紅瞳の秘預言 86 活動

 それに、シンクたちが忙しい理由……即ち、一般市民たちが預言からなかなか抜け出せない理由はもう1つある。

「大詠師が牢屋入っちゃってますからねえ。良くも悪くも影響力ありましたから、彼」

 ぺろりと薄い舌を出し、サフィールはその理由を口にして見せた。
 預言至上主義だった大詠師モースが、ローレライ教団の実権を握っていた。そのこともあり、これまでは教団全体が預言を重んじ信じる方向性で運営されて来ている。望む民には預言を授け、その預言に従い生きることこそがオールドラントの民のあるべき姿だと声を大にして主張して来た。
 しかし、モースの拘束と言う事態を受けて実権を握ったイオンは預言を詠むことをやめた。ローレライとユリア・ジュエへの信仰はそのまま残すが、預言という形で信徒の未来を一方的に取り決めることは良しとしなかったのだ。
 だが、突然方針を変更されても信徒としては困る。何しろ、これまでは生活と預言は一体のものであり預言無くして人生を進むことは出来なかった。いわば人生の道しるべと言っても良い預言が、いきなり目の前から奪われたわけである。標を失った者は、今更どう生きれば良いか分からないのだ。
 故に信徒は、今日も教会の扉を叩く。今日が駄目なら明日、それでも駄目なら明後日。いつかは預言士が、自分のために預言を詠んでくれると信じて。
 だが、預言に全てを一存すると言うその思考は、ユリア・ジュエが望んだものでは無いだろう。彼女はただ、自分の預言を元にしてオールドラントがより良い道へ進むことを願っていたのだ。
 それが叶わぬと知ったから、彼女は破滅の預言が刻まれた第七譜石を隠匿した。

「……けれど、私たちは預言の支配から抜け出さなければならないんです」
「分かってる。だが、こればっかりは時間が掛かるぜ? 何しろ2000年から依存して来たわけだからな」

 独り言のように呟かれたジェイドの言葉を、ピオニーが逃すはずは無い。うっすらと浮かべた笑みは、それでも何とかなるはずだと言う無言の自信の表れだ。
 ジェイドが経験してきた『前の世界』でも、ちゃんと預言からの離脱はなった。その『前』よりも良い未来を迎えることが至上命題であるこの世界では、当然そのくらいのことは出来るはずなのだ。

「ま、俺だって預言に反して生きるんだから、やってみせるさ」

 第七譜石の預言には後1年の生命と刻まれた皇帝は、苦笑を浮かべながら少々乱雑にブリーフケースへと書類を押し込んだ。そうして、些か面倒くさげに立ち上がる。

「それじゃまたな、ジェイド。これからまた裏工作だ」

 くすんだ金髪を軽く撫でてやると、ジェイドは気持ち良さそうに目を閉じる。そうっとその手を放し、ピオニーは瞼の下から見えた真紅の瞳に笑いかけて見せた。

「本当ならもっとお前と話してたいんだがな、ゼーゼマンとマクガヴァンのじーさんだけじゃ手が足りなくてなー。頼んだぜサフィール?」
「はいはい。ジェイドのためですから」

 肩をすくめながら、サフィールはベッドサイドに据えてあった愛用の椅子から立ち上がった。それから視線を、室内をちょこちょこと動き回っている譜業人形へと向ける。

「タルロウ、後頼みましたよ」
「アイアイサー、ズラ。ジェイド様のことはこのタルロウにお任せズラよ!」

 くるりと顔をこちらに向け、書類の整理をしていたタルロウは両手を振り上げて答えた。
 一時期シェリダンに預けられていた彼は外殻降下後サフィールに引き取られ、彼の補佐と療養中であるジェイドの身の回りの世話を担当している。現在も未だほとんど戦えないジェイドの護衛をも、この譜業人形は一手に引き受けていた。とは言え、王宮にいる彼を襲うような馬鹿者などいないのだけれど。

「行ってらっしゃい。お気を付けて」
「おう、行って来るー」
「疲れたらさっさと寝るんですよ。いいですね!」

 ベッドの上から手を振るジェイドに振り返し、2人の友人たちは部屋を出て行った。彼らを見送り扉を閉じて、タルロウはするするとジェイドの元に戻って来た。器用に首を傾げ、彼の顔を覗き込む。

「ジェイド様、お疲れじゃないズラか?」
「大丈夫ですよ。ルークたちに余計な面倒を掛けてしまった分、働かなくてはいけませんからね」

 ふわりと彼が湛える笑みの意味を、機械人形であるタルロウには完全に理解することは出来ない。ただ、敬愛するジェイドが笑ってくれたことが嬉しいだけだ。
 故にタルロウは、両手を振り上げてその喜びを表現して見せた。

「分かったズラ〜。お茶の淹れ方はディスト様から教わったから、タルロウはジェイド様のために美味しいお茶を淹れて来るズラよ」

 くるりん、と頭部を回転させて譜業人形は、するするとキッチンに入っていった。サフィールから教わった、と言うよりはサフィールが茶の淹れ方をわざわざプログラミングしたらしい。
 ジェイドがきっと喜んでくれる、そう信じて。
 だって、少なくともジェイドは微笑んで礼を言ってくれたのだから。

「ありがとうございます」

 私では無く、ルークたちに淹れてあげれば良いのに。

 その一言を、ジェイドが口にすることは無かった。譜業人形に心を読む機能は存在しないし、サフィールの純粋な好意だと言うことくらい未だジェイドにも理解は出来るから。


 バチカル最上部にあるファブレ邸。その中庭に佇んでいる離れは、アッシュが戻った後もルークの私室として使用されている。
 本来離れの主であったアッシュは本邸内に一部屋を与えられ、そちらを自身の私室として使うこととなった。ルークは最初、元はアッシュの部屋だったのだからと自分が部屋を移ると申し出たのだが、アッシュの「今はてめえが使ってるんだから、そのまま使え」と言う言葉に大人しく従ったのだ。その中には、アッシュなりの気遣いもあったのだが。
 本来のルークであるアッシュがファブレの家に戻ったときに、ルークがアッシュのレプリカであることは使用人たちにも完全に広まっていた。元々生体レプリカと言う存在については余り知られておらず、それ故ルークに対して偏見の視線が注がれるであろうことをアッシュは憂慮していたのだ。離れであれば、必要以上に嫌な視線を受けることは無いはずだとアッシュは考えたのだ。無論、食事などは家族皆で摂るのだから完全に引きこもることも無い。
 生まれ方が少し違うだけで、ルークはアッシュとさほど変わらない普通の人間である。だが、偏見は早晩消えるものでは無い。ならば少しずつ、その偏見を解いて行こう。
 ルークは、生まれてすぐから自分の部屋として住み慣れた離れの部屋で、普通に暮らして行けば良い。普通に暮らし、両親や兄であるアッシュと普通に交流し、その姿を使用人たちに見て貰えれば少しずつでも、偏見は消えて行くだろう。

 オリジナルである俺が大して気にしてねえのに、何で第三者が文句付けたがるんだか。

 自室で書類に目を通していたアッシュは小さく溜息をつき、窓の外に見えるルークの部屋に視線を向けた。今、そちらには少年に譜術を教えるためとしてティアが来訪している。
 少年の体内に混ざり込んでしまったであろう、ローレライの宝珠を取り出すための訓練をするために。


 しばらくじっと目を閉じていた朱赤の焔が、やがて疲れたように瞼を引き開けた。ふうと大きく溜息をついて肩を落とすのを、テーブルを挟みティアは心配そうに見つめている。

「どう? ルーク」
「うーん……やっぱ、何かいまいちだなあ……」

 軽く髪を掻いてから、ルークは自身の胸元に手を当てる。ローレライから貰った温度は今は治まっているが、念を込めるとふわりと戻って来るのが分かっている。その温度は少しずつ形を持ち始め、ルークには恐らくそれがローレライの言う宝珠なのだろうと言うことも理解出来ていた。
 だが、宝珠自体が形を持ち目の前に現れることは無い。それが、少年には歯がゆくてならない。

「やっぱ駄目だなあ、俺。ちゃんとローレライの宝珠を形に出来なきゃ、プラネットストームを止めることも出来ないのに」
「何かコツが必要なのかしら……」

 さすがのティアも、自分自身の身体に異物がコンタミネーションした経験は無い。眉尻を下げつつ考え込んで……ふと、顔を上げた。

「確か、大佐はご自身の武器をコンタミネーションの応用で腕に収納されていたんじゃ無かった?」
「あ」


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