紅瞳の秘預言 85 夢境

「アッシュだけかと思ったが、えらく多いな」

 膝の上で小柄な双子のブウサギを撫でながら、ピオニーは客人の顔ぶれを見て眼を細めた。
 真紅の焔の言葉を受け、ピオニーは王宮内にある自身の私室で彼の来訪を待っていた。だが、夜になって彼の私室を訪れたのは彼だけでは無かった。
 2人の焔、彼らに寄り添う2人の少女、そしてイオンとシンク。その顔ぶれを見渡して皇帝は、「なるほど」と頷く。

「全員第七音譜術士か。フローリアンがいないのは、一緒に旅をしていないからと見て良いな?」
「さすがはピオニー陛下。そこまでお見通しでしたか」

 一目でそれを見抜いたことに、アッシュは感心して目を見張った。肘掛けについた手で顎を撫でながらにんまりと笑ったピオニーは、「適当に座れ」と子どもたちに着席を促す。

「ま、このくらい読み取れなくて皇帝はやれんしな。後、堅苦しい言葉は無しだ。で?」

 来客が腰を下ろしたところで、ピオニーは話の先を促した。笑みを浮かべてはいるものの、海の色の瞳に宿る光は真剣そのものだ。アッシュが『ジェイドに聞かせたくない』と言った話の内容が、よほど気になるらしい。
 そうして、皇帝の思いに答えたのは当の、真紅の焔であった。

「ジェイドの持つ預言について、です」
「……」
「ジェイドは、大爆発を起こしたアッシュが帰って来るまでしか『覚えて』いないと言っていましたよね」

 ピオニーが小さく頷いたのにルークが気づき、言葉を続ける。皇帝の膝の上で、2頭のブウサギたちがどこか不安げに子どもたちの顔を見上げた。その頭を、ピオニーの手がゆっくりと撫でてやる。

「ああ。少なくとも俺は、最初に聞いたときからそこまでしか知らないな。旅に送り出してからはちょっと分からんが、それまでは特にその先を『思い出した』様子も無かったし」

 2年ほどの記憶を辿りながら答えるピオニーをじっと見つめていたアッシュが、一瞬眼を細める。そして、軽く息を吸い込むと言葉を紡いだ。

「……その後の話を、俺たちは知っています」
「何?」

 ぴくり、とピオニーの眉が動く。自然な動作で膝の上にいたブウサギたちを床に降ろしてやり、椅子に座り直した。
 小さなペットたちが部屋の隅に引っ込むのを見送ろうともせず、一度目を閉じる。再び瞼が開いたとき、そこには有無を言わさぬ絶対の光が宿っていた。

「詳しく話せ。お前たちが知っている全てを」

 真剣な眼差しで発せられたその命令に、子どもたちは素直に従う。そもそも、その話をするために彼らはピオニーの私室を訪れたのだから。

 外殻降下の折に見た『夢』から始まり、ジェイドが音素乖離し消滅してしまう光景までを子どもたちは、交替しながらピオニーに語り終えた。主に『夢』を見た当人がその光景を語っていたのだが、ナタリアの実父がラルゴであることが判明した『夢』については仲間たちにも話したことが無かったため、そこでアッシュ以外の全員が驚くことにもなった。

「……なるほど。確かに、少なくともジェイドに聞かせられる話じゃねえな」

 口元を手で押さえ、ピオニーは僅かに視線を逸らしながら考え込むような表情になった。
 『前の世界』の記憶を、何故今のジェイドが引き継いでいるのかピオニーには分からない。預言士が預言を受け取るメカニズムと同様と考えるのがオールドラントでは一番自然だが、そもそもジェイドには第七音素を操る力は無い。もっとも『記憶』と言うものは第七音素を生み出す元となる記憶粒子に含まれているから、『前回の記憶』を含むそれをジェイドが何らかの形で受け取ったのだろう。
 ならば、その『前回の記憶』はどこからどうやって引き出されて来たのか。
 『前の世界』にいたジェイドが死し、音素乖離した際に彼の持つ記憶が記憶粒子として分離したのであれば、ローレライがその記憶粒子を『今の世界』に持ち込むことは可能なのでは無いだろうか。

「……とは言え、自分の最期まで覚えてる可能性は低いか。お前たちが見た限り、死ぬ寸前のジェイドはおかしくなってたんだろう?」
「はい。そう言うこともあって、大佐には知られないようにと皆で取り決めました」

 ピオニーの推測、そして鋭い指摘に全員が頷く。代表してティアが言葉を紡ぎ、その後にナタリアが続いた。

「大佐ご自身が覚えておられないならばショックは大きいでしょうし、もし覚えておられるのならば……私どもに知られたくなくて、お話くださらなかったのでしょうから」
「途中で思い出した、のかも知れません。ジェイドの『記憶』には多分にローレライが影響しているはずですし、そのローレライとの接触の中で忘れていたものが出て来たとしてもおかしくはありませんよね」

 イオンがシンクと顔を見合わせながら、自分なりの推測を言葉にした。シンクも頷いて、イオンよりも長い前髪を掻き上げる。

「ルークや僕なんかのことは気にする癖に、自分の生死にはかなり無頓着みたいだしね。……手間掛けさせてさ、ったく」

 吐き捨てるような口調ではあるけれど、疾風の二つ名を付けられたこの子どももまたジェイドを慕っていることはその寂しそうな表情で分かる。だからこそシンクは自我を失いかけたジェイドを救い、今この場にいるのだ。
 子どもたちの思考が一段落したところで、ピオニーが軽く姿勢を崩した。先ほどまでの鋭い視線はなりを潜め、普段通りの穏やかな光がその瞳には湛えられている。

「それで、お前さんたちはその『夢』を見てどう思った?」

 不意に投げかけられた問い。それにまず応えたのは、最初に『夢』を見た1人である朱赤の焔だった。

「……最初は、何が何だか良く分かりませんでした。何でいきなりジェイドが死んじゃうのか、それなのに何で笑ってたのか」

 アッシュよりも大きい碧の瞳が、少しだけ潤む。唇を震わせているのは、きっとその『夢』の光景を思い出してしまったからだろう。
 そのルークに寄り添い、腕を軽く抱きしめてティアが言葉を続けた。

「でも、終わりから時間を遡って行くことで、私たちは理由を知ることが出来ました。大佐はルークを亡くしたことが悲しかった……寂しかったのだと」
「僕の元に降りて来た、ユリアのものと異なる預言がルークたちの見た『夢』と同じものだって分かったとき、もしかしたら始祖ユリアやローレライは、その未来を今生きている僕たちに否定して欲しかったのかも知れないと思うようになりました。だからこそ、敢えて僕たちに『未来の夢』を届けたんじゃ無いかって」

 胸元の聖印を手の中に握りしめながら、イオンが言葉を口にする。アッシュの隣に当然のように控えているナタリアは、少し戯けたように微笑みながら少年に続いた。

「ですから私たちは『夢』の情報を共有して、大佐が亡くなられずに済むような未来を迎えたいと考えたのです。無論世界の未来は大切ですわよ? 世界が壊れてしまったら、大佐のお戻りになる場所が無くなりますもの」
「そのためには、こいつを死なせる訳にはいかないんだよね。死霊使いが悲しむから」

 肩をすくめながらのシンクの言葉と共に、子どもたちの視線は朱赤の髪を持つ少年に集中する。一瞬はっと目を見張った彼を真正面から見つめて、ピオニーはこくりと頷いた。

「ルークか。うん、そうだな」

 自身の懐刀が、己の生命をなげうってまで救いたいと思った子ども。逆に言えば、この子がジェイドの『記憶』とは違う道を辿り生き長らえれば、それだけジェイド自身が長らえる可能性も高くなる。
 少なくともピオニーと子どもたち、確認するまでも無く彼らの考えはその点で一致していた。
 それにピオニーは、ジェイドがルークのことをどれだけ愛おしく思っているか知っている。

「あいつが初めて『記憶』のことを話してくれたときにな、お前のことも話してくれたんだ。育てられた環境のせいで物知らずだったけど、本当は頭も良いし優しくて強い子だ、って嬉しそうに言っていたんだぜ」
「……そ、そんなこと言ってたんですか……」

 けらけらと笑うピオニーの口から聞かされた事実に、ルークは思わず顔を赤らめた。自分がファブレ邸を出るまでどれだけわがままで物知らずだったか、そのくらい今の彼には分かっている。そのルークをジェイドは、出会う前に良い子なのだと自慢して見せたのだ。

「まあ俺もな。ジェイドが『覚えてた』ルークと今のお前さんは違うんだが、それでもジェイドの言ってたことは本当なんだって、初めて会ったときに思ったね」

 そのまま言葉を続け、皇帝はにんまり笑うと立ち上がり、手を伸ばした。朱赤の髪を、ペットを撫でるのと同じようにゆったりと撫でてやる。
 その口から、ぽつりと言葉が漏れる。それは、彼らに対する礼の言葉。

「ルークも皆も、ありがとうな。ジェイドのことを気遣ってくれて」
「……え」

 頭を撫でられているルークも、彼を取り囲む子どもたちも、驚いたように皇帝を見つめる。悪戯っ子のような笑顔で、ピオニーは少しばかり大袈裟に肩をすくめて見せた。

「まったく……いい年をしてとは俺が良くジェイドに言われる台詞なんだが、今回ばかりは俺があいつに言ってもおかしくないよな。こんな良い子たちに心配されてるのに、あいつと来たら」

 ジェイドと来たら、自分が心配されていることすらもう、理解出来ない。


PREV BACK NEXT