紅瞳の秘預言 88 偶然
歩き慣れたバチカルの街中を、ガイは足早に進んでいた。
外殻降下からおよそ1か月が経っているが、ほぼ1週間から2週間ごとにこの街を訪れているせいかマルクトに移住したと言う気分にはまだなれない。
今回は1人で来た訳では無いが、同行者は病み上がり故余り無理をさせるわけにも行かなかった。よってガイは同行者をまず宿で休ませ、下で済ませることの出来る用件を先に片付けることにする。最上層にある王城や公爵邸を訪れるのは、その後だ。その方が彼も、疲れを溜めなくて済むだろうし。
「上がってから降りるの、面倒なんだもんなあ……悪いなルーク、アッシュ」
口の中だけで、後回しにされた2人の焔に詫びを入れる。もっともあの2人や金の髪の王女とは旧知の仲であり、事実を知られても苦笑程度で済ませてくれるだろうけれど。
用件をてきぱきと済ませて行く彼の視界の端に、ふと1人の女性の姿が映り込んだ。赤い軍服を纏う彼女は、ガイにとって従姉に当たる。故に青年は、穏やかに笑みを浮かべるとその名を呼ばわった。
「ジョゼット様」
「ガイラルディア?」
自身の名を呼んだ従弟の存在に気づき、ジョゼットは一瞬目を見張る。だが、すぐにその表情は柔らかく綻んだ。
宝剣ガルディオスを返還された後、ガイはキムラスカに住まう親族である彼女に自身の正体を明かしていた。マルクトに嫁いだ伯母ユージェニーの息子が存命していたことにジョゼットは驚き、そして喜んでくれた。
それからガイは、たまに手紙のやり取りをするようになった。その中で知ったのが、彼女とアスランとの心の交流。ジェイドの『記憶』にもその事実は存在したが、どうやらこの世界では『前回』よりもゆっくりと、だが確実に2人の感情は育まれているようだ。ごたごたが起きる前に戦争が終結し、彼らの間を阻む壁が消えたことも大きいだろう。
『前回』のように、死別させるつもりは無い。
アスランにもジョゼットにも、その『事実』を伝える必要は無い。
ガイにとってもう1人の姉とも言える彼女もまた、ジェイドの持つ『記憶』の恩恵を受けても良いはずだ。
そんな思いを心に抱いて、金の髪の青年は従姉と彼女を恋うる軍人の仲を取り持つように努めていた。そのせいか、ジョゼットの表情はバチカルの港に初めて降り立ったルークを迎え入れた時よりもずっと優しく、穏やかなものになっている。
ただ、今のジョゼットはどうやらバチカルに戻って来て間もないところだろう。きちんと着こなされている軍服は全体的に汚れていて、僅かに型くずれを起こしている。ファブレ家の使用人として長くあったせいか、その辺りをガイは簡単に見抜けるようになっていた。
「任務からお戻りですか」
「ええ、アブソーブゲートの調査を行っていました。特に今のところ問題は起きていないようですね」
ガイの問いに、ジョゼットは平然と頷く。ヴァン一派の暗躍を止め外殻降下を成し遂げたパーティの一員としてこの従弟がいたことを彼女はファブレ公爵から知らされている。故に、情報を隠すつもりは無かったようだ。隠したところで、いずれガイはファブレの子どもたちやナタリアを通して知ることになるのだから。
「そうでしたか。私はラジエイトゲートに行っていましたから、詳しいことは良く知らないんですよ。ルークに尋ねてみます」
そんな彼女の言葉に頷いて、ガイは短い髪を掻いた。ジョゼットのものよりも濃い金髪は、キムラスカの乾いた大地よりもマルクトの海に映えるだろうと彼女は思う。その向こうにちらりとアスランの顔を浮かび上がらせて、思わず視線を逸らした。
「……あ、貴方もマルクトに腰を据えたはずなのに、忙しいことですね」
「まあ、これも仕事ですし。私はこちらにも知り合いが多いですから、いろいろとはかどるんですよ」
一瞬震えたジョゼットの言葉に、気づかないふりをするガイ。彼女が何を考えていたのかは分からないけれど、自分が聞き出すことでも無いだろうと思ったから。
だから、懐から取り出したジョゼット宛の手紙について言葉を紡いだのは単なる偶然でしか無い。もっとも、本来なら軍に顔を出して彼女への仲介を頼むはずだったのだから、ここで会ったことからして偶然なのだが。
「それと、フリングス少将から手紙を預かって来ました。どうぞ」
「え、え、えええっ!?」
つい、大声を上げてしまってからジョゼットは、しまったと言う顔をして口元を押さえる。きょろきょろと周囲を見回す仕草がどこかミュウにそっくりで、ガイは唇の端を引きつらせた。アニスやアリエッタが良く小動物のような行動を取っていたけれど、ジョゼットも同じような行動に出ることがあるのだなあとある種の感心を覚える。
「ご、ごめんなさい。ありがとう、ガイラルディア」
ようやっと落ち着いた様子で、それでも白い頬を真っ赤に染めたまま彼女は手紙を受け取った。封筒の表面に綴られた文字を目で辿り、胸元にそっと抱きしめる。
すぐに封筒を懐にしまい、ガイに向き直るジョゼット。まだ頬の赤みは取れておらず、視線は微妙に従弟からずれているのが分かる。恐らく、彼の前で狼狽えた自分を見せてしまったことが気恥ずかしいのだろう。
毅然としたところは姉上そっくりだけど、もしかしたら姉上にもこんな姿があったのかな。
ぼんやりとそんなことを、ガイは考えた。一瞬だけ幼い姉の姿を思い出し、軽く頭を振る。
姉はもう、この世界には存在していないのだから。
「彼はお元気ですか?」
ジョゼットの声が、ガイを現実に引き戻した。彼女の言う『彼』が示す意味にはすぐに気づけるから、笑顔を作って頷く。彼女に近況を伝えるのも、マルクトに居を構える彼女の従弟である自身の役割だろう。
「ええ。ジェイドの旦那がもうしばらく師団に戻れないこともあって、正式に第三師団を引き継ぐことになったそうです。その訓練で大変らしいですよ」
「まあ」
ジョゼットは目を丸くした。それがアスランが師団長になったからなのか、ジェイドがしばらく現役復帰出来ないからなのかは分からない。かなりの割合で1つめの理由だろう、とガイは思うのだけれど。
「カーティス大佐の部下となると、かなり癖が強いのではありませんか? 私と部下たちの面倒を見てくれた部隊は、そうでもありませんでしたが」
「癖が強いのは旦那だけですよ。部下の人たちは……私も一部しか知りませんが、普通の軍人たちです」
自身がタルタロスに世話になっていた頃のことを思い出しながら、ガイは言葉を紡いだ。『死霊使い』ジェイド・カーティスの部下だと言うことで死体の軍団などと言う噂も立っていた彼らだったが、実際に会って話をしてみれば本当に普通の軍人たちだった。ルグニカ降下の後アスランと第三師団の捕虜と言う形で世話になっていたジョゼットも、ガイがそう言うならそうなのだろうと頷いた。
「良かった。あれはほんの一部だけのことでは無かったのですね」
「そうそう変わり者ばかり集まっていても、指揮に困るでしょうし」
同じように肩をすくめた彼女と彼。同時に顔を綻ばせ、互いに笑顔を見せ合う。
家を滅ぼされ復讐を誓ったガイと、断絶した家の再興を願ったジョゼット。
2人がこんな風に笑い合える日が来るなんて、預言に詠まれたことは無い。
ほうら、旦那。
俺たちだって、預言と違う未来へ進んでいるんだぜ。
だから。
「ジョゼット様。母や姉の分まで、幸せになってくださいね?」
ガイは少し茶化すような口調で、そんなことを言ってのけた。ジェイドの知る『未来』とは違う、もっと皆が幸せになれる未来へと進んで行く意思の表れとして。
それに対するジョゼットの返答は、彼女の性格や『現在』のアスランとの仲を鑑みれば納得の出来るものだった。
「え……ま、まだそこまでの仲じゃありません!」
せっかく元の白い色を取り戻しかけていた顔を再び赤く染め、感情に任せて声を張り上げてしまったのだ。一瞬後正気に戻り、慌てて咳払いをして背筋を伸ばした。
「と、とにかくガイラルディア。バチカルにいると言うことは何か用件があってのことなのでしょう? 済ませておいでなさい。私はしばらく、この街に滞在していますから」
だから、アスランへの手紙を書きます。届けてくれませんか。
「分かりました。では、失礼します」
ジョゼットの言外の願いを受け取って、ガイは素直に頭を下げた。そのまま別れ、足早に昇降機へと乗り込んでから青年は、大きく息をつく。
「……大丈夫だよな、ジョゼット様もフリングス少将も」
ジェイドの『預言』では、結婚式寸前まで辿り着いたところでアスランが殺されている。犯人はヴァン一派が生み出した、キムラスカ兵に偽装したレプリカ兵士の部隊。
キムラスカ、マルクト、そして神託の盾は共同でフォミクリー機関の捜索に当たっているが、今のところ結果ははかばかしくないと聞いている。レプリカ兵士が生み出されることで予測される被害はアスランだけで無く、各地に展開しているそれぞれの軍部隊に及ぶはずだ。
ヴァンにとっては、今オールドラントに存在する権力のほぼ全てが敵なのだから。
その彼は今きっと、地の底から自分たちを面白そうに見つめているだろう。そう思い、ガイは視線を足元に向ける。
「ヴァンデスデルカ。もし地核にいるのなら、当分出て来るな。お前の企みは、俺たちが必ず止めてみせる」
昇降機の床の下……大地よりももっと下にいるはずの存在を睨み付け、青年は低い声で呟いた。そこに怒りの感情は無く、あくまでも己の決意を籠めた冷静な声だ。
「世界は終わらせない。お前の知る破滅の預言も、旦那の知る預言も、俺たちが叩き潰す」
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