紅瞳の秘預言 85 夢境

 ルークの頭から、そっと手が離れた。端正な顔から笑みはいつの間にか消え、複雑な感情を浮かべながらピオニーはイオンを振り返る。

「……ところで、導師」
「何でしょう?」

 軽く首を傾げる仕草は、ローレライ教団の頂点に立つ導師と言うよりはそれこそ無邪気な幼子のもの。隣に立っているシンクがどうしても大人びた表情を浮かべているから、余計にそう見えるのだろう。
 その幼子に皇帝は、彼でなければ分からないことを問うた。

「俺は預言士じゃないから分からんのだが、預言ってものは映像で見えるものなのか? その預言で見た状況に置ける感情を引き継げるもんなのか?」
「いえ」

 首を振り、イオンはピオニーの問いに否の返事を告げる。自身にしか無い、『預言を詠む能力』の発現についてを言葉を選び、誰にでも分かるように紡ぐ。

「僕のもとに降りて来る預言は、言葉と言うか……文章の形です。詠むと譜石が生まれますよね、あそこに刻まれている文章が大体そのまま頭の中に現れます」
「そう言うもんなのか?」
「僕には預言士の力は皆無と言って良いからね。知らないよ」

 ルークに問われて、シンクは口を尖らせた。そもそもイオンやシンク、フローリアンといったイオンレプリカたちはローレライ教団導師の後釜として生み出された存在であり、シンクは導師の能力を持たなかったがために廃棄処分とされたのだ。

「それに、感情とは全く無縁です。そもそも不特定多数を対象にしていますから」
「預言見る度に他人の感情に左右されるようなことであれば、預言士なんぞやってられないんじゃねえか?」
「ですわよねえ」

 導師の説明を聞き、アッシュとナタリアは顔を見合わせて頷いた。自分たちは誕生日ごとに預言を詠まれていたが、確かにその預言士たちが己が詠んだ預言に対し何らかの感情を見せることは無かった。降りて来た文章を読んでいるだけ、と言うことであればなるほど、納得出来る。
 そしてピオニーは、胸の中だけで大きく溜息をついた。

 やっぱり、ジェイドのあれは預言とは異なるものか。
 出来れば預言であってくれと思っていたんだがなあ。

 ピオニーが思ったことを、彼が口にすることは無い。口に出してしまえば、子どもたちに不安を与えることになる……そう、皇帝は考えたからだ。
 親友の持つ『記憶』が預言で無いのであれば、ジェイドは文字通り『自分の知る未来の世界』を経験していたことになるだろう。ルークたちと旅をした『前回の経験』が彼の人格に影響を与え、ジェイドは今のジェイドになった。
 だが、『記憶』は──その『夢』を与えられた時点から5年間に渡るもの。思い出も、感情も、5年分が蓄積されている。
 その思い出を、ピオニーが聞いた話が事実である限り『この世界』のジェイドはたった一晩で自分のものとした。圧縮された4000日近くもの経験を、一晩で流し込まれた……もしくは『思い出させられた』。
 『記憶』を持つ前のジェイドが人間としてはまだまだ未熟であることを、ピオニーは良く知っている。特に感情面においては、幼子にも劣るであろう。
 そのジェイドが、一晩のうちに5年分の記憶と感情を自分の中に流し込まれたとして。
 それを己のものにしたとき、彼は耐えきれるのだろうか?

 1人ではきっと、耐えられないだろう。
 ならば、誰かが一緒にいれば。
 誰が。

「ああ……」

 思わずピオニーは声を上げた。自分に集中する多くの視線には、皇帝になってからもう慣れっこだ。

 ここに沢山いるじゃねえか。
 探す必要すら無い。

「な。お前たちにひとつ、頼みがあるんだ」

 どこか安心したように頬を緩めながら、ピオニーは子どもたちの顔をくるりと見渡した。この子たちはジェイドが持つ『記憶』と、それに重なる『夢』を知っている。だから、これから話すことは子どもたちには秘密でも何でも無い。ごく当然の、確実性の高い予測だ。
 そこに皇帝は、1つの頼みを絡めることにしたのだ。

「ジェイドの『記憶』によるなら……そして状況を考えた時、ヴァンデスデルカは自分の中にローレライを封印して復活してくる可能性が高い。ユリアの譜歌を歌えるんなら、ユリアみたいに契約出来る可能性があるからな」
「……つまり、もう一度師匠とは戦うことになるんですか」
「……兄さんと、もう一度……」
「まあ、そう言うことだ」

 無言のまま眉をひそめたアッシュ、拳を握りしめるルーク、きりと唇を噛みしめたティア。ナタリアはアッシュの腕をしがみつくように自分の胸元に抱き込み、シンクは顔を伏せて長い前髪の奥に表情を隠す。
 唯一真っ直ぐ自分を見つめているイオンを見返して皇帝は、願いの言葉を続けた。

「でな。ヴァンデスデルカと決着を付けるとき、ジェイドの奴、連れていってやってくれ」
「え?」

 意外な言葉だったのか、子どもたちがぽかんと目を見張った。ピオニーが軽く頷くと、太陽の色の髪がふわりと揺れる。

「奴が復活するまで、多少なりとも余裕があるんだ。回復する時間には十分すぎる」

 水色の石でまとめられた一房の先を指で弄りつつ、彼の言葉は続けられる。子どもたちに、どうかこの願いを叶えて欲しいと言う思いがこめられて。

「もちろん、ジェイド自身は着いていくつもりだろう。俺が禁じても、こればかりは聞いちゃくれないと思う。そもそもジェイドの中に『未来の記憶』があるのは、奴らと戦ってなおルーク、お前さんを生き延びさせるためだしな」

 だから、ルークが戦に出向くのならばジェイドはどんな方法を使ってでも着いて行く。
 もし万が一があったときに、自らがルークの盾となるために。

 だが、その万が一が起きなければ。
 ジェイドの目の前で、彼が『経験』することの無かった未来が始まる。

「ユリアの預言にも無い、ジェイド自身が覚えてる『記憶』にも無い、新しい未来をあいつに見せてやって欲しい。ルークもアッシュもちゃんと生きて、オールドラントも滅びなくて……あいつも死ななくて良い未来を」

 思いの丈を籠めてピオニーが紡いだ言葉は、きっと子どもたちの心に届いただろう。
 元から子どもたちが願い望んだ未来を、生きていて欲しい人に見せたい。
 その思いはきっと、皆同じだから。

「これは皇帝としてじゃ無く、ジェイドの親友としての頼みだ」

 故に、その言葉に彼らは一様に頷いた。


 子どもたちが去った後、ピオニーは窓の外を見上げた。ずっとその場にいたはずの、女の名を呼ばわる。

「ゲルダ」

 返事は声では無く、夜の闇にばさりと広げられた黒白の翼と言う形で返された。それを確認し、皇帝は続く言葉を投げかける。

「ジェイドとサフィールとの面会禁止を解く。あの2人……特にジェイドに何かあったら守ってやれ。今のジェイドには、自分を守る意識なんてこれっぽっちもねえからな」
「いいの?」

 窓の外から、戸惑った言葉が返される。どうやらオリジナルの記憶を多少なりとも持っているらしい白の彼女は、『教え子』たちに本当は会いたがっていた。だが自身はジェイドが生み出した複製体であり、しかも彼らの目の前で多くの生命を屠った身である。
 彼らの心の傷だと自身を指す彼女は、だからジェイドたちに会うことをためらっていた。ピオニーもまたその過去を知っていたから、ゲルダにジェイドたちと顔を合わせることを禁じた。
 けれど、きっともう大丈夫。

「あいつらだってもう、分かってるさ。オリジナルとレプリカが別人なんだって」
「でも、私は……」
「お前は人間で、ジェイドの娘だ。親に会う権利があるし、親を守りたいんだろう?」

 『父親』に会うことを許されて、それでも己の罪に戸惑うゲルダ。真実を知らぬ者が見れば、ただの女性にしか見えないだろう。

「……ありがとう、陛下。貴方も、私にとっては父上の1人だわ」

 彼女の礼とそれに続く言葉に、ピオニーの呼吸が一瞬だけ停止した。思わず指先を自分の顔に突きつけ、しばし無言でその場に佇む。
 やや時間を置いて返された答えは、冗談とも本気とも取れないものだった。

「なら、俺の後を継ぐか? 幸い皇太子の位は空いてるぞ」
「あいにく、私は貴方以上に堅苦しい立場は嫌いなの」

 くすりと笑いながらの声を残して、ゲルダの気配は消えた。今日の所はもう夜も遅いから、適当な場所で睡眠を取るのだろう。変なところで『獣』の習性が残っているものだ。

「おやすみ。……言ってくれるぜ」

 呆れたように肩をすくめ、ピオニーは室内に視線を戻した。ブウサギのジェイドに寄り添って眠っている、新入りの双子を見つめる。
 赤っぽさが強い方がアッシュで、少し白っぽい方がルーク。焔たちに会った後、手配して買い入れたものだ。

「……ブウサギでもやっぱり、あいつらはジェイドが好きなんだなあ」

 丸くなっているペットたちの姿をのんびりと眺めてから、ピオニーも休むことにした。また明日から、忙しくなるだろう。まずはそう、ヴァンを苦しめオールドラントを生き延びさせるためにもプラネットストームを停止させなければならない。


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