紅瞳の秘預言 84 物語

「──ちょうどそこにアッシュたちが到着して、僕たちは危ないところで助かった。後はまあ、大体分かるよね」

 語り終えてシンクは、小さく溜息をついた。テーブルに置いてある冷めた紅茶を手に取り、一気に飲み干して喉の渇きを消し去る。カップがテーブルに戻されるまで、室内を静寂が支配していた。
 グランコクマにある宿の広い一室に、ルークたちは集まっている。そこでシンクから、ラジエイトゲートで彼とジェイドの身に起きた一件について話を聞いていたのだ。そこにはイオンやフローリアンも同席しており、特にフローリアンは自分の知らない世界の話に興味津々の表情で聞き入っている。

「じゃあ、シンクがいなけりゃ本気でジェイド、やばかったんだ……」
「まあね。けど、結局は僕自身守られる形になった。さすがにあれは驚いたよ」

 恐る恐る自分を覗き込むように見つめて来るルークの視線に、苦笑を浮かべる。ヴァンの陰謀の駒として『作られた』この焔は、考えようによっては自分の兄に当たる。お人好しの感があるこの兄と彼を取り巻く仲間たちを守ろうとして、ジェイドがどれだけ苦労を重ねたのかは想像に難くない。
 その『仲間たち』にどうやら自分が入っているらしいことに、シンクは嫌悪感を持つことは無かった。自身を空っぽだと思っていた以前のシンクでは無く、ジェイドが伸ばしてくれた手を掴むことが出来た今の彼だからだろう。

「ジェイドって、とっても優しい人なんだね」
「そうね。最初はもっと冷たい人かと思ったのだけど、思いやりのある人だわ」

 シンクの心境を知らず、純粋に感じたことをフローリアンは口にする。彼にクッキーを手渡してやりながら、ティアはふんわりと優しい笑みを浮かべた。
 フローリアンよりも少しだけ大人びた、どちらかと言えばティアに近い微笑を湛えてイオンが頷く。

「当然ですよ。ジェイドは僕たちや、それにルークのお父さんですからね」
「イオン様、それが持論ですよねえ」

 彼の隣に陣取っているアニスは、はあと大袈裟に溜息をついて肩を落とした。きょとんと目を丸くしているアリエッタの視線に気づきはしたけれど、特に説明をすることでも無いだろうと彼女は言葉を続けることはしなかった。
 不思議そうに首を傾げるだけのアリエッタに対し、シンクは疑問点を即座に言葉にして挙げた。ただし、2人の疑問は恐らく異なるものだろうけれど。

「持論って……いつ頃から言ってたのさ、導師」
「だーいぶ前から。えーと……」
「みゅみゅ。フーブラス川を渡った後くらいからイオンさん、ジェイドさんがパパさんだって言ってたですの」

 考え込んでしまったアニスに代わり、何故かミュウが即答する。空色のチーグルはテーブルの上をとことこと走り回りながら、様々な種類の茶菓子を集めることに夢中になっていたはずだが。

「まあ。本当にかなり前からですのね」
「俺がルークたちと合流してすぐじゃ無いか。確かになぁ」

 その当時にはまだジェイドとの面識すら無かったナタリアが頬を押さえ、感心したように目を見張る。ガイが当時のことを思い出しながら髪を掻くのを見ていたミュウが、ふと何かを考えるように首を傾げた。ややあって、「みゅっ」と声を上げる。

「思い出したですのー。言い出しっぺはガイさんですのー」
「うわ、そうだっけ?」
「はいですの! ジェイドさんがいつからご主人様のパパさんになったんだーって言ったですのー!」

 小さな手を大きく広げ、耳をぱたぱたと振り回しながら楽しそうにミュウが言う。そんなことはすっかり忘れていた当の本人は、しばし呆然とした後にやっとその時のことを思い出したようだ。
 しかし、確かあの時は誰にも聞こえないよう小声で呟いて、けれどジェイドには聞かれてしまったと言う状況では無かったか。

「ガイ、そんなこと言ったっけ?」
「……旦那以外には聞こえて無いと思ってたのに……しまった……」

 ぽかんと目を丸くしたルークの視界の中で、ガイは思わず頭を抱えていた。
 ミュウは、自分たちと同じ人間では無く魔物である。しかもチーグルは草食獣で、他の肉食獣から捕食される存在だ。天敵から逃げ切るために、聴覚が発達していてもおかしくは無い。
 故に、人間にはほとんど聞き取れない小さな声を聞くことが出来てもおかしくは無い。そのことを青年は、すっかり失念していたようだ。

「まあ、その話は横に置いておけ」

 ガイを見かねたらしいアッシュの苦笑混じりの一声で、ミュウは「はいですの」と全身を使い大きく頷いた。そうしてちょこんと腰を下ろし、人間たちを眺めることに集中する。
 チーグルの仔が大人しくなったところを見計らい、アッシュはイオンに目を向けた。気持ちを切り替えたのか、彼の表情は真面目なものになっている。

「だが導師。その、ルークがジェイドの父親だと感じた時だが……貴方はその頃はまだ、ルークがレプリカだと言うことは知らなかったはずだな」
「ええ、知りませんでした」

 こくりと頷いて、イオンはアッシュの問いに答えた。あの場にいた人物の中でその事実を知っていたのは、『未来の記憶』を持っていたジェイドだけだっただろう。

「ですから純粋に、ジェイドの態度からそう思っただけなんです。ガイもそうですよね?」
「ああ。噂に聞きし死霊使いが、あそこまで子どもの面倒見が良いなんて思わなかったしな」

 イオンに視線を向けられて、ガイも頷いた。つまり、周囲から見てジェイドがルークの保護者たるべき態度をとり続けていたと言うことがこれで分かる。
 当時その場にはいなかったアリエッタは、ここまでじっと話を聞いていた。頬に指先を当ててしばらく考え込んでいたが、ぬいぐるみを抱き直すと自身に理解出来た範囲で確認するように問いの言葉を紡ぐ。

「最初から、ジェイド、ルークのこと知ってたの? だから、おとうさん、頑張った?」
「そうだったのかも知れませんわね。初めから大佐は、ルークがレプリカだと言うことをご存じだった。7年もの間ファブレの屋敷に閉じ込められて、外の世界を何も知らないことも」

 なるほどと頷いた後、ナタリアが呟いた。
 だからあの人は、ルークが知らないことを丁寧に教えた。

「アクゼリュスに辿り着けばルークが死ぬ、って言う預言があることもあらかじめ分かってたんだね。それを知らないまま進んでっちゃったら、ルークが大変なことをしちゃうってことも」

 アリエッタと同じようにトクナガを抱きしめながら、アニスが続いた。
 だからあの人は、自分が身代わりになってまでルークの心を守ろうとした。

「俺の身元を知っていたのも、それでなんだよな……自分を恨めって言ったのも」

 短い金の髪をがりがりと掻いて、ガイが顔をしかめる。
 だからあの人は、カースロットに冒された彼の攻撃を避けようとはしなかった。
 全ての原点は、結局のところ彼が知っていたと言う『預言』に繋がる。

 世界を救ったものの最後には己が滅びると言う、自身にとっての終末預言をな。

 愚かな男よ。いずれにせよ己は死すと言うのに、それでも世界を守ろうと足掻く。

 ヴァンが、リグレットが口にした『ジェイドが知る、本来の預言とは異なる預言』。『夢』を見た者たちにはその内容が類似していることで恐怖を抱かせ、そうで無い者たちには疑問と戸惑いを抱かせた。
 ユリアが2000年の昔に遺した破滅の預言と矛盾する、紅瞳の譜術士が持つ預言。その中で世界は滅びず……しかし、預言を持つ彼は死を迎えると子どもたちは告げられた。
 それでも、結局のところ彼らの思いはヴァンに対してサフィールが吐き捨てた、1つの結論で一致する。

「でも、ネイス博士の言葉じゃ無いけれど『だからどうした』よね」

 溜息混じりに、ティアが呟く。『夢』を知る者は、知ったときからその『夢』が現実とならないために戦うことを決めていた。

「だな。元々俺たちは、第七譜石の預言を知ったときからその預言を現実にしないために戦ってるようなもんだ」

 青い眼を細め、ガイが言葉を紡ぐ。初めて預言を知った者も、その預言を持っていた軍人には死んで欲しく無かった。

「師匠はジェイドが悪いんだって思ってたみたいだけど、でも俺はジェイドのおかげでいろんなことを知ることが出来たし、何度も助けられた」

 朱赤の髪を揺らして、ルークが部屋の天井を見上げた。2つの預言のどちらにも世界が進まないよう、かの軍人が仲間たちの目に見えぬ努力を重ねていたことも今なら分かる。
 だから、いずれにせよ結論は変わらない。
 ひとつの預言が回避出来るのだから、もうひとつくらい回避出来るはずだ。


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