紅瞳の秘預言 80 懸隔

 がきんと音を立て、2つの刃がぶつかり合った。ヴァンの右手だけで保持されている剣に、ルークが両手で振り下ろした剣が止められている。すぐさま、姿勢を低くして駆け寄ったライガの爪がヴァンの脚を切り裂いた。

「くっ……吹き飛べ!」

 一瞬顔をしかめたヴァンだったが、すぐさま口の中だけで詠唱を完成させる。ほんの僅か間を置いて発動したイグニートプリズンがルークと、そしてライガを焼き払おうと炎を巻き上げた。

「ぎゃうん!」
「うわっ!」

 悲鳴を上げながら、それでもライガは必死にルークの襟首を牙に引っかけた。そのまま勢い任せに飛び退り、ティアの前にルークを放り投げる。少し離れたところでアリエッタがぬいぐるみを振り上げ、譜術を放った。

「魔狼の咆哮よ! ブラッディハウリング!」
「……目障りな!」

 闇の音素が少女の命に応じ、敵を屠ろうと襲いかかる。対抗してヴァンが放ったホーリーランスの光の音素とぶつかり合い、激しく輝いた。

「癒しの力よ……ファーストエイド! ルーク、大丈夫?」
「サンキュ、ティア。助かった」
「狂乱せし地霊の宴、ロックブレイク!」

 その間に、ティアの譜術がルークとライガのダメージを癒す。それを見て踏み込もうとしたヴァンの足は、サフィールの譜術により止められた。
 隆起した床を見て、ヴァンはちっと舌を打った。飛び越えることは簡単だが、ティアを含め譜術士が3人待ちかまえている。確実に何らかの譜術で迎撃されることは明らかだ。1人なら対処は出来るが、もし3人が一斉に掛かってくると反撃は難しい。

「小賢しい真似を……」

 そこまでを一瞬のうちに思考して軽く鼻を鳴らし、隆起を迂回してヴァンは剣を構えながら突進する。狙いは……レプリカの分際で己の前に立ちはだかろうとする、朱赤の焔。
 その狙いを見て取ったサフィールは、眼鏡の位置を指先で直しながら小さく溜息をついた。

「……我が子を最前線に放り出すってのも、あまり良い気はしませんね」
「しょーがねーよ。ディスト、武器持ってねーもん」
「まあね。よろしくお願いします」
「……うん」

 わざと何でも無いことのように言葉を紡ぐサフィールに、ルークは一瞬だけ頬を膨らませた。だが、自分を狙っているヴァンの剣を、己の得物を構えて迎え撃つことは忘れない。
 少年の周囲は、アリエッタが続けて唱えたアクアプロテクションで僅かながら守りの力を有していた。ライガが姿勢を低く取り、隙あらばヴァンののど笛を食いちぎろうと時機を見計らっている。
 1人なら敵わなくても、守ってくれる仲間がいるからルークは戦える。生まれを気にすること無く手を取ってくれる仲間がいるから、ルークは戦っている。
 それを理解出来ないのは、目の前にいる剣を少年に教えてくれた師だけ。

「捨て駒のレプリカが!」
「そう言ってるのは、あんたたちだけだ!」

 ぎぃん、ぎん。
 剣同士がぶつかり合い、耳障りな金属音を上げる。それでも2人は怯むこと無く、何度も刃を振り上げた。ただ、さすがに剣の腕はヴァンの方に分がある。僅かに外れた刃は少年の服を、肌を掠め、白いコートを僅かずつ赤に染めていった。

「どうかな? 貴様がレプリカであることを知れば、バチカルの民も白い目を向けるだろう!」

 それでも懸命に剣を振るルークを白い目で見つめ、ヴァンは嘲笑を浮かべる。ルークが何か言い返すよりも早く、桜色の髪の少女が声を張り上げた。

「そんなこと無いもん! レプリカでも違っても、ルークはルークだもん!」
「がぁっ!」

 『姉』の指示に従い、『弟』ライガがルークの横から回り込むようにしてヴァンの脇腹を爪で裂いた。反射的にヴァンはルークを弾き飛ばし、ライガに向けて剣を横に薙いだ。幸い不意打ちに対する反撃だったこともあり、剣はライガの毛皮の上を滑るに留まったのだが。

「そうね。生まれ方が少し違うだけの、私たちと同じただの人間だわ!」
「そんなことも分からないから貴方は負けるんです。世界をレプリカに明け渡すつもりの癖に、そのレプリカを見下す貴方はね!」

 そうして、ライガを守るようにティアがナイフを投げて兄を牽制する。タイミングを見計らい詠唱を進めていたサフィールも、うっすらと笑みを浮かべて手を差し伸べた。

「唸れ烈風! 大気の刃よ、切り刻め! タービュランス!」

 サフィールの命令に従い、風が刃となってヴァンの全身を切りつける。思わず腕で顔を庇ったその隙に、ルークは床を蹴った。

「うおぉおおおおおっ!」

 気づいたヴァンの剣が閃くよりも一瞬早く、ルークの刃が彼の胸元を切り裂いていた。


 シンクの掌底が兵士を弾き飛ばす。リグレットの銃撃をかいくぐりながらではあるが、動くことの出来る白い鎧はその数を確実に減らしていっていた。
 が、最後に残った1人は数多くの戦を潜り抜けて来たようだ。動きの素早いシンクを交わし、ジェイドの治癒に集中しているナタリアに肉薄する。

「ナタリア!」
「……っ!」

 アッシュが自分を呼ぶ声に気づき、はっと見上げたナタリアの視界に映ったもの。それは、目の前で剣を振り上げている兵士の姿。
 弓も譜術も間に合わないと見て取り、ナタリアは何の躊躇いも無くジェイドを抱きしめるとその上に覆い被さった。少なくとも自身の身体で刃は食い止められる、と彼女は踏んだから。

「ナタリアっ!」
「ナタリア、旦那!」

 アニスが、ガイが叫ぶ。その声に、虚ろだった真紅の瞳が僅かながら光を宿した。

 ざぶり、と固いものが肉を貫く音がした。ナタリアに向けて振り下ろされるはずの刃は、いつまで経っても降りてこない。
 顔を上げたナタリアの、視界の端に伸びる青い腕。その手に保持された槍は、狙い過たず白い鎧の喉元を貫いている。

「だいじょうぶ、ですか? ナタリア」
「……大佐?」

 金の髪の少女に呼ばれ、レンズの奥で血の色の瞳は柔らかく微笑む。目を見張るリグレットだったが、慌てて譜業銃を構え直し子どもたちを牽制した。今槍で貫かれて絶命したのが最後の兵士であり、この時点でリグレットに盾は存在しなくなったのだから。

「──リグレット。この子たちは、殺させません」

 ナタリアの身体を優しく押しのけて、ジェイドはふらりと立ち上がった。だが、その全身から疲労の色は取れず、真紅の瞳も焦点が合っているとは言いがたい。一度槍を音素に帰し、再び実体化させてその手に掴む。かつ、と固い音がしたのは、その槍を支えにして立つことにしたからだろう。
 不安げに彼を見上げながら、ナタリアもそろりと身を起こした。弓を構え、自身に銃口を向けたリグレットを逆に狙う。一瞬だけ顔をしかめたリグレットは、だが気を取り直したように叫んだ。

「死霊使い! 私に刃向かうと言うことは、ヴァン総長閣下に刃向かうと言うことになるのだぞ!」
「……ぐっ」

 途端、ジェイドの長身がびくりと震える。咄嗟にナタリアが足を踏み出し、ジェイドを自らの背後に庇った。シンクは姿勢を低くして、いつでもリグレット目がけて飛びかかれるように態勢を整える。

「……確かに、私はあの人には逆らえない」

 呟きながらジェイドは、苦しそうに胸元をかき抱いた。ジェイドに植え付けられた、ヴァンの言葉による強迫観念は、薬物投与の効果も相まって強力なものなのであろう。
 それでも、一度頭を振るとジェイドは顔を上げた。周囲を舞い踊る音素たちに流されるように、くすんだ金髪がふわりと風になびく。

「けれど、それ以上に私はルークと、アッシュと、その仲間たちを守らなければならない」

 はぁ、と一度息をつく。きりと奥歯を噛みしめ、ジェイドは言葉を続けた。

「そのために私は、『戻って』来たんです。そのためなら、苦しくなんか……無い」

 言葉とは裏腹に、その端正な顔には苦悶の表情が浮かび上がっている。剣を構えながらアッシュはジェイドの表情を伺い、そしてふと眉をひそめた。

 強迫観念同士で干渉し合っているってのか?

 目の前で起きたことを、アッシュは自分の脳内で再構成してみる。それで、今の状況が説明出来るかも知れないと考えたからだ。
 ジェイドは今、「あの人には逆らえない」と言った。リグレットの言葉から『あの人』がヴァンであることは確実で、つまり現在のジェイドにはヴァンに逆らってはならないと言う類の強力な暗示が掛けられているのだろう。アッシュ自身、かつてはあの男に暗示を掛けられ操られていたようなものだから、分からなくは無い。
 だが、それなら。
 ヴァンの暗示に対抗出来るほど強力な、『ルークとアッシュ、その仲間たちを守らなければならない』と言う暗示は誰がジェイドに与えたと言うのだろう?

 自己暗示にしちゃあ、いくら何でも強力過ぎるぜ。
 だが、他に誰がそんな暗示を掛けるんだ?


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