紅瞳の秘預言 84 物語

 こんこん、と扉を叩く音がした。ややあって、開いた扉の向こうからサフィールが顔を覗かせる。くるりと室内を見渡してから、少し疲れたようなレンズの奥の眼を細めた。

「ただいま。皆さん揃ってますね」
「お帰り、ディスト。ジェイドは?」

 するりと入室してきたサフィールに、ルークが問う。朱赤の髪を撫でてやりながらサフィールは、「誰が担当したと思ってるんですか」と呆れた声を上げた。そうして、言葉を続ける。

「意識の方も何とか持ち直しました。で、例のお話なんですが」

 来たな。

 誰とも無く、胸の中で囁かれる言葉。アッシュが鋭い視線を彼に向けると、サフィールは片目を軽く閉じて見せた。

「全員連れて来い、とピオニーから言われましてね。着いて来てくれませんか?」
「……やはり、謁見の間じゃ無いんだな」

 少しものを含んだようなサフィールの言い方に、アッシュが平然と答えた。
 ピオニー皇帝への謁見であれば、本来なら王城の謁見の間で行うのが当然だ。しかし今回は、内容が内容なだけにそうも行かないだろうと彼は踏んでいた。
 『ユリアのものと異なる預言』の話など、いくらローレライ教団から距離を置いているマルクトとはいえ公衆の面前で出来るものでは無いのだから。しかも、教団のトップであるイオン同席の場で。

「ええ。さすがに内密のお話ですし、ジェイドもそんなに体調が戻った訳じゃ無いんで病室でやります」

 そのくらい、元同僚である真紅の焔は分かっているだろうと銀髪の学者は予測していたらしい。アッシュの反応に満足したように、にんまり微笑む。

「第三者に聞かれる心配は無いのですか? ネイス博士」
「軍の病院ですし、そこら辺は徹底してます。それに、ジェイドが入ってるのは個室ですから」

 神託の盾では情報部所属であるせいか、ティアは情報の漏洩が気になったようだ。だから、サフィールの澱みの無い答えにほうと胸を撫で下ろした。
 話が一段落したと見て、シンクが立ち上がった。フードを被り顔を隠しながら、皆に声を掛ける。

「んじゃ、行こっか。皇帝待たせる訳にも行かないだろ」
「そうですわね」

 ナタリアが頷いたのを合図に、皆が部屋を出るために立ち上がる。その中でアリエッタは、ふともう1人のイオンの兄弟に視線を向けた。

「ねえねえ。フローリアンは、どうするの?」
「僕?」

 1人椅子に座ったままホットミルクを飲んでいたフローリアンは、不意に自分の名を呼ばれてきょとんと目を丸くした。恐らく、自分はジェイドたちと旅をしたことが無いから関係無い、とでも無意識のうちに感じていたのだろう。
 だが、彼自身『預言』には……自分の知らない何かには、とても興味がある。
 せっかくならば、聞いてみたい。

「……僕も一緒に、お話聞いて良い?」
「まあ、問題は無いでしょう。ジェイドも何も言ってませんでしたし」

 無邪気な問いに少し考えて、サフィールは頷いた。フローリアンの存在自体、ジェイドの『預言』が無ければ自分も知らなかった。先に知ることが出来たからこそ、シンクの力を借りて救出することも出来たのだ。
 彼にも、知る権利はある。

「良かったですね。ちゃんと大人しく聞いてるんですよ」
「はーい」

 注意をしてくれたイオンに無邪気に笑って見せて、フローリアンは椅子からぽんと飛び降りた。


 数か月ぶりに、青い空が戻ったケセドニア近郊の街道。マルクト帝国の紋章を付けた小型の陸艦が、国境の街を目指して進んでいる。
 艦内では青い軍服を纏った銀髪の将官と、赤い軍服を纏った金髪の将官がテーブルを挟んで言葉を交わしていた。アスラン・フリングスとジョゼット・セシルである。

「もうすぐケセドニアです。少将以下キムラスカ軍人各位の身柄は、そこでキムラスカ側に引き渡されることになっています」

 アスランの説明を聞いて、ジョゼットは穏やかに頷いた。
 ルグニカ大陸の大部分が魔界に降下した折、戦場は大混乱に陥った。その中でジョゼットは必死に部隊をまとめ、近くの街へと後退させた。その街にはアスランを師団長代理としていたマルクト軍第三師団が展開しており、戦闘の継続を諦めたジョゼットは部下の身柄の安全を条件に投降した。
 ルグニカの降下を事前に知っていたアスランは、大多数の部隊とは対照的に素早く第三師団をまとめ上げた。一般市民の保護を徹底させ、投降して来たジョゼットの部隊をも受け入れると『人手はいくらあっても足りない』と理由を付け協力を要請した。負傷者の治療や降下時の衝撃により壊れた建造物の修復などを力を合わせて進めて行くうちに、最初は頑なだった互いの態度も軟化してきた。
 そうして外殻大地の全降下が完了した後、世界は以前の通りに再び繋がれた。戦地にはグランコクマからマルクトの、バチカルからキムラスカの特使が派遣され、戦争の終結と軍部隊の撤収が指示されている。それはアスランとジョゼットの元にも届けられたが、ジョゼットとその部下は投降したと言うことで名目上はマルクト軍の捕虜とされていた。故に彼女たちの身柄はマルクト軍第三師団が中立都市であるケセドニアまで護送し、そこでキムラスカ側に返還することとなったのだ。
 その中で、双方の指揮官であるアスランとジョゼットの間には、ある種の感情が育ちつつあった。それは部下から見ても、世話になっていた一般市民から見ても至極分かりやすいものであり、周囲に知られていないと思っているのは当人たちだけだっただろう。

「自分と部下の身柄を丁寧に取り扱ってくれたことには、大変感謝しています。フリングス少将」
「いえ。あの状況ではいずれが勝者、敗者と言うわけでもありません。手を携え目の前の問題に立ち向かうのが当然と愚考したまでのことです」

 会話を交わす2人の頬は、ほんのり赤い。
 ジェイドの持つ『記憶』でも出会い、互いを慕う仲になっていた2人だったが、『この世界』でもそれは変わらないようだ。無論、この2人はそれを知る由も無い。『記憶』をピオニーから知らされているアスランも、さすがに己の運命に関する事象は伝えられていなかった。
 故に、アスランがジョゼットに掛けた言葉も預言によらず自ら考え、伝えるべきと決めたものだ。

「セシル少将。機会がありましたら、また会ってはいただけませんでしょうか?」
「それは戦場で、ですか? それとも……」
「無論、平和な世界でです」

 戦場でなど、二度とまみえたくない。その思いをアスランは、力と共に言葉に籠める。言葉にこそしないものの、ジョゼットと思いを同じくしていると信じて。

「……自分は……」
「セシル少将」

 口ごもりながらも答えようとしたジョゼットの言葉を、アスランは思わず途中で止めた。混乱した状況の中で辿り着いた、性急な結論は聞きたくない。
 それに、セシルと言う姓はアスランも聞き覚えがあった。
 ホドで滅びたガルディオス家に嫁いだ、ユージェニー・セシル。キムラスカでは売国奴と罵られた女性であるが、マルクト側では逆に『キムラスカに生まれながら、嫁いだマルクトを母国と愛した女性』として尊敬されている。彼女の遺児であるガイラルディアとジョゼットはどこか似た容姿を持っており、つまりジョゼットはユージェニーの縁者であろうと言う想像は簡単に付けられた。
 セシル家がユージェニーの一件により没落したらしい、と言う話はマルクトにも届いている。であれば、ジョゼットが自分を拒否する理由はそこにあるだろう。彼女は自身の生家を復興させたい。そのため、マルクトの人間であるアスランと心を通わせることに戸惑っているのだ。かつてユージェニーが辿った道を、再び進んでしまうのではないかと恐れて。

 それでも私は、貴方を迎えたい。
 せめて、国の事情に関係無く、貴方の気持ちを聞きたい。

 だからアスランは、あえてジョゼットを止めた。きっと彼女はまだ、ユージェニーの忘れ形見が生きていることも知らない。その青年がマルクトの死霊使いともキムラスカの公爵子息とも心を通い合わせ、世界を救うために戦っていることも。
 人の思いに、国境は関係しないのだ。それを彼女に知って貰ってからでも、遅くは無い。

「お返事は、落ち着いてからで構いません。世界の急な変革で、キムラスカもお忙しいことでしょうから」
「……ええ」

 彼の言葉を聞いて、ジョゼットはほっと息をついた。彼女の中にはアスランと寄り添いたいと言う女性としての気持ちと、セシル家復興のためにはマルクトと結びつくわけにはいかないと言う貴族としての気持ちが並立している。今のジョゼットにどちらかを選べ、と言うのは酷だろう。
 だから、と言うわけでも無いだろうが、ジョゼットはふとアスランに問うた。

「これから世界は、どうなると思われますか?」
「さあ」

 穏やかに笑みを浮かべながら、銀髪の将校はほんの僅か首を傾げる。だが、すぐに彼の口から答えは出た。

「少なくとも、平和にはなるでしょうね。オールドラントの民は、これ以上の戦乱を望んではいませんから」
「同意します」

 ジョゼットも頷いて微笑む。そうして、ふと窓の外に視線を走らせた。
 青い空と、遠くに霞む音譜帯。森は風にざわめき、鳥が飛び交っている。
 この光景を二度と戦で荒らしたくは無いと、彼女はそう思った。


PREV BACK NEXT