紅瞳の秘預言 86 活動

 この日は朝から、バチカル王城にキムラスカの上層部が集合していた。謁見の間には、貴族や大臣といった面々が勢揃いしている。

「確かに、無尽蔵の音素力は失われるかも知れません。ですが、人類が失われた後にプラネットストームだけが存続している、それは無意味ではありませんか」

 その諸公の上に、ナタリアの凛とした声が響き渡った。場に集められた貴族たちは、金の髪の王女が語る言葉をじっと聞いている。だが、その顔にはまだ疑念の色が浮かんでいた。
 続いて、2人の少女を脇に控えさせた緑髪の少年が両手を広げた。キムラスカ王国では多大なる影響力を持つ、ローレライ教団導師イオン。

「ユリアは預言を遺しました。しかし、世界は既に彼女が詠んだ預言から外れ始めています。それはまた、彼女自身が望んだことなのです。故に彼女は自分が詠んでしまった未来を封印し、誰にも知られぬよう隠匿した。第七譜石の所在が今以て不明であると言うことが、何よりもの証でしょう」
「我らは、我らの意思で未来を掴まねばならぬ。既にユリアの預言は我らを庇護すると言う役目を果たした。しかし、大地は遙かな昔に存在した魔界に戻りユリアの預言を離れ始めている」

 玉座から腰を上げ、インゴベルト王もまた言葉を紡いだ。その眼光は鋭く貴族を射抜き、数人は後ろ暗いところでもあるのか顔を引きつらせる。中には顎に手を当てて、ふむと思考を巡らせる者もいるようだ。

「この2000年の間、我らを守ってくださった始祖ユリアへの感謝を忘れることは無いでしょう。ですが、もう我々は独り立ちせねばならぬ時が来たのです。外殻大地より溢れ出た障気は、我らに彼女から贈られた親離れのための儀式に他なりません!」

 頃合いと見たか、イオンが携えた杖でがつり床を叩く。数名の頷く者と、それ以外は各々顔を見合わせる貴族たちの表情を伺い、アニスは眼を細めた。表情にこそ出さないものの、胸の奥でぼそりと呟く。

 あーもう、何で大人ってこう聞き分けが悪いんだろ。
 ナタリアにイオン様に、国王陛下までああ言ってるのにさあ。

「イオン様……」

 泣きそうな顔をして導師を見つめるアリエッタもまた、聞き分けの悪い人間たちに困っているのだろう。彼女にとって、イオンは絶対的な存在だから。
 外殻大地が本来の大地へと戻ってから2週間。今彼らは、現在のオールドラントにおいて唯一無二とも言えるエネルギー資源であるプラネットストームを停止させるため、貴族の説得に当たっている。その継続が星の滅亡を促すと言うのが、最大の理由だ。
 そして貴族たちには伝えないけれど、星を救うために力を貸してくれたローレライの願いを叶えたいと言うのがナタリアを初めとした、旅を共にした仲間たちの理由である。

 ローレライを、音譜帯に解放する。
 そして紅瞳の譜術士を、『記憶』と異なる未来へと導く。

 それは些細な、けれどとても大きな理由。


「ま、時間が掛かるってのは予測出来たけどな」

 書類をばさばさとまとめながら、ピオニーは肩をすくめた。その横で音機関を弄りながら、サフィールもやや大袈裟に溜息をつく。

「『前回』と違って、分かりやすい影響が出ていませんもんねぇ。出たら困るんですけど……で、気分はどうです?」
「ええ、だいぶ楽になりました。ありがとうございます、サフィール」

 調整を終え、サフィールはベッドの上に上半身を起こしているジェイドに視線を向けた。
 サフィールが調整していた音機関は、ジェイドの腕に付けられたコードへと繋がっている。人体内の音素の流れを調整することにより精神の安定を図る、サフィール特製の医療装置だ。アッシュに使用されたときよりも多少改良を加えた、とは製作者自身の語るところによる。
 ここは、グランコクマ王宮の中にある客間。現在ジェイドは、ヴァンによって受けた心身の傷を癒すためと言う名目でこの部屋を使用している。『記憶』やフォミクリーの問題、またキムラスカの王族やダアト上層部との接触が多いだろうと言うこともあり、軍病院よりも機密が守られやすいこともその理由の1つである。
 サフィールは主治医としてこの部屋に詰めることが多く、ピオニーは王宮内の一室であるのを良いことに配下の見舞いと称して入り浸っていた。ジェイドたちと共に旅をした仲間たちも、帝都を訪れるときには顔を見せるようにしているようだ。もっとも、キムラスカの王族に連なる子どもたちはまず国内の問題に手一杯らしく、あれから2週間顔を見ることは無いのだけれど。

「……間に合いますか?」
「間に合わせるさ。こっちの譜業関連企業にはキムラスカとの業務提携を示唆してやってるしな。ガイラルディアも上手くやってくれてるよ」

 『記憶』を得る前には決して見せることの無かった、不安げな表情。それを端正な顔に浮かべ自分を見つめるジェイドに、ピオニーは自信に満ちた笑顔を見せる。
 外殻降下のごたごたに紛れ、ピオニーは国庫に凍結されていたガルディオス家の資産を遺児である彼にすんなり相続させることが出来た。もっとも本来の領地であるホドは既に消滅しているため、当面はグランコクマに小さな屋敷を構えることとなったのだが。
 だが、ファブレの使用人を長く務めている間にガイは、音機関と言う趣味を手にした。その知識は素人と言うには豊富すぎ、そのおかげで旅路を共にしたジェイドたちが助けられたことも一度や二度では無い。
 そうしてその旅路が、ガイの足元を固めるのに役立つことになることを今回、ジェイドは知らされることになった。

「音素が少なくなりますから、それに対応した音機関……いえ、いっそ音素以外のエネルギーを利用した新しい機関の開発が必要になりますからね。シェリダンやベルケンドの技術はこっちの企業も喉から手が出るほど欲しいでしょ」
「その折衝にガイの交友関係が重要になる……と。確かに」

 サフィールが指をくるくる回しながら説明するのに、納得したように頷くジェイド。言われてみれば、『前の世界』で彼にそう言った役割が与えられなかったのが不思議なほどである。
 シェリダンのめ組、ベルケンドのい組、譜業企業をその傘下に置くファブレ公爵とその2人の息子たち。意図的にでは無いけれど、金髪の若き貴族は音機関に関連する技術者たちと交流を深めている。今後プラネットストームの停止に伴う動力源の転換において、譜業のエキスパートに対し顔の広いガイの存在は重要となるだろう。彼を介し、共同で研究することも不可能では無いのだから。

「何しろダアトの導師にまで顔が利くからな。こっちとしてもほっとくことは無い」
「なるほど」

 楽しそうに書類をまとめたブリーフケースを弄ぶピオニーを見つめながら、ジェイドはほんの僅か顔を綻ばせる。自身のせいで一族と故郷を失った青年が、再びマルクトの地に腰を据えることが出来たことが嬉しくて。
 少しだけ間を置いて、真紅の瞳が瞬いた。

「そう言えば、ローレライ教団の方はどうなっています?」
「そっちも大変そうだな。先だって導師イオンが預言詠みの停止を発表したんだが、まあそれに納得の行かない信徒がな、連日教会に詰めかけて預言詠んでくれーの大合唱。グランコクマはまだ大人しい方か」

 子どもたちの行動の中で、恐らくはプラネットストーム停止と同等に世界へ影響を与えるもの。それはイオンが取り決めた、預言からの離脱。
 だが、そう簡単に世界が変わる訳では無い。それを改めて知らされ、ジェイドは大きく溜息をついた。

「……やはりですか」
「うちはそれほどでもねえが、預言への依存度が高いキムラスカやダアトはもっと大変らしいぜ。導師が外を走り回ってるから、本部の方は詠師トリトハイムとシンクでどうにか押さえ込んでるらしい」
「頑張ってくれてますねえ。あの子も」

 顎を撫でながら首を捻るピオニーの言葉を聞きながら、サフィールは自分の癖の無い銀髪を指先で弄る。
 参謀総長に復帰したシンクは、一方でイオンの補佐として精力的に働いていた。キムラスカ側の説得に向かうことの多いイオンの留守を守り、ダアトの信徒たちを懸命にまとめようとしている。彼の兄弟であるフローリアンはまだ知識も乏しく、精神的な成長を見ても表に出すにはほど遠い。

 んまあ、フローリアンがダアトの仕事をしたくないって言うならそれでも良いよ。
 僕がその分、頑張れば良いことだしね。
 トリトハイムもカンタビレもいるから、心配しないで。

 神託の盾を離れるために一度ダアトを訪れたサフィールに、シンクは子どもっぽい笑みを浮かべながらそう言ってのけた。ライナーに言われた『ディストの子』と言う言葉が、あの少年に如何なる心境の変化を与えたのかをサフィールが知ることは無いのだが。


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