紅瞳の秘預言 82 傷心

 ジェイドが瞼を開くと、白を基調とした天井が視界に入った。少しだけ視線を傾けると、癖の無い銀色の髪が見える。

「ジェイド!」

 微かな物音で、ジェイドが目を覚ましたことに気づいたのだろう。銀髪の持ち主が、そそくさと歩み寄って来た。覗き込んでくるその両目には、今にもこぼれそうに涙が湛えられている。

「大丈夫ですか? ジェイド」
「……サフィー、ル?」

 聞き慣れた、懐かしい声。その主の名を口にした途端、ジェイドはサフィールに抱きしめられた。

「はい、私ですっ……良かった、ジェイド、良かったぁ……」

 密着したせいで、サフィールの顔をジェイドが伺うことは出来ない。それでもひっくひっくと啜り上げる音がするから、この泣き虫の幼馴染みはまた泣いているのだろう。
 久しぶりに、親友と会えたから。

「私は……長らえたんですね」

 ぼんやりと言葉を紡ぐジェイドの顔に、再会の喜びと言った感情は浮かんでいない。ルークの顔を見たときの笑みも、再会出来たと言うよりはルークの生存を喜ぶものだったのだが、それはサフィールの知らないものだ。

「ええ、ええ。シンクが助けてくれたんでしょう? 怪我も、ナタリアの譜術で癒されたと聞きましたよ」
「……ああ」

 説明好きなサフィールの言葉に、ジェイドはゆっくりと記憶の引き出しを探る。意思のほとんどを暗示により押し潰されていたせいかあまり思い出すことは出来なかったけれど、シンクが自分を助けてくれたことはほんの少しだけ理解出来た。

「シンクと……皆に、助けられたんですね」
「はい」

 結論として吐き出された短いジェイドの言葉にサフィールは頷いた。そして、ゆっくりと腕の力を緩めると至近距離で親友の顔を覗き込む。
 きっと彼が知りたいだろう、ひとまずの結末を伝えるために。

「ジェイド。ヴァン総長とは、貴方の『覚えて』いる通りの決着しかつけられませんでした」

 それで、ジェイドには理解することが出来る。自身が一度通った時間の中で経験した、同じ展開を迎えたのだと。

「地核に……落ちたんですか」
「はい」

 確認するように問うて来たジェイドに、肯定の返答を出す。それから、もうひとつ伝えなければならないことも口にした。

「それと、私の側ではヴァン総長が、アッシュの側ではリグレットが、貴方の『記憶』のことを明かしました」

 敵対者たちに、ジェイドが『未来の記憶』を持っていることを知られてしまった。それ自体は仕方が無いと言わざるを得ない。だが、わざわざその事実を焔やその仲間たちに明かした理由が、サフィールにはいまいち理解出来ない。

「もうばれちゃってますし、あの子たちにちゃんと話しましょう。ユリアの預言とは違う、貴方が見た『未来』を」

 けれど、知られてしまった以上はきちんとした説明が必要になるだろう。預言士で無いジェイドがある種の預言とでも言うべき『未来の記憶』を持っていること、その『記憶』の世界を再現させないためにジェイドが様々な働きかけを行ったこと。それらを子どもたちに伝え、理解して貰わなければならない。
 今更子どもたちとの絆が断ち切られれば、今度こそジェイドは立ち直れなくなる。サフィールは、その結果だけは回避させたい。
 もっとも、焔を初めとした子どもたちがこの事実を教えることでジェイドから離れることは、サフィールには考えられなかった。理由の無い推測ではあるけれど、子どもたちはきっとジェイドとの絆を離すことは無いだろう。

「大丈夫ですからね、ジェイド」

 だからサフィールは、銀髪を揺らしながらもう一度ジェイドを抱きしめた。ヴァンの言葉に囚われたジェイドを救うためにも、子どもたちとの絆は重要な拠り所なのだから。

「あの子たちはみんな、貴方のことが大好きなんですから」
「……そう、でしょうか……」

 しかし、その思いはサフィールだけのものだ。ジェイド自身は呆然と、夢を見ているような表情でぽつりぽつりと言葉を紡ぐだけだ。それも、自身を傷つけるだけの言葉を。

「私には、好かれる理由も意味も無いのに。生きていて、いいんですか……?」

 この人は元々壊れていたのに。
 ヴァン総長のせいで、もっと壊れてしまった。

 許さない。


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