紅瞳の秘預言 82 傷心

 そんな中、緑の髪を持つ少年はすたすたルークに歩み寄ると、その背中を力一杯平手で叩いた。ばしんと威勢のいい音がして、ルークはうっと呻きながらその場にしゃがみ込んでしまう。

「ほら、しっかりしなよ。何だかんだ言っても、無事だったんだからさ」

 彼の前に自分もしゃがみ込み、シンクはルークの顔を覗き込みながら声を掛けた。はっと顔を上げた少年を睨み付け、声を落として言い聞かせる。

「死霊使いはね、腹黒男の無理強いよりあんたたちを守ることの方が大事だったんだよ。あんたがしっかりしなきゃ、あいつだって帰って来た価値無いじゃんか」
「……ジェイドが……」
「だから、そっちの方はディストの旦那に頼むんだよ。アッシュも助けられたんだろ?」

 シンクの肩にぽんと手を置いて、ガイはルークに手を差し伸べた。その手を取り、ルークは埃を払いながら立ち上がる。追いかけるように自身も立ったシンクに目を向けて、それからアッシュを見た。

「俺の時のようにはいかんだろうが、治療にはディストを回すのが最適だと俺は思う。ヴァンの手口を良く知っているからな」

 それでも不安げな表情が消えない弟の頭を撫でてやりながら、兄は言い聞かせてやる。
 かつてヴァンの妄執に囚われていたアッシュの心を、サフィールは闇の中からすくい上げた。彼としてはジェイドが望んだからそうしただけだし、そもそもアッシュの中にナタリアへの思いがなければその心を助け出すことは出来なかっただろう。
 それでもアッシュは、自身を救ってくれた銀髪の譜業使いならばジェイドをも救ってくれると感じていた。これまでの旅の中で自分たちが彼らとの間に紡ぎ上げてきた絆が、きっと拠り所になると信じているから。

「……うん」

 そんなアッシュの思いを受け取ったのか、ルークはやっと笑顔になって頷くことが出来た。

 マルクト兵の護衛を受けながら、テオルの森を歩く。その中でアッシュはふと、ルークに問うた。今まで使っていた剣に代わり腰にはいているローレライの鍵の剣を手で示すと、ルークは目を瞬かせる。

「お前、ローレライの鍵は受け取ったか? これと対の、多分宝珠だ」
「え?」

 私は間もなく、栄光を掴む者の中で眠りにつく。
 その前にアッシュ、ルーク。
 お前たちに、鍵を託す。

 『夢』の最後に重なるように、ルークへと投げかけられた言葉。恐らくは同時にアッシュにも届いたであろうそれを思いだし、少年は自分の胸元にそっと手をやった。自分がローレライから貰ったものは、きっとここに宿った温度だけ。

「……それが、良く分からないんだ」
「分からない?」

 温度を貰った、と言っても答えにはならないと考えて、ルークはそう答えた。訝しげに眉をひそめたアッシュに、自分に分かる範囲で説明を続ける。

「ローレライが鍵を託すって言ってくれた後、胸のここら辺が温かくなったような気がしたんだ。だけどそれだけでさ、目に見えるものは何にも……」
「……そうか」

 口ごもり、視線を逸らしてしまったルークの隣でアッシュは小さく頷いた。そうして、ルークの手にローレライの鍵が無い理由を考える。
 ローレライが送り損ねたのか、ルークが受け取り損ねたのか、それとも第三の要因があるのか。
 最後の理由だろう、とアッシュは何の根拠も無くそう思った。ルークがローレライから贈られた温かさこそが『鍵』である、とも。

 案外、ジェイドの槍と似たような状況になっているのかも知れんな。

 不意に浮かび上がったその思考が正解であることなど、今のアッシュには分からないのだけれど。


 グランコクマ王城、謁見の間。ピオニーはゼーゼマンとノルドハイム、それにサフィールを従えてアッシュたちの到着を待っていた。

「ご苦労だった、ルーク、アッシュ。それに皆も」
「いえ」

 2人の焔とその同行者たちをねぎらう言葉を掛けながら皇帝は、その場に一緒にいるシンクの姿を見て眼を細めた。ルークたちがケテルブルクからイオンと共に連れて来たフローリアンとは既に会っており、ジェイドの知る『レプリカイオン』たちが今回は全員ひとところに揃ったことに安堵の笑みを浮かべる。
 その後、彼は表情を引き締めた。笑ってばかりいられるほど、一国の最高権力者と言う立場は楽では無い。

「……んで、まあ詳細の報告は後で書類にでもまとめてくれ。お前たちの計画が成功したのは、世界を見れば分かるからな」

 とは言え、今早急にピオニーが知りたいことはそんなことでは無い。ヴァン一派との戦闘結果は、ジェイドの『記憶』と少しばかり人員配置が異なるだけでほぼ同じ結果に終わったことが分かっている。そして、外殻大地の降下に成功したことは自分たちの生存が証明しており、これも取り急ぎ報告を受けるようなことでも無い。

「ジェイドの様子はどうなんだ?」

 ピオニーが今知りたいのは、ヴァンに囚われぼろぼろにされて戻って来た懐刀の状態だ。

「ヴァンに逆らえないように、薬物を投与されて自我を弱められた上で思考誘導されてた。ラジエイトゲートには、リグレットが盾にするつもりで連れて来てたみたいだね」

 皇帝の問いに、疾風の二つ名を持つ六神将の少年がすらすらと答えた。アッシュたちが彼に敵意を持っていないところを見ると、どうやらこの少年もジェイドの言葉を受け取ってくれたらしい。彼はダアトで生まれたレプリカだから、サフィールの息子と言っても良いだろう。その子を救えたことは、『前の世界』の顛末を聞いているピオニーには喜ばしいことである。

「ですが、それよりルークとアッシュを守ると言う強迫観念の方が上だったらしいんです。それで、リグレットの命令にも無理矢理逆らって……」

 ガイが説明を引き継いだ。その最後の言葉に、思わずピオニーは肩をすくめた。
 自分の命令には基本的に逆らわないジェイドだが、それはピオニーが極端に無理な命令を出さないからだ。ジェイド自身が嫌がることもままあるが、それでも無理では無いと考えているからピオニーが引き下がることは無い。特にジェイドが『記憶』を得てからは、大人しくなってしまった彼に遠慮してしまってか冗談のような命令を出すことは無い。一度やってみた時に、ジェイドが素直に受け入れてしまったからなのだが。

 けどあいつは、本気で嫌な命令には絶対に従わない。

 幼い頃からジェイドを良く知っているピオニーは、だからそう断言することが出来る。ヴァンの思考誘導も、薬物によりジェイド自身の自我がほとんど働かない状態にしなければ効果は薄かったはずだ。
 その状態ですら彼は、焔たちを守ることを最優先とした。
 そのために彼は『戻って』来たのだから、当然と言えば当然なのだけれど。

「あいつも、親としての愛情を持てたってことか」

 ぽつんと呟かれた言葉に、2人の古い側近はぎょっと顔色を変えた。だが、青い視線を受けてすぐに平常心を装う。

「だから、生まれ方が違うだけでルークはジェイドの子どもみたいなもんだっつったろうが」
「そ、それはそうですが陛下……」

 こほんとひとつ咳をしただけのゼーゼマンを他所に、ノルドハイムは不満げな表情を露わにする。だが、ピオニーもその返答は想定していたのか、ぎろりと彼を睨み付けた。

「生まれさせた奴がどんな陰謀を企てていても、生まれた子どもに罪はねえだろう。育て方の問題だ」
「……失礼いたしました」

 皇帝の強い言葉に、将軍は不承不承頭を下げた。この若き皇帝に口で勝てる人材は、本調子のジェイドを除けばほとんど存在しない。
 ノルドハイムが半歩下がったところで、ピオニーは銀髪の友人に目を向けた。今すぐにでもこの場を駆け出して行きそうな彼を、解き放ってやるために。

「サフィール、ジェイドは頼んだぞ。お前さんならどうにかなるだろう?」
「当然ですね。では、私はお先に失礼します」

 その台詞を待っていたかのようにサフィールは、早足で謁見の間を後にした。その背中に、ピオニーの「ああ、後で俺も行くから」と言う言葉がぶつかる。

「陛下、ジェイドに貴方の暗殺指令が出されていたらどうなさるおつもりですかな」
「それは無い」

 ゼーゼマンの、ジェイドの状態を知っていれば当然とも言える疑問にピオニーはきっぱりと否を唱えた。

「そんなもん、刷り込まれた時点でジェイドは自決する。そういう奴だ」

 くすんだ金髪と真紅の瞳を持つ皇帝の親友は、絶対に自身に刃を向けることは無い。
 故にピオニー・ウパラ・マルクト9世は、ジェイド・カーティスを自らの懐刀としているのだから。


PREV BACK NEXT