紅瞳の秘預言 81 降下
死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!
短い髪のルークの、声にならない悲鳴が響く。自分では無い自分の姿を内側から見つめ、ルークはぎりと奥歯を噛みしめた。
この『夢』がヴァンの言う通り、ジェイドが知っていた『預言』だと言うのであれば、彼はいつからかあの自分の姿を胸の奥に潜めていたのだろうか。
自分が『預言』と同じ悲鳴を上げないように、必死で守っていてくれたのだろうか。
そのせいで、自分の代わりにあの人が傷ついた。
それでも。
うん。
俺、死にたくない。
でもそれは、ジェイドにもう一度会いたいから。
『幻』のアッシュが重ねてくれた手が、温かい。その温もりを感じながら意識を失って行く短髪のルークの中で、長い髪のルークはぐっと目を閉じる。
その全身を、ふわりと記憶粒子が包み込む。その中で、幾度も世話になった声が囁きかけてきた。
死なないよ。可愛い我が分身。
「……え」
瞼を開いたルークの前に、淡い炎のような光が現れた。人の形を取りながらその光は、声にならない声をルークに投げかけてくる。
私は間もなく、栄光を掴む者の中で眠りにつく。
その前にアッシュ、ルーク。
お前たちに、鍵を託す。
私を解放してくれる日を、待っているよ。
「……ローレライ?」
ルークの問いに、光は頷いたように思えた。そうして、ゆっくりと消えて行く。その瞬間、ルークの胸の中にふわりと何か温かいものが宿った気がした。
幻の中の自分とは異なり、ルークと重ねられることの無かった手に握りしめたものをアッシュはじっと見つめた。その形状を彼は、これまでに見た『夢』の中で知り尽くしている。
「……これが、ローレライの鍵の、剣」
『夢』の中で自身が持ち帰り、ジェイドに奪われた剣。あの『夢』を見たときに己が認識した、同じ形の剣であることに間違いは無い。ただ、何かが足りないような気はしたのだが。
「宝珠、ってやつか。恐らく、ルークの所にあるんだろう」
一度軽く振り下ろし、それからローレライの鍵を手にぶら下げたままアッシュは振り返った。そこにはここまで共に来てくれた仲間たちと、そしてジェイドがいる。
しばらくぼんやりとアッシュを見つめていたジェイドだったが、ふと表情を緩めた。その笑みに、アッシュはびくりと背を震わせる。
『夢』の最後、音素に融けて消える瞬間の笑顔が、そこに重なったから。
「……今の光景は……貴方がたにも、見えたんですね」
「旦那?」
「どういうこと?」
ぽつりと落とされた言葉に、ジェイドを支えていたガイとシンクが眉をひそめる。地核突入の際に『夢』の欠片を見ていたシンクはともかく、第七音譜術士ですら無いガイとアニスは自分たちがたった今見た幻の意味を上手く理解出来ていない。リグレットが残した『ユリアの預言とは異なる、今ひとつの預言』では無いかと言う、あくまでも推測だけを胸の中に持ってはいるけれど。
「た、大佐? えっと、あれ、は……」
「私の罪です。『前の世界』で犯した、私の罪」
故に問うたアニスに答え、淡々と言葉を紡ぐジェイドの顔から感情は失われていた。光が戻ったはずの真紅の瞳も、また虚ろにぼやけていて。
「大丈夫です。次は、私がやります、から」
夢を見ているような表情で、たどたどしく紡がれる言葉。涙がこぼれているわけでも無いのに、子どもたちはジェイドが泣いているのだ、と心のどこかで感じていた。
その中でジェイドは、もうひとつ言葉を落とした。彼には似つかわしくない、悲鳴にも似た声で。
「それで、ゆるして、くれますか?」
何を、許せと?
ごくりと息を飲んだのは、誰だろうか。
ジェイドが乞う『許し』が何に対してのものなのか……いや、皆にはもう分かっているだろう。
幻の世界で、ルークに死を命じたことに対してだ。いや、それまでにも何かがあったのだろうとアッシュは思う。自分たちの知らぬ『異なる世界での罪』が重なり合い、ジェイドにそんな言葉を紡がせたのだ。
『今の世界』ではジェイドはルークとその仲間を大切に思い、子どもが知らぬことを丁寧に教え、導いた。『夢』の世界ではそれが為されていなかったとしたら、ルークはジェイドとこれほどまでに心を交わしていただろうか。
音素に解ける身体。
どこまでも幸せそうな、最期の笑顔。
もしジェイドが、あの『夢』を最初から全て知っていたのなら。
「大佐」
ナタリアの言葉に、ジェイドは応えなかった。意識が混濁しているのか、ぼんやりと虚空を見つめている。ガイは青い瞳を僅かに臥せると、ジェイドをゆっくりとその場に座らせた。そうして、隣に座り込んだ自分の肩にもたれかけさせる。
「しばらく休もうぜ。大地が下に降りきるまで、下手に動くと危ないだろ?」
意図的に明るい声で、ガイはそう提案する。その意図を汲んだらしくナタリアも微笑んで、真紅の焔に頷きかけた。
「そうですわね。少しだけ、休みましょう。アッシュ」
「……ああ」
アッシュもその提案を拒否する意味は無い。視線を巡らせると、アニスとシンクは並んで壁際に座っている。2人とも幼い身体にかなり無理をしていたのか、アニスなどは既にうつらうつらとしていた。苦笑に頬を緩めつつ、アッシュも腰を下ろすことにした。
私が第七音素を利用して譜術を使います。
ええ。ですから安心してください。ルークにもアッシュにも負担は掛けませんよ。
ケセドニアの宿屋で平然と言ってのけたジェイドの表情を、ガイは思い出す。イオンがその結末を教えてくれなければ、とうの昔にこの軍人は音素乖離してこの世界から消え失せていた。
もしそれが、『前』のルークの悲鳴を覚えていたせいだったとしたら。
「あん時言ってたのは、こう言うことだったんだな」
ばさばさになったジェイドの髪をゆっくりと撫でてやりながら、ぽつりと呟いた。ジェイドが、異様にルークを……ルークとアッシュを守ろうとしていたその理由が、ここに来てやっと分かったから。
出会った最初からこの人は、『前』のルークのことを知っていた。『今』のルークがそうならないように、彼を救うためにジェイドは、自身を守ると言う当たり前の本能すら封じ込めてしまっていたのかも知れない。
故に傷を受け、囚われ、自身の意志を押し潰されてなお、焔を守ろうとした。
己の身体も、精神も、生命すらも顧みずに。
「なあ、ディスト」
名を呼ばれて、サフィールは顔を上げた。ライガにもたれて眠っているアリエッタを起こさないようにと気遣ってか、ルークが目の前まで這い寄って来ていた。ミュウを膝の上に乗せてティアも、半ば夢の世界に旅立ちかけている。
「もしかして、ジェイドが違う預言を知ってたってこと、知ってたんじゃ無いのか?」
あくまでも小声で、ルークはそう尋ねてきた。レンズの奥の目を瞬かせた後、サフィールは首を傾げる。これでも『ジェイドの知る未来』に関しては上手く隠し通してきたはずだ、と自分では思っているのだが。
「何故そう思うんですか?」
「……何となく、かな。ディストがジェイドのこと助けてくれてたの、ああ言う未来が来て欲しくないからじゃないかって思って。ディスト、ジェイドのこと大好きだもん」
「なるほど。ええ、私はジェイドが大好きですよ」
ルークが挙げた理由……と言うか推測に、つい頷いてしまう。確かにサフィールが、自分がジェイドの力になると決めたのは彼の知る未来を教えられ、これから来る時間の中でそれが再現されないよう力を貸して欲しいと頼まれたからだ。その『未来』がバレてしまった以上、ルークがそう推測してもおかしくは無い。この子は頭の回転が早い、聡い子どもなのだから。
「まあ、そうですね。貴方の言う通りです」
だから、サフィールは素直に答えた。隠してももう意味は無い。ユリアの預言とは異なる預言の存在が、明らかになったのだから。
だが、今はそれについて説明している時では無い、と銀髪の学者は判断する。子どもたちの仲間はここにいるだけでは無い。ラジエイトゲートにいるアッシュたちや、ケテルブルクに置いてきたイオンとフローリアンもそうなのだから。
「外殻が無事に下に着きましたら、一度グランコクマに戻りましょう。どうせ話をするのなら、皆さん揃ったところで一度にした方が良いですからね」
「うん」
故にそう答えて朱赤の長い髪をゆっくり撫でてやると、ルークは幼げな笑顔で頷いてくれた。
この数時間後、創世暦時代に高い空へと浮上していたオールドラントの大地は、本来存在すべき惑星の表面へと2000年ぶりに帰還した。
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