紅瞳の秘預言 81 降下
アブソーブゲート最深部にあるパッセージリングの間は、吸い込まれていく記憶粒子たちがきらきらと雨が降るように舞い降りていた。それはまるでルークたちの来訪を歓迎しているようで、ライガですらくぅんと幸せそうに眼を細める。
いつものように障気フィルターを装着したティアがユリア式封咒を解除し、空間にセフィロトの図が表示される。それを見上げ、ルークはちらりと並んで立っているサフィールに視線を移した。己の役割を終えたティアとその腕に飛び込んだミュウ、そしてアリエッタとライガは少し背後に離れ、彼らをじっと見守っている。
「で、どーすんだ?」
「まずはセフィロトへの指示を変更します。あそこに文字を刻んでください」
ルークの問いに笑みを浮かべ、サフィールが指差したのはアブソーブゲートを示す円。こくりと頷いて手を伸ばし、ルークは意識を集中させて行く。
「何て書けば良い?」
「長いですから気をつけて。『ラジエイトゲートへの指示を全てアブソーブゲートに変更』」
「分かった」
サフィールの短い指示を受け、ルークは超振動で言葉を刻み込んだ。文章が長すぎたせいか途中一瞬スペルを間違えそうになったことは、こっそり胸の中にしまい込んでおくことにする。
どうにか全ての文字を刻み込み、一旦腕を降ろす。ふうと小さく溜息をつくと、「良く出来ました」とサフィールに軽く頭を撫でられた。ジェイドほどでは無いけれど、この感触もルークは嫌いでは無い。少なくともこの銀髪の学者は、好きでも無い子どもの頭を撫でられるほど大人の性格をしていないのだ。
「後は?」
「これで準備は全て終わりました。後は貴方が第七音素を流し込んでくだされば、外殻大地の降下は始まります」
「よし」
サフィールにそう言われ、朱赤の髪を揺らしてルークは小さく頷く。初めてオールドラントの構造の話を聞いてから数か月、やっとここまで辿り着いたのだと言う感慨は、意外にもルークの中には無かった。
では、またな。
目の前から消えて行くヴァンの最後の言葉が、ふと浮かび上がってきたから。
あの言葉はまるで、彼が再び自分たちの前に現れるとでも言っているようでは無いか。
『夢』で見た世界は、恐らく外殻大地の降下が終わった後の世界だったのだろう。空は、ルークが知っているよりずっと高かったから。
けれどその世界でルークたちは戦い続けていて、ルークは消えて、そうしてジェイドも失われた。
あの世界の物語がヴァンの言う『ジェイドの知る預言』なのであれば、自分たちが倒したはずのヴァンは何らかの手段で生き長らえたと考えられる。自分たちが戦ったヴァンはもしかしたらその手段に心当たりがあって、それ故にあのような言葉を口にしたのだろう。
つまり、星が元の姿を取り戻したとしても戦いは未だ終わっていないのだ。少なくとも自分たちはプラネットストームの停止に動くつもりだが、それには各国の同意が必要になる。さらに、ヴァンの配下が生き延びていたとすれば彼の遺志を継ぎ大地のレプリカ化を進めようとするかも知れない。
あるいは、ヴァン自身が復活しレプリカ計画の継続を目論んで動く可能性も。
だけど、そんなことはさせない。
俺たちはみんなで生きて、みんなが生きている世界を守る。
アッシュ、行くよ。
決意を固め、心の中で兄に呼びかけて、ルークは再び手を伸ばした。かつてジェイドに教わったように体内の音素の動きを捉え、呼びかける。
朱赤の焔の肉体を構成している第七音素たちは彼の呼びかけに答え、空間に漂う同胞たちに働きかけながらパッセージリングへと流れ込んで行った。
ラジエイトゲート最深部。パッセージリングの前で目を閉じ、じっと待っていたアッシュの前で、巨大な音叉がふわりと柔らかな光を宿した。それを感じ取り、アッシュは瞼を開く。
「来たな。ルーク」
満足そうに微笑み、ふと背後を振り返った。アニスとナタリアが並んで立ち、その傍にはガイとシンクに支えられてジェイドが佇んでいる。僅かに意思の光を取り戻した真紅の瞳が、じっとアッシュを見つめていた。
「大丈夫だ、ジェイド。世界は終わらない」
アッシュが呟いた言葉にジェイドは、ほんの僅か眼を細めた。それだけの反応ではあったが、アッシュは満足してパッセージリングに向き直る。そうして、両手を掲げた。
行くぞ、ルーク。
最初は少しずつ、やがて持てる力を振り絞り、真紅の焔は第七音素を注ぎ込む。惑星の真裏で同じように第七音素を照射している朱赤の焔を思い、赤い髪がふわりとなびいた。
アブソーブゲートとラジエイトゲート、2つのセフィロトから流れ出した第七音素は、プラネットストームに乗りオールドラントを駆け抜ける。その指令を受け、ホドを除く全てのセフィロトたちは自らが造り出していたツリーの出力調整を始めた。外殻大地が浮上してから2000年もの間それを支えて来た柱は、大地を元の惑星上に戻すと言う最後の任務に就く。
そうして、記憶粒子の奔流は子どもたちを包み込んだ。
「私には、もっと残酷なことしか言えませんから」
不意に上げられた声に、ガイははっと目を見張った。今自分の立っている場所がラジエイトゲートでは無く、いつの間にかダアトの教会に変化していることに気づいたのは、思わず周囲を見渡した後。自分が支えていたはずのジェイドの姿も無く、慌てて青い軍服の存在を探る。
すぐに彼は見つかった。ガイの目の前で、端正な顔から表情を消したジェイドが言葉を紡いでいる。彼の前には、短い髪のルークが立っていた。
「恨んでくれて結構です。貴方がレプリカと心中しても、能力の安定したオリジナルが残る。障気は消え、食い扶持を荒らすレプリカも数が減る。良いことずくめだ」
「ジェイド……あんたは、俺に……」
「死んでください、と言います。私が権力者なら」
あんた、何を言ってるんだ?
ガイの背筋を、冷や汗が伝う。彼の知るジェイド・カーティスはルークを我が子として慈しみ、彼やその仲間たちを守るために自らを捨てるような人物だ。
その彼が、ルークに死ねと言う。少なくともそれだけでガイは、自分が見ている光景が現実のものでは無いことを知った。
同じ光景は、アニスの目にも映っていた。ぽかんと目を丸くした彼女の前でジェイドは、ふと視線を逸らし言葉を続けた。
「友人としては……止めたいと思いますがね」
「ジェイドが俺のこと、友達だと思ってくれてたとは思わなかった」
「そうですか? ……そうですね。私は冷たいですから……済みません」
ジェイドと、短い髪のルークのやり取り。ジェイドの口ぶりもルークの言葉も、アニスが知っている2人から出て来るとは思えない内容だ。
彼女の知る2人はとても仲が良くて、まるで本当の親子か兄弟に見える。それはルークと同じレプリカであるイオンや、その同行者である自分たちを交えたとしても変わることは無い。
こんなの、おかしいよ。
大佐がルークに死んでくれなんて言わないもん。
その、寂しさを表に出すまいとする口調がかえって印象に残る。必死に冷酷を装うその姿を、アニスはふと思い出した。
ケセドニアの宿で、自分が第七音素を使いアクゼリュスセフィロトを破壊すると告げたときのジェイドの姿。
我が子に死を命じるか、自身の死を隠すか。言葉自体は、まるで異なるものだ。
けれど、ジェイドの顔に微かに浮かんだ表情はどちらも良く似ている、とアニスは確信した。
「大佐、辛いんだ」
言葉にすると、すとんと納得が出来た。
どちらにしろジェイドはルークを死なせたくなくて、辛いのだと。
だからアニスの知るジェイドは、彼らに知られずに自分が死のうとした。
アニスの知らないジェイドは、自身がルークに死を命じることで全ての罪を背負おうとした。
どっちにしたって、あたし納得出来ないよ。
震える拳をぎゅっと握りしめた少女の周囲から、幻の風景はゆっくりと薄れていった。
幻は、アブソーブゲートでも展開されていた。
青く晴れた空の下、塔の頂上。以前『夢』で見た、ローレライの鍵の剣をルークは構えている。少し離れた場所で、アッシュがジェイドに抑えられているのが声で分かった。
「放せ!」
「……私は、ルークの意見に賛成です。残すなら、レプリカよりオリジナルだ」
アッシュの叫びと対照的に、ジェイドの声には感情が籠められていない。きっと、必死で我慢しているのだろうとルークは思った。
あの人は、いつもそうだった。一緒に旅をしている仲間たちの中では一番年上で、だからいつも自分たちを引っ張っていこうとして無理をしていた。同い年であるサフィールが合流して以降はジェイドも少し楽になったようだけれど。
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