紅瞳の秘預言 83 狭間

 ラジエイトゲートのある島に降り立った時、シンクとグリフィンの周囲にはリグレット、そして彼女に従う神託の盾兵士たちの姿があった。そして、ぼんやりと佇む青の軍人も。
 ばさり、とグリフィンが翼で空気を打った音に、兵士たちははっと意識を取り戻したかのように剣を構えた。その前で軽く手を横に振り、リグレットは真っ直ぐにシンクを見据える。だがその表情からは驚愕の色が取れることは無く、それでシンクは己が死んだと思われていたことを確認した。

「シンク。お前、生きていたのか」
「死に損なった、ってところかな」

 リグレットの問いに答えながら、シンクはジェイドの様子を伺う。そのやつれながらも端正な顔に感情を伺うことは出来ず、まるで人形のようにしか見えない。だが、少なくとも自分の生存がリグレットたちに伝えられた様子が無い所を見るとジェイドはそれを口にしなかったのだと分かる。もしくは、尋ねられなかったか。
 だが。

 ──壊したね? ヴァン。

 きり、と奥歯を噛みしめてから、シンクは己がそうしたことに驚いた。ジェイドを壊されたことが悔しくなければ、歯ぎしりなんてしない。そのくらい、少年にも分かっているから。
 だからシンクは、自分がそれだけジェイドを大切に思うようになっていた、その一点に驚いたのかも知れない。


「はぁ? それマジ?」

 シンクが、ジェイドがヴァンに拉致されたことを知ったのはライナーの居室でだった。
 ザレッホ火山にヴァンが出現し、ジェイドは易々とその手に落ちた。イオンの命令により神託の盾はヴァンの行方、そして彼ら一派のアジトを探索すべく動き始めたと言う。

「はい。本部内がやたら騒がしかったのもどうやら、導師の命で出立することになった部隊が準備に追われているからのようで。それと、彼らが残した資料の捜索ですね」
「なるほどね。導師もいい加減怒る訳だ」

 頷いたライナーが続けた説明に、茶を飲みながら納得したようにシンクは頷いた。自分と違い感情の起伏が少ないイオンではあるが、導師としての強権を発動させたと言うことはかなり怒っているはずだ。
 世界を破滅に導こうと企み、ローレライ教団を放逐され、第一種警戒対象とされた男がこともあろうに教団本部の懐とも言えるザレッホ火山に出現した。そればかりで無く、戦争を終わらせた立役者の1人であるジェイド・カーティスを拉致し、再び姿をくらました。
 ルークと同じく、ジェイドからは我が子のように慈しまれている『弟』が怒るのも無理は無い。自分だって、胸の奥でむかむかする感情を必死に押さえ込んでいるのだ。
 彼らの交わす会話の意味を余り理解出来ないように首を傾げていたフローリアンは、ふとライナーに視線を向けた。

「ねえ。ライナーもお出かけするの?」
「ああ、いえ。私はどちらかと言うと内勤ですので」

 少年の問いに、ライナーは首を横に振った。サフィールの出奔以降長が実質的に存在しない状態である彼ら第二師団は、ほとんど表に出ることが無くなっていた。

「それにディスト様が残された音機関のチェックもありますし、シンク様やフローリアン様が困りますでしょう?」

 その理由は主に、ライナーが挙げたものがある。サフィールはローレライ教団内部で使用されている音機関の点検を全般的に扱っており、その配下も長がサフィールと言うことで音機関関係の作業に駆り出されることが多い。結果、意図的では無いにせよ第二師団は譜業に関するエキスパートが多く所属することになった。
 教団内部で扱われる音機関には構成員たちの生活に関わるものも数多く存在するため、その保守点検能力を持つ第二師団は例えその一部であってもダアトに留まることが望ましい。それにかこつけてライナーは、出立の指示をさらりとかわして来たのだった。

「ま、確かにね。僕もフローリアンも、下手にここで顔出せないし」
「良かったぁ」

 そうしてライナーがダアト残留を希望したもうひとつの理由である2人の少年は、良く似た顔を見合わせた。シンクは苦笑を、フローリアンは無邪気な笑みを浮かべる。この表情の違いが、2人が別人であることをライナーの胸に刻み込んでいるのだ。

「それで、シンク様。主席総長がどちらにおられるか、情報をお持ちではありませんか?」
「うーん……さすがに僕も、アジト全部知ってる訳じゃ無いからねえ……」

 そう尋ねられて、シンクはフローリアンと同じように首を傾げた。レプリカ計画を実行するに当たりヴァンが用意した潜伏先の全てを知っているのは、ヴァンを除けばリグレットただ1人では無いだろうか。彼女以外の六神将はそれぞれ一部しか知らされていないし、特にアッシュはほとんど知らないはずだ。

「シンクにも、知らないことあるの?」
「そりゃあるさ。僕だって世界の全部を知ってる訳じゃない」

 フローリアンの、世間を知らない故かそれとも天然かは分からない疑問に小さく溜息をつく。彼も自分も、まだこの世界に生を受けて2年と少し……それで、世界の全てを知っているはずは無い。
 子どもたちの会話を見比べていたライナーだったが、やがて表情を暗くした。その口から漏れたのは、2人の焔やその仲間たちも脳裏に浮かべた、単純な疑問である。

「……主席総長は、ジェイド・カーティスをどうするつもりなのでしょうか」
「そりゃ利用するんでしょ。そうでなきゃ殺してる」

 単純な疑問に、単純な答え。その知能を買われヴァンの片腕とも言える参謀総長として働いていたシンクは、ヴァンが考えそうなことくらい推測がつく。
 今ここにいるライナーはサフィールの付き人をやっていた人物であるから、彼のことについては多少なりとも情報を持っているだろう。それをつき合わせれば、ほぼ確実な結果を出すことが出来る。

「……死霊使いは確か、フォミクリーの原理を考案したんだったね。最初は譜術で、その欠点を補うためにディストが音機関を開発したって」
「余り詳しくは存じませんが、確か概要はそうだったかと」
「なら、ヴァンの目的は音機関を使わないフォミクリーだね。何を複製するかまでは分かんないけど」

 やはりそうか、とシンクは胸の内だけで呟く。それ以外の理由でジェイドが狙われるのは考えづらいからだが、ライナーにはそれがいまいち分からなかったようである。

「かの死霊使いですから、その頭脳や譜術では無いのですか?」
「死霊使い程度の頭脳なら、ヴァンとリグレットに適当な頭の良い奴何人か付ければ太刀打ち出来るさ。譜術だって、ヴァンには第七音素の素養がある。その一点で奴は、死霊使いの上を行く」

 自身の持つ情報を元に、シンクはライナーの疑問に答えた。ヴァン・グランツがジェイド・カーティスを手中にすると言うことは、そこに何らかの利点を見出したと言うことなのだ。その利点をシンクは、ジェイドにしか扱えない譜術フォミクリーであると看破していた。

「だけど、譜術によるフォミクリーを操れるのは死霊使い1人しかいない。ディストも多分、自分自身で再現は出来ないと思うよ。出来るんならあいつの性格上、試作品のひとつやふたつはあってもおかしくないし……それに、そんなのがあったらディスト、自慢するだろ?」
「……なるほど。確かに、ディスト様でしたらそうですね……はは」

 元の上司であったサフィールの性格をずばりと言い当てられ、ライナーは顔を引きつらせながらも頷くしか無かった。


 少年を確認したリグレットの表情が、ほんの少し緩む。それは仲間を労る表情にも見えたが、シンクにはその表情を受け入れる気はもう無かった。
 この女は、傷ついた自分を抱きしめてくれることなど無かったから。
 人の温かさを知らなかった頃なら、それでも良かった。けれど今のシンクは、自分を抱きしめてくれたジェイドの腕の感触を知っている。
 故に少年は、不機嫌さを顔から打ち消すことをしなかった。

「全く。生きていたのなら連絡の1つも入れんか。閣下も案じておられたぞ」
「嘘つき」

 リグレットの気遣いの言葉を、一言で切り捨てる。小柄ながら全身から威圧感を漂わせることで、シンクは自分の傍に兵士たちが近づかないようにした。ここに辿り着くまでに何人もの兵士を奇襲で倒してはいるけれど、ここでそれは通用しないだろう。
 そうしてシンクは、妨害を受けること無くジェイドの傍まで辿り着いた。ここまで来てもリグレットには、シンクの意図が理解出来ないようだ。彼女はまさか、この幼子が自分たちを裏切るなどとは考えていないから。

「ヴァンにとって僕は、ただの使い捨ての道具だろう。こいつと一緒でさ」
「……何?」

 青い手を取りながらシンクが吐き捨てた言葉を聞きとがめ、リグレットが顔をしかめる。その彼女の目の前で少年は軍人の顔を見上げ、命じた。

「死霊使い。僕についておいで」
「はい」

 こくり、と素直に頷き、ジェイドはシンクの手を握りしめる。表情こそまるで変化しなかったけれど、手を握られたことでほんの僅かジェイドの気持ちが理解出来たような気がする。
 子どもが自分の思いを受け入れてくれて、この大人は嬉しいのだと。

「シンク!?」
「ぎゃおう!」

 ここまで来てやっと、少年の真意に気づいたリグレットが慌てて譜業銃を構える。だが、トリガーを引くより一瞬早くグリフィンの爪が銃身を跳ね飛ばした。その間にシンクはジェイドの手を引き、ラジエイトゲートの入口へと導いた。「ここにいて」と彼に囁いて、飛びかかって来た兵士たちを連続蹴りで地に伏せさせる。と同時に少年の全身が光った。音素たちが、シンクの思いに共感したのかも知れない。


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