紅瞳の秘預言 84 物語

 ジェイドの話は、予想以上に長く掛かった。ベッドの上に上半身を起こしている状態のジェイドは時折話を中断し、深く息をつく。その度に横に座っているサフィールが背をさすってやったり、水を飲ませたりと甲斐甲斐しく世話をした。
 それでもジェイドが話を止めることは無く、また子どもたちも根気良く彼の語る話に聞き入っていた。知りたかったことがその中に、たっぷりと詰め込まれていたからだろう。

「……私が『覚えて』いるのは、ここまでです」

 大爆発を起こし、1人になったルーク……アッシュが帰還したところまでを語り、ジェイドはそう言って物語を締めくくった。ふう、と長く息を吐いて、それから皆の顔をゆっくりと見渡す。

「その後、『あちら』の私や皆がどうなったのかは分かりません。恐らく、記憶していても意味が無いからでしょう」

 真紅の視線が止まったのは、その『未来』で生き延びることの出来なかった朱赤の焔の上。その当人は、ジェイドと視線が合うと戸惑ったようにきょろきょろ周囲を見回した。

「……」
「ルーク?」

 訝しげに首を傾げるジェイドに名を呼ばれ、ルークははっとしたように動きを止めた。長いままの髪をがりと掻いて、言い訳がましく言葉を連ねる。

「……あ、えっと、ごめん。その、やっぱりいろいろごちゃごちゃしちまって」
「そう、でしょうね」

 今まで自分が経験して来た旅路とは違う、もう1人の自分の経験。消えて終わったその人生の最後を、ルークはほんの少しだけ『知って』いる。
 しかし、それを顔に出すことは無い。少なくとも今ここにいるルーク・フォン・ファブレは、ジェイドの『知っている』ルークとは違う道を辿っているのだ。その道へと導いてくれたジェイドに、ルークは礼を言う。

「でも、ありがとう。ジェイドのおかげで、俺……」
「……」

 言葉を繋ぎかけて、ルークはジェイドの意識が飛びかけていることに気づいた。体調を崩しているところに長い話をさせてしまったのだ、仕方の無いことだろう。

「あ、ご、ごめん。しんどいんだろ? 寝てくれよ」
「そうですね。寝ちゃって良いですよ、ジェイド」

 狼狽えたルークの頭をぽんと軽く叩いてから、サフィールも口を添える。ぼんやりと2人の顔を見比べていたジェイドだったが、やがて僅かに表情を綻ばせた。恐らくは朱赤の焔を安心させるための笑顔で彼は、小さく頷く。

「……では、お言葉に甘えて」
「うん。おやすみ、ジェイド」
「おやすみなさい……」

 サフィールの手で横たえられながらジェイドが口にした言葉の最後は、ほとんど聞き取れなかった。ほんの数瞬ですとんと眠りに落ちたジェイドに毛布を掛け直し、サフィールはベッドから立ち上がった。

「まあ、ジェイドの『預言』については理解出来たな? 皆」

 腕を組み、壁にもたれてじっと話を聞いていたピオニーは、そこでやっと壁から離れた。明るい金の髪を軽くなびかせながらゆっくりと、自分に視線を向けた子どもたちに歩み寄る。彼が目を向けた先は、緑の髪を持つ導師の少年。

「確認しておく。ジェイドの知ってる預言はユリア・ジュエの預言とは違う。そうだな? 導師」
「はい。第六譜石の最後……アクゼリュスについての部分から変わっていますね。我々の経験とも、無論異なります。お預けしてある第七譜石ともまるで違う内容です」

 イオンは真剣な表情で頷いた。タルタロスに降りかかって来た第七譜石は現在、マルクトに存在するはずだ。ユリアの預言に依存していたキムラスカや原理主義のモースに引き渡すわけにはいかなかったから。

「ここ数年でマルクトが滅亡するかしないか。それだけでもかなり違うからなあ」
「モース様、始祖ユリアの預言を盲信してますからねー」
「第七譜石をお渡ししなくて、本当に良かったと思っています」

 その譜石に刻まれた預言の内容を知っているガイが一部を思い出し、アニスが肩をすくめ、ティアが溜息をつく。あの大詠師は、自らの信じる預言が星の破滅を記していたと知ればどのような行動に出るのか、想像も付かない。
 だが、ジェイドの『預言』の世界ではその最期は回避された。少なくとも預言が……ユリアの預言ですら絶対のものでは無い。そのことを子どもたちは幾度と無く経験し、そして確信している。
 ジェイド・カーティスも預言が絶対では無いと信じていたから、自分の見た『未来』へと世界が進まないよう様々な手を打ち、自らも動いた。

「各自、思うところはいろいろあるだろう。けど、ジェイドが自分だけの預言を手にしてから何を考え、どう行動したか……それは皆分かってくれていると思う」
「はい」

 それを分かって欲しいと言う思いを籠めたピオニーの言葉に、皆は頷いた。
 アクゼリュスの住民たちは、街と共に滅びること無く助かった。
 ルークとアッシュは仲違いすることも無く、互いを自らの兄弟と認めて手を携えた。
 その結果は、ジェイドがそうあって欲しいと願い、動いた結果。

「そして、その行動に許可を出しバックアップしたのはこの俺だ。だから、文句があるなら俺に言え」

 この世界でジェイドの次に彼の『記憶』を知った金の髪の皇帝は、そう言ってふんと胸を張る。当然、この場にいる全員がそんなことは出来ないと分かっていてのことだろう。
 つまり、ジェイドの思いに文句は言わせないと言う、ピオニーなりの無言の圧力。

「無茶言わないでくださいよ、ピオニー。貴方、仮にもマルクトの皇帝でしょうが」
「まあな。……俺を皇帝だと一番認めてないのはお前だろ、サフィール」

 その圧力がほとんど効果を為さない幼馴染みが上げた呆れ声に、ピオニーはぺろりと舌を出して見せた。
 もっともこの銀髪の彼は、ジェイドの行動に同調したからこそこの場にいるのだけれど。


 ジェイドの病室を出たところでアッシュは、すっとピオニーに近づいた。足音をほとんど立てないのは癖だが、意図的に声を落とし話しかける。

「……陛下」
「何だ?」

 僅かな気配を感じ取っていたのか、横目でちらりと伺いながらピオニーは平然と問い返す。その剛胆さに感心しつつ、アッシュは言葉を続けた。

「後で、お話があります」
「……ジェイドに聞かれたくない話か?」

 ほんの一瞬だけものを考える表情を浮かべてから、ピオニーが問うて来た。確かに、ジェイドに聞かれても構わないのであれば先ほどの、彼の話が終わった後で口を開けば良いだけのことだ。だが、すぐにそうだと感付く辺りはさすがと言うべきだろうか。

「はい」

 頷いたアッシュの表情に何かを悟ったのだろう、皇帝は海の色の瞳を鋭く細めた。だがそれは僅かな間のことで、すぐに落ち着いた笑みを浮かべるとアッシュの肩をぽんと叩く。それは許可を示す、端的な仕草。

「分かった。今夜は空いているから、俺の部屋に来い。衛兵にも言っておく」
「ありがとうございます」

 深く頭を下げ、アッシュはピオニーの背を見送った。
 紅瞳の譜術士が口にしなかった、『未来』のその後。
 自分たちが知るその光景を、何としても伝えなければならない。

 彼が、その結末を迎えることの無いように。


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