めながらもヴァンは自身の有利を微塵も疑っていない。

「ディストを馬鹿にすんなっ!」
「用済みの複製体が、大きな口を叩く!」

 自身の剣に力を込め、ルークを押し戻したヴァンの全身をふわりと音素が舞い踊る。構えた彼を止めようと動きかけたルークだったが、その気迫に近寄ることも出来ない。

「なればまずは、その役立たずの譜業使いから葬ってくれよう!」
「! クロア・リュオ・ズェ・トゥエ・リュオ・レィ・ネゥ・リュオ・ズェ──」
「受けよ、光龍槍!」

 ティアの譜歌に重なるように、ヴァンの短い叫びが迸る。鋭く突き出された剣から放たれた光が、激しくうねりながら一直線にサフィールを狙って突き進んだ。一瞬早く完成したフォースフィールドとぶつかり合い、空中で爆発を起こす。激しい風がルークやティア、アリエッタの長い髪を巻き上げ、煙が周囲を覆った。

「助かりました、ティア」

 薄れ行く爆煙の中から、サフィールが姿を現す。譜歌により守られたとは言え、完全にその力が弾かれた訳では無い。衝撃の余波によりジャケットやスラックスの裾は破れ、白い額から血が流れ出してはいた。しかしながら、唇の端ににじんだ血をぐいと拭う仕草には、僅かながら余裕のようなものが見える。
 彼を守っていたフォースフィールドは、その役目を終えてゆっくりと消滅した。タイミングを見計らい、サフィールは笑みを浮かべながら詠唱の言葉を紡ぐ。

「雷雲よ。我が刃となりて、敵を切り裂け」

 間を置かず降り注いだ雷撃の剣が、ヴァンの全身を撃ち貫く。衝撃で弾き飛ばされながら彼は、驚愕に目を見開いていた。
 ヴァン・グランツは、知らないのだ。
 この男がロニール雪山で、音機関のサポート無しにグランドダッシャーを発動して見せたことを。
 彼にとってサフィール……『死神ディスト』と言う男は、あくまでも譜業とジェイドにこだわるマッドサイエンティストでしか無い。戦闘ももっぱら自作の譜業に任せ、自身は浮遊する椅子に座って高みの見物をしているだけ。
 そもそも、譜業を持たぬサフィール自身に戦闘能力があることすら、ヴァンは知らなかった。ましてや譜術士であると言うことなど、神託の盾に所属する人物にそれを知る者はいないのでは無いか。

「ごふっ……な、に……」

 倒れ臥したところから、剣を杖代わりに立ち上がるヴァン。サンダーブレードの直撃を受けたにもかかわらず、大きなダメージを負ったようには余り見えない。それでも、彼の表情から驚愕の色は消えていなかった。

「貴様……」
「私だって、譜術は使えるんですよ? 使わなくても不自由はしませんし、普段使いの方よりはずっと詠唱の速度が遅いですし、音素自体の使い方も慣れていませんけれど。だから、こうやって誰かに守って貰わなければなりません」

 言い訳にも似た言葉を連ね、サフィールはヴァンを睨み付けた。
 武器も持たず、身を守る防具すらろくに無く、運動能力すらさして高いモノでは無い。慣れていない譜術の使い方も、ジェイドよりずっと遅い。己の能力は、サフィール自身が一番良く知っている。
 だから、ここまでは音機関を使って戦って来たのだ。不得手とまでは言わないが、手間取ることで子どもたちに余計な傷を負わせないために。結果としてそれは、ヴァンの目をくらませることになった。

「ディストを、助ける力を」

 アリエッタの舌足らずな詠唱と共に、水の障壁が彼を包み込んだ。ルークが足を踏み出し、サフィールを背に回すように立つ。ティアは譜歌を奏で、仲間たちの傷を癒す。

「私の同世代には、ジェイド・カーティスと言う不世出の天才がいます。ジェイドなら、こんな無様なことにはなりません。譜術の威力も、精度も、全てにおいてジェイドは私など遙かに凌駕している」

 言葉を紡ぎながら、口の中で短く詠唱する。発生したエナジーブラストがヴァンの剣を軽くではあるが弾き、彼の戦闘態勢を崩させた。そこへ、ルークが大きく踏み込む。

「ですが幸い、私にはそこそこの頭脳がありました。自身に使えないものを、音機関で肩代わりさせることが出来る程度の頭脳がね」

 朱赤の焔の一撃は、だが動きの素早いヴァンの指先を軽く掠めるに留まった。反撃しようと剣を構え直すヴァンに向け、サフィールは指を差す。再びの、牽制目的のエナジーブラスト。

「だから私は、譜業使いになったんです。譜術が使えないからでは無く、ジェイドの力になるために」

 ジェイドの力になるためには、譜術では無く譜業を我が物と為さねばならない。
 その考えに至ったサフィールは、軍に入るずっと前から人前で譜術を使うことはほとんど無くなった。無論、誰にも見られぬよう細心の注意を払いそれなりの修行は重ねていたけれど。
 ジェイドにそんな修行は必要無いのだから、自身が修行していることを誰かに知られたらきっと笑われる。追いつけるはずも無い、ジェイドに追いつくためだと。
 単純にサフィールは、大好きなジェイドを少しでも助けるための力が欲しかっただけなのに。
 そうして10数年もの時を経て、2人は並び称されるようになった。

 譜術のジェイド・カーティス。
 譜業のサフィール・ワイヨン・ネイス。

 その二つ名は、サフィールに譜術の才能が無いと言う先入観を与えた。それは、ヴァンに対しても同じことである。

「ですが、此度は苦手であっても譜術くらい、使いこなして見せます。この子たちを守りきり、貴方を倒すために」

 しかし、己の詠唱により舞い踊る音素たちの中に立つ銀髪の譜術士はじろりとヴァンを睨み付ける。普段子どもたちにも、親友にも見せることの無い表情で。

「ユリアの詠んだ預言とも、ジェイドの知る預言とも違う未来を作るために、邪魔をするな」

 剣を構え直したルークと癒しの譜歌を奏で始めたティア、身構えるアリエッタとライガ。サフィールは彼らを見返すこと無く、思いを言葉にした。

 だって、今の私の顔を見せて子どもたちが怖がったら、ジェイドに怒られるじゃ無いですか。


「……?」

 微かに瞼が動いた。ほんの少し間があって、ゆっくりと真紅の瞳が覗く。焦点は未だ合っておらず、周囲の状況を確認するかのように少しだけ視線が動いた。

「たい、さ?」

 少女のかすれ声に、真紅の視線は少し遅れて反応する。ぼんやりと、けれど確実にジェイドの瞳は、ナタリアの顔を捉えた。


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