紅瞳の秘預言 87 伯爵

「ジェイドに手紙?」

 唐突な弟の提案に、一瞬兄は言葉を失った。何度か目を瞬かせて手に持った紅茶を一口飲み下し、それから問い返す。

「それでお前、俺たちにも書けってことか?」
「そう! せっかく出すんなら、みんなで書いて送ったらジェイドも喜ぶんじゃ無いかって思って」

 ちょうどアッシュを訪ねて来たナタリアを交えた席で、ルークは手紙のことを伝えた。『父親』のことを思って少年が出した提案に、兄とその恋人は楽しそうに眼を細める。

「ふむ、良いかも知れんな。あれから2週間も経っているし、奴もこちらの様子は気に掛かっているだろう」

 出来れば見舞いに行きたいんだがな、と溜息混じりに呟いて、アッシュは軽く真紅の髪を掻いた。幼い頃に秘匿されていたルークの兄としてファブレの家に場所を得た真紅の焔は、父やナタリアのサポートとして忙しい日々を送っている。いずれナタリアと結ばれ、キムラスカの国を導いて行くための経験としてアッシュはその多忙な時間を受け入れていた。ただ、そのせいであの軍人とはしばらく顔を合わせていないのだが。
 アッシュの隣に当たり前のように腰を落ち着けていたナタリアは、菓子をひとつ摘みながらゆったりと頷いた。

「そうですわね。公的な書面を送ることはありますけれど、言われてみれば私信は出していませんでしたわ」
「実は私も……どうも手紙は苦手だからって敬遠してたんだけど、頑張ってみようかしら」
「みゅう! ボクもお手紙書くですの。ティアさんも一緒に書くですのー!」

 頬に手を当てて溜息混じりに呟くティアの手元で、ミュウが大きな目をきらきらさせながら両手を広げる。聖獣の仔の誘いに、少女は「そうね」と頷いて空色の頭を撫でてやった。
 全員の意見が出揃ったと見て、ルークは楽しそうに大きく頷いた。

「なら、明日の朝に集めるので良いかな? ええと、送るのは王城か軍にお願いすれば良いんだよな」
「旦那に手紙なら、俺が持って行くよ」
「え?」

 ルークが問うたのは兄であるアッシュにだったのだろうが、その返事は部屋の入口側からやって来た。それに重なるように、こんと開いた扉を軽く拳で叩く音もする。
 全員が振り返るとそこには、金の髪の青年が立っていた。ほんの2週間ほど前まではこの屋敷の使用人として籍を置いていたから、屋敷の内外は熟知している。故に案内も付けず1人で、当然のようにその場に姿を見せたのだ。
 その相変わらずの表情を見て、アッシュは嬉しそうに眼を細めた。

「これはガルディオス伯爵。相変わらずお忙しいようで」
「ガイで良いよ。爵位貰ったところで俺は俺だし、今のところ実感も無いからな」

 慣れない爵位で呼ばれ、苦笑を浮かべつつ仲間たちへと歩み寄るガイ。彼の腰には、かつてファブレ邸に飾られていた宝剣が下げられている。
 ホド攻略の戦利品としてファブレ公爵が持ち帰った、ガルディオスの名を冠した名剣だ。それは16年の時を経て、本来の持ち主である伯爵家の後継者の元に戻ることとなった。返還の際公爵とガイの間でどんな会話が交わされたのかは、ラムダスの他に目撃者がいなかったためにルークたちは知ることが出来なかったのだが。
 相変わらず女性に近づくのが苦手なのか、青年は真っ直ぐルークの側にまでやって来るとその頭に手を置いた。くしゃくしゃと無造作に撫でる仕草は、ルークがファブレの屋敷にやって来た当時とまるで変わっていない。

「それに、まだちょっと手間取っててさ。伯爵っつっても本当に名前だけみたいなもん」
「ガルディオス家の財産問題か?」
「ああ、帝都とかに残ってた分は国庫で保管しておいてくれたらしいんだが。ほら、うちの領地、もう無いだろ?」

 肩をすくめつつアッシュの問いに答えるガイの言葉に、ルークがはっと目を見開いた。不思議そうに首を傾げるチーグルの前で、朱赤の髪がほんの少しだけ少年の顔を隠す。

「……あ、そうか。ホドだもんな……」
「ルーク、貴方が悪い訳じゃ無いから落ち込まないの」

 半ば呆れ顔になりつつ、ティアがテーブルを指先でとんとんと叩いた。ホド消滅はルークが生まれるずっと前の話で、この少年が関わっているはずが無い。それは皆、良く分かっている。
 関わっていたのは真紅の瞳の、あの人だから。

「でさ、そう言うこともあって当分の間は都付きになると思う。グランコクマに小さな屋敷を貰ってね」

 ルークの頭を撫で続けながら、ガイは青い瞳を細める。指先でかりかりと掻いてやると、それが刺激になるのか少年が気持ち良さそうに目を閉じた。

「小さなって……比較対象、このお屋敷でしょう?」
「まあね。でも、ほんとに小さいもんだぜ? 使用人もペールくらいだし」

 ティアが目を丸くしながら問うのに答えつつ、青年は室内に視線を巡らせた。王妹を妻として迎え、自らも王家の血を引く証である赤い髪を持つ公爵邸。必然的に使用人の数も多く、古くから自分に仕えているペールだけで何とか回せている現在のガルディオス邸とは規模がかなり違う。
 もっともガルディオス邸の使用人がペール1人であるのは、主であるガイの女性恐怖症が影響していることもあるのだろうが。

「それと、ピオニー陛下の直属みたいな感じで働けることになったよ。陛下には感謝しないとな」

 青年が次に口にしたのは、自身の身の振り方だった。自分たちも良く知る若き皇帝の名が出て来たことに、全員がほっと息をつく。

「キムラスカの王族とも繋がりのあるマルクト貴族、ですものね……お互いの交流には欠かせない人物だと、ピオニー陛下は考えていらっしゃるのでしょう」

 その中で真剣な表情を浮かべたナタリアに、ガイは苦笑しながら短い金の髪を指先でがりがりと掻いた。端正な顔から、血の気が僅かに引いたように思える。

「いや、陛下のペットのブウサギに懐かれて」
『そっちかよ!』

 全く同時に、アッシュとルークが同じ言葉でツッコミを入れた。一瞬の間があってから、2人の焔は思わず顔を見合わせる。微妙な空気になりかけた場を救ったのは、その空気を全く読めていないチーグルの一言。

「ご主人様とアッシュさん、仲良しですの」
「……あ、ああ、まあな」
「兄弟だしな」

 つい頷いたルークと、小さく溜息をつきながら答えるアッシュ。2人の少女もガイも、そんな焔たちの言葉を聞いて楽しそうに笑った。
 『オリジナルとレプリカ』では無く、『兄と弟』。本来ならば相手を嫌悪し合っていてもおかしくない間柄の2人が、お互いを指してそう呼び合える仲になった。焔たちや子どもたちは、己がそうあるように導いてくれた赤い瞳の軍人に感謝の念を抱いてやまない。
 彼が子どもたちを導いてくれたからこそ、今彼らはこうやって兄弟として、友人として交流することが出来ているのだから。
 気分を切り替えるかのように一度軽く頭を振り、真紅の焔は碧の眼を細めた。薄い唇の端を引き、笑みの形をそこに乗せる。

「つまり、ピオニー陛下のペットの世話役と言うことか。なるほどな」
「何だよアッシュ、おかしいか?」
「いや? 陛下もガイのことをちゃんと考えているのだと思ってな」

 どこか楽しそうに問うたガイに、アッシュも表情を変えないまま答える。彼らの顔を見比べていたティアが、僅かに眉根をひそめ口を挟んで来た。

「どういうことかしら?」
「ピオニー陛下のペットの世話役。つまり、皇帝のごく身近で、それもかなりプライベートに入り込んだ部分で働く訳だ。信頼されてる奴でなきゃ就けない役割だろう?」

 問いをぶつけたティアだけでは無く、仲間たちに向けてアッシュは言葉を放つ。彼に指摘されてやっと、ルークたちは気がついた。
 ピオニーのペットであるブウサギたちが飼われているのは、王宮内にある彼の私室である。たまに私室を脱走して王宮全体が大騒ぎになることもあるらしいが、基本的に彼らは皇帝のプライベートスペースに棲まっている存在だ。
 そのブウサギの世話をすると言うことは当然、日常的にピオニーの私室に出入りすることが許されると言うことになる。高く信頼を受けている存在で無ければ、そのような役割を当てられることなど無い。もし悪意のある人物が入り込んだりでもすれば、いつでも皇帝を害することが出来るのだ。

「少々大袈裟に言えば、ガイは陛下の側近に取り立てられた……と言っても良いだろう。あの陛下のことだ、何やかやで雑用を押し付けたりしそうだしな」
「それで旦那の負担が減るなら、喜んで押し付けられるさ。これでも人の世話は慣れてる」

 皇帝の幼馴染みと言うこともあってか、ジェイドはピオニーから様々な用件を押し付けられることが多いと言う話だ。現在は療養中でもありさすがにピオニーも無理をさせることは無いだろうが、回復の暁にはどうなるか分かったものでは無い。
 ちょうどそこに、新しくガイが入る形になる。ジェイドの立場で無ければ出来ない用件以外を、恐らくあの皇帝は若い貴族に申しつけることになるだろう。だがそれはつまり、その仕事を通してガイの交友関係を広げる役には立つはずだ。

「16年も前に断絶したはずの伯爵家に生き残りがいて、そいつがこのたび家を再興させ当主の座に就いた。だが復興したばかりの貴族だから後ろ盾も無えし、他の貴族や議員なんかとも交流関係を紡ぐには時間が掛かる」
「なるほど。ピオニー陛下ご自身がガイの後ろ盾につくと言うことですのね? アッシュ」
「そうだ」

 ピオニーが考えているであろう結論を言葉にしたナタリアに、真紅の焔は頷くことで答える。満足げに微笑みながら腕を組み自分を見つめているガイに、うっすら細めた視線を向けた。


PREV BACK NEXT