紅瞳の秘預言 83 狭間

「悪いけど、こいつの身柄は僕が貰い受ける。このままあいつらと殺し合わせるようなことには、させないからね!」

 そのまま次々と兵士たちの首を折り、胸をぶち抜きながら少年は叫んだ。己の武装を失ったことで兵士たちへの指示に集中していたリグレットは、ぎりと憎々しげにシンクを睨み付ける。

「貴様……姿をくらましていたのは、閣下に反逆するためか!」
「ま、そんなところ」

 薄く笑み、シンクは地面に掌を叩き付けた。音素が彼を守ってくれているこの状態でなければ発動させることの出来ない、ダアト式譜術を展開させるために。

「アカシック……トーメントぉ!」
「く……ぁっ!」
「ぐあぁっ!」
「くおぅ!」

 ばさりと空に逃げたグリフィンと、咄嗟に身を引いたリグレットにその力は届かなかった。しかし、神託の盾兵士たちはその多くが吹き飛ばされ、生命を失って行く。そうで無い兵士たちも混乱に陥り、シンクたちから意識が逸れた。
 元より、一発勝負に近いこの譜術で決着を付けられるとはシンクは考えていない。敵を混乱させ、自分たちが態勢を立て直すための時間稼ぎだ。グリフィンには外で待機し、ジェイドの同行者たちがこの島を訪れることがあれば手伝うよう言い含めてある。

「おいで!」

 素早く駆け戻って来たシンクに手を取られ、命を受ける。どこかほっとしたような表情でジェイドは、「はい」と頷いた。


 ジェイドに出来ること、ジェイドにしか出来ないこと。そして、ヴァンにとって必要なこと。
 それらを重ね合わせ、シンクとライナーはヴァンの企みに辿り着いていた。

「ヴァンの目的は、外殻大地をぶっ壊して全部レプリカに入れ替えること。さすがに死霊使い1人では、そんなことは出来ない」
「そうすると……フォミクリー装置の複製でしょうね。中枢部だけでしたら小さいものですが、内部構造はディスト様ご自身しかご存じありませんし」
「そう言えばそうだっけね。譜業に関してはディストが専門でやってたから、僕はあまり知らないし」

 露骨に肩をすくめて溜息をつくシンクと、苦笑しながら食器を片付けるライナー。その2人を見比べてぽかんとしていたフローリアンに、シンクは顔を向けた。

「……フローリアン。ここを出ようと思うけど、着いてくる?」
「え、どこ行くの?」
「ケテルブルク。あそこなら、貴族が多いせいもあって軍部隊がしっかり配置されてる。案外グランコクマよりも安全かも知れないしね」

 シンクが挙げた街の名に、ライナーは納得して何度も頷く。同じ『兄弟』とは言え既に何度も実戦をこなしているシンクと違い、フローリアンは外見年齢相応の教育すら満足に受けていない。シンクがこれからどこに向かうにせよ、連れて行く訳にはいかない。かと言っていつまでもこの狭い部屋に閉じ込めておく訳にもいかないだろう。

「なるほど。そう言えば、現在あの街の知事は……」
「ネフリー・オズボーン……死霊使いの妹さ。事情を話せば、こいつのこと預かってくれると思うよ」

 ライナーの言葉を引き継いで、フローリアンに言い聞かせるシンク。フローリアンの方は「ジェイドの妹」と言うその一点に、興味を引かれたようだ。
 自分を世界に生まれさせてくれた人の、妹。

「わあ、僕会いたい。ねえねえライナー、僕ケテルブルク行きたい!」

 満面の笑みを浮かべ、自身の願いを口にする少年にライナーは冷や汗を浮かべた。自分が何を言っても、この少年はもう雪の街に行くつもりなのだろう。イオンもシンクも、かなり頑固なところがある。同じ生まれ方をしたこの少年も、それはきっと同じだろう。

「え? ええ、まあ、定期船に乗るなりすれば行けると思いますが……あ」

 通常使われるべきルートを通りダアトからケテルブルクに向かうには、どうしても時間が掛かる。だが、ライナーには思い当たる節があった。それで思わず、声を上げる。

「どうしたの?」
「飛晃艇アルビオールがあります。キムラスカ・マルクト両国との終戦後の協定について、鳩より早いので書類を積んで飛び回っているそうです」

 ジェイドの知る『前の世界』よりも早く、『この世界』ではアルビオールの存在が周知されて来ている。その速度と確実性が、重要書類のやり取りにかなり重宝されているようだ。

「へえ、そうなんだ」
「確か、もうそろそろダアト港に到着するはずですよ。マルクト領に向かうようでしたら、乗せて貰えるよう交渉してみては如何でしょうか?」
「そうだね。ありがと」

 こくんと頷いて、少年はごく当たり前のように礼の言葉を述べる。「いえいえ」と答えてくれたライナーの表情を見てほっとする自分を、シンクは理由も無しに嬉しく思った。


 階段代わりの巨大な骨格を、ジェイドの腕を引きながら駆け下りる。ある程度深くまで進んだところで、シンクは一度足を止めた。自分は平気だが、ジェイドの方が体調を崩しているようにも思えたから。

「僕が分かるかい? 死霊使い」

 壁際に腰を下ろさせて、その顔を覗き込む。レンズの奥にある真紅の瞳は、虚ろなままシンクの顔を見つめ返していた。
 少しの空白の後、ぽつり、とジェイドは呟いた。

「……六神将、『烈風のシンク』。イオン様の……兄弟」
「うん」

 ちゃんと名を呼んで貰えた。それだけで、少年はほっとしたように表情を崩す。青ざめた頬をそっと撫でながら声をひそめ、ゆっくりと彼に言葉を伝える。

「頼まれた僕らの兄弟……フローリアンって言うんだけど、ちゃんと見つけたよ。ケテルブルクに送ったから、今頃はあんたの妹んとこにでも預けられてると思う」
「……」

 小さく頷いたジェイドの目が、僅かに細められる。それでシンクは、彼の感情が動く理由に気づいた。

 こいつ、自分のことはどうでも良いんだ。
 自分じゃ無い誰かが、僕たちが助かったことにしか、喜ぶことが出来なくなってる。

 一度目を伏せて、冷静な表情を作る。それから顔を上げてシンクは、ゆっくりと言葉に力を込めてジェイドに言い聞かせた。

「フローリアン、あんたに会いたいって言ってたよ。だから気をしっかり持って、帰らなきゃ」
「……けれど……私は、あの人には逆らえない」

 小さく首を振り、ジェイドはぽつりぽつりと呟く。苦しそうに首元を掴んだ手が、微かに震えていた。その仕草にシンクは眉をひそめ、ジェイドの顔を覗き込む。

「ヴァンの奴に何かされた?」
「……ここ、に」

 問われたことへの答えは、その手が動くことで示された。自身の首筋を押さえた手の震えが、止まらない。
 元々マルクト軍の制服は露出度が極端に少ない。中でもジェイドのそれは色も濃く、その内側にどんな変化があったとしても分かりにくいのだ。だが、ジェイドの手が示したと言うことはその中に何かがあるはず。

「首筋……? 見せて」

 少し口調を強めると、ジェイドはおずおずと襟元を緩めた。黒のアンダーの中から現れた白い首もとに、じんわりと幾つかの痣が出来ている。良く見るとそれは、注射針の痕のようだ。

「薬物投与の痕、か」


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