紅瞳の秘預言 87 伯爵

「少なくとも、見境無くこいつに危害を加えようとする馬鹿は減る。ガイを傷つけると言うことはつまり、ピオニー陛下の決定に不満を持つ分子だからな。周囲が黙っちゃいねえ」

 マルクトは議会制をとっているとは言え帝国であり、その最高位にあるピオニーの権限は絶大なものだ。若き皇帝が国をまとめ上げることが出来ているのは、彼自身の持つカリスマ性に因るところが大きい。
 そのカリスマを後ろ盾とすることになれば、マルクトの国内においてこれほどの強力な庇護は無いだろう。今のピオニーにはゼーゼマンやノルドハイム、さらには『ケテルブルクの双璧』と言う強力な守りが存在している。その相手に手を出すような馬鹿は、そうそういないだろう。
 無論それは、戦を終わらせたキムラスカの国内においても同様である。ルグニカの戦いやヴァンの反乱、そして外殻大地降下と言ったいくつもの問題が、人々にこれ以上の混乱を望まない空気を造り上げていた。
 「それに」、と真紅の焔は言葉を続けた。仲間たちの顔を見回し、意識が自分に集まったことを確認して再び口を開く。

「さっきナタリアも言っていたが、お前は俺たちキムラスカの王族とも繋がりがある。ダアトの導師とだって顔見知りだし、ディストやい組・め組といった研究者連中とも付き合いがある。いわば、ピオニー陛下にとってお前は国内外にかかわらず、交渉の切り札だ」

 あの旅路の中で、彼らは様々な人たちと交流を持った。王族や貴族だけで無くエンゲーブの住民やアスター、さらにはチーグルやライガの女王と言った魔物にまでその範囲は大きく広がっている。
 そしてガイ自身は交渉術にはそこそこ長けており、アルビオールに関する交渉時などにはそれを発揮していた。確かに、交渉の切り札としては文句の付け所が無いだろう。

「その切り札を、対外的には切り札と思わせずに側用人として手元に置いておく。皇帝自身が後ろ盾となってガイ、お前がこれからマルクトで生きやすいように計らってるんだろうな。ピオニー陛下にしても、そう言った側近を1人手に入れると言うメリットが出来る」

 これはあくまで推測だがな、と言う言葉を最後に口にして、アッシュは紅茶を含む。楽しそうに彼の言葉を聞いていたガイだったが、それが終わったことで僅かに首を傾げた。ただ、表情が変化することは無いのだが。

「はは、陛下がそこまで考えてるかねえ。けど、外交の要って言うのは面白そうだな」

 かりかりと短い金の髪を掻きながらの彼の言葉に、ナタリアが不思議そうな表情を浮かべた。

「まあ。ピオニー陛下はそのおつもりで、こちらにガイを派遣したのではありませんの?」
「いや、譜業関係企業の提携話でちょっとね。アッシュも言ってたけど俺、い組さんやめ組さんと面識あるし」
「あら。早速効果が出てるじゃ無い」

 ガイの言葉を受けてのティアの台詞は、その場にいる子どもたちの意見を代表したものだろう。
 軽くぼかしてはいるが、ガイがバチカルを訪れている裏にはピオニーの思惑が存在している。とは言っても、ジェイドの部屋で彼らと会話していた『譜業関連企業の新たな動力源及びそれに関する機関開発のための業務提携』についてではあるが。
 ファブレ公爵は自身の傘下に譜業関係企業を持っており、その関連で自身の領地であるベルケンドに音機関研究所を構えている。キムラスカ側との提携を考えたピオニーが、アッシュとルークの父親でもある公爵に目をつけても不思議は無いだろう。少なくともガイと仲の良いアッシュ、ルーク、そしてナタリアの存在のおかげで交渉の難易度が下がるだろうと言う推測は成り立つからだ。
 ただ、そう言った裏事情が全く分からない存在が、この部屋にはいる。テーブルの上で大きな耳をぴこぴこと動かしながら、ミュウは素直に感心していた。

「ガイさん、すごいですのー! ご主人様とジェイドさんの次にすごいですの!」
「はは、ルークと旦那の次か。光栄だ」

 ふかふかした空色の頭を撫でて、青年は本当に嬉しそうに笑った。


「……なんてこと言われちまってな。ミュウにしてみれば、あれは最大の褒め言葉だし」

 ファブレ邸を辞する際、手土産として渡された高級菓子をサイドテーブルに置いてガイは微笑んだ。困ったように笑みながら自分を見ている真紅の瞳には、気づかないふりをする。

「私がルークの次ですか。……高く見すぎですよ、あの子は」
「ディストの旦那も言ってるけど、自分を卑下するのはやめろって。あんたは俺たちの恩人なんだから、胸を張ってくれよ」

 余り力の入らない言葉は、彼の心が未だ癒されていないことを物語っている。ガイはルークにしたのと同じようにそっとその頭を撫でた。それからブリーフケースの中に大切にしまっていた手紙の束を取り出し、ジェイドの手に載せる。
 グランコクマに到着した彼は、皇帝への挨拶を済ませた後すぐに彼のもとへと飛んで来た。一刻も早くジェイドに、ルークたちの思いが籠もった手紙を渡したくて。きっと彼も、共に旅をした子供たちのことは気になっているはずだから。

「はい、これみんなからの手紙。返事はゆっくりで良いと思うぜ」
「ありがとうございます。ルークは元気でしたか?」

 ひとつひとつを愛おしそうに確かめながら、ジェイドは問う。やはりと言うか、朱赤の焔の無事を一番に確かめた彼の問いにガイは、こくりと頷いて見せた。

「元気も元気さ。ああ、あんたに聞きたいことがあるって言ってたな、多分手紙に書いてあると思う」

 束の一番上に置いてある、ルークからの手紙。ガイの指がそれを軽く叩くと、ジェイドはひょいとつまみ上げた。僅かに思考を巡らせたのか、その動きが止まる。自身の推測を叩き出しているのか、『未来の記憶』を探っているのか、それはガイには分からない。
 もっとも、その答えはすぐにジェイド自身の口から発せられたのだが。

「ふむ……恐らくはコンタミネーションに関するものでしょうね。ローレライの宝珠だと思います」
「宝珠? そういや、なかなか出て来てくれないっつってたか」

 胸のこの辺にさ、集まって来るのは分かるんだ。でも、そこから出て来なくって。

 ふむ、と顎に手を当てたガイの脳裏に、困ったように笑うルークの顔が浮かび上がった。自分の身体の中に混ざり込んでしまったローレライの宝珠は、未だその本来の姿を見せたことは無い。その姿を知っているのは、『前の世界』で見たことがあるジェイドだけだろう。
 その『前の世界』で宝珠が現れるきっかけになったのは。

 みんなの生命を、俺にください!
 俺も……俺も消えるから!

 その場面を外殻降下の折に『見せられた』青年は、あからさまに溜息をついた。あんな光景、例え幻であっても二度と見たくは無い。ましてや、一度現実として『見た』ジェイドの前で繰り返させるなど。

「教えてやってくれるか? あんたの槍と似たようなもんだって考えたんだろうし」
「そうですね……私の感覚で良ければ、返事を書きましょう」

 ジェイドがガイと同じ光景を思い出していたのかどうかは分からないが、ともかく彼は小さく頷いて青年の願いを受け入れた。それはきっと、手紙を書いた朱赤の焔の願いでもあるから。

「私は、あの子の力に少しでもなれますかね」

 ルークの、あまり上手いとは言えない字を見つめてジェイドはぽつんと呟く。自身の存在意義を見失ってしまったのか、彼の言葉に力が戻ることは無い。まだ、すべきことが残っている……それだけが、ジェイドを支えているかのようだ。

「あんたが引っ張ってくれたから、俺たちは今まで頑張ってこれた。そしてこれからも、な」

 それに対し、ガイは力強い言葉を彼にぶつけた。床に膝を突き相手を見上げる形になったガイの両手が、ジェイドの両肩を包み込む。

「ヴァンデスデルカとは、ちゃんと決着を付けて見せる。ルークもアッシュも皆生き延びて、世界と共に生きて行く」

 一言一言をはっきりと、壊れた心にも届くように青年は紡ぎ上げる。じっと自分を見つめている血の色の瞳が僅かに揺れたのは、きっと届いたからだと思い込む。
 だからガイは、最後に自分の思いを言葉にしてジェイドに贈った。子どもたちが皆心に持っているであろう、その思いを。

「それをあんたには見届けて欲しいんだ。だからまずは、身体を治すことを考えてくれ」
「……ええ。ありがとうございます、ガイ」

 ふわりと微笑んだジェイドの顔は、初めて会った頃に彼が良く浮かべていた泣きそうな笑顔だった。今のガイには、その表情の意味が良く分かる。
 どうか死なないで、と。
 仲間の誰にも言えないまま彼は、ずっと祈り続けていた。
 自分だけが持っていた『未来の記憶』を再現させないために。

 苦しくても、誰にも言えないから。
 だから彼は、泣きそうになるのを堪えて必死に笑っていたのだと。


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