紅瞳の秘預言 88 偶然

 海の上に、ぷかりと浮かんでいる島が1つ。
 かつては素晴らしい街並みであっただろうぼろぼろの廃墟は、まるでつい最近何らかの災害に遭ったよう。
 その街中を、軽やかな足取りで女が1人歩いていた。フードで顔と、その背に存在する黒白の翼を外からは分からぬように隠している彼女は、やがて1つの入口が見える場所でぴたりと足を止めた。神託の盾兵士が2人ほど見張りに立っており、廃墟の中にあってその扉は妙に新しく見える。

「はい、みっけ。やっぱり、事前情報があると無いとでは探索の効率が違うわねえ」

 フードの中で、『生みの親』と同じ血の色をした瞳が細められた。襟に巻いていた布を鼻の上まで引き上げながら、その中に隠した口元が残忍な笑みを浮かべる。

「さぁてと、お仕事しなくちゃね」

 地面を蹴り、兵士の前に姿を見せる。相手が反応するよりも早く1人の喉元に突きを入れ、昏倒させた。

「なっ!? き、貴様っ……!」

 もう1人の手から剣を叩き落とし、腕を背後に捻り上げて地面にうつぶせに倒す。捻った腕に軽く力を入れると、声にならない悲鳴がその口から漏れた。

「ふふ、少しお話しましょうか?」

 兵士にとっては背中の上から、楽しそうな彼女の声が聞こえる。顔を見ることが出来れば無邪気に笑っている美しい表情を目に映すことも出来たのだろうが、あいにく兵士は振り返ることが出来ない上に彼女は顔を隠していた。

「な、なに、を……」
「簡単よ。ここ以外にフォミクリーの設備がある場所を、知っているだけ教えなさい」

 くい、とまた力が籠められる。目の前で昏倒している仲間に助けを求めることは出来ず、さりとて苦痛が強すぎて悲鳴や叫び声を上げることも出来ない。それよりも何よりも。
 自分を今支配しているこの女が、とてつもなく恐ろしい。
 兵士は自身の経験や兵学校で教わった知識からでは無く、純粋に動物としての本能でそう感じた。
 己が今、自らの生死を獰猛な獣に握られているのだと。

「……ねえ?」

 女は布の下でぺろり、と舌なめずりをする。彼女の血の色の瞳が爛々と輝いていることを感じ取り、兵士は一瞬意識を手放しかけた。
 ほんの刹那しか効果の無い現実逃避だったとしても彼には、そこから逃げる術がそれ以外に存在しないのだから。


 バチカル最上層にそびえる王城。謁見の間にはルークとアッシュ、そしてダアトからやって来たティアとシンクが揃っていた。玉座におわすインゴベルト王の隣には、清楚なドレスを纏ったナタリアの姿もある。
 どこか疲れてはいたが、何かをやり遂げたような満足げな表情を浮かべインゴベルトは口を開いた。

「どうにか、プラネットストームの停止に関しては貴族たちの同意を取り付けた。無論、その後に必要となる新動力源の開発や現在稼働している音機関からの転換、そう言った需要によって発生する利益を鑑みてのことだろうがな」
「それは仕方の無いことですわ。企業を抱えていると言うことは、そこに勤める人間やその家族の生活を抱えていると言うことですもの」

 小さく頷いて、ナタリアが言葉を続ける。2人の話を聞いてアッシュが、ふむと顎に手を当てた。

「1つ潰すと数十から数百、下請けも入れると1000の単位で路頭に迷うからな。ローレライ教団で保護出来る人数にも限界があるし」
「そんなにいるんだ!?」

 兄の言葉に、ルークが目を丸くする。その反応にアッシュの方が驚いたようだったが、すぐにふうと溜息をついた。
 そう言えばこの子は、きっと大規模な工場を見たことも無いだろう。彼が知っているのは、ベルケンドやシェリダンの職人たちが出入りする工房だから。
 見たことが無いのなら、見せれば良いのだ。

「お前、今度いっぺん父上の持ってる工場の見学に行け。ほんの数人で、タルタロスのような陸艦が造れるわけねえだろうが」
「そ、それもそっか」

 故にアッシュが示した提案に、ルークは素直に頷いた。まだまだ朱赤の焔は、知らないことがたくさんある。それに気づいたのか、シンクがサングラスを軽く動かした。参謀総長に復帰してから、鳥を模した仮面の代わりに使っているものだ。さすがにまだ、イオンと同じ顔であることをあまり大っぴらにはしたくないようである。

「ま、普通はそう言った連中のこと余り考えに入れないよね。毎日食べてる食料や普段使ってる音機関がどうやって作られてるか、言われてみなければ意識出来ないものさ」
「うむ。ルークはまだまだ学ぶことが多いのう」
「はは……」

 王にもちくりと言われて、朱赤の焔は長いままの髪をかりかりと掻く。この1か月、ローレライの宝珠を自身から取り出すための修行に専念していたせいで、他の勉強がほとんど進んでいない。そのことをルーク自身、気にしてはいた。
 だけど、まず目の前の問題を解決しなければ駄目だから。

「プラネットストームを停止して即、現在の音機関が使えなくなるわけではありません。多少なりとも猶予があります」

 ティアが声を張り上げた。ユリアシティに存在する音機関には、僅かだがプラネットストーム成立以前から使われていたものが残っている。それらの構造を調査すれば、プラネットストームの存在に頼らずとも動作する音機関の製造が可能になるかも知れない。
 その情報はティアを通じ、音機関都市を有するキムラスカにも譜業の天才を抱えるマルクトにも伝わっている。故にインゴベルト王は、重々しく頷いて見せた。

「うむ。ベルケンドとシェリダンの技術者には既に古代音機関の研究、そして代替動力源の候補をまとめるよう命じてある」

 それから少し間を開けて、王は朱赤の髪を持つ甥に視線を向けた。彼らをここに呼んだ理由は、音機関問題についてでは無い。……いや、根本的には繋がっているのだが。

「さて、ルークよ。プラネットストームを停止させるには、そなたの力が必要だと聞いておるが」
「あ、はい」

 尋ねられ、ルークは素直に頷いた。ジェイドの『記憶』とそれを補完するためにイオンが調べてくれた古文書で、プラネットストームの停止にはローレライがルークに託した『ローレライの宝珠』の力が必要になることが分かっている。ルークが修行を最優先にしていたのもそのためだ。
 そして。

「準備は、出来ています」

 ルークが質問を連ねた手紙に、ジェイドは自身に分かる限りで丁寧に答えてくれた。その手紙を励みに修行を重ねた結果……ローレライの宝珠はルークの願いを叶え、掌の上にその姿を見せてくれたのだ。
 普段はルークの胸の中で眠っているけれど、少年が願えば現れてくれる。それが、彼の言う準備だ。

「そうか。では、すぐにでも出立出来るか?」
「はい、いつでも」

 そして、ルークがローレライの宝珠を取り出すことが出来るのをインゴベルト王は待っていた。彼だけで無くピオニーもイオンも、少年が準備を済ませるまでに世間の了解を取り付けようと努力していたのだ。ちょうど同等のタイミングでその両方が成ったと言うのは、ただの偶然に過ぎない。

「交渉によりそなたには我が国とマルクト帝国、それにローレライ教団から見届け役を兼ねた護衛を出すことになっている。道中は案ずるに及ばぬ」

 王の言葉が終わると共に、シンクが一歩踏み出した。

「導師とお付きは忙しいからね、教団代表は僕が務めさせて貰うよ。ゲート周辺の警備はカンタビレがやってくれるから、心配しなくて良いんじゃない?」
「私はユリアシティの代表として、プラネットストームの終わりを見届けます」

 少年の隣でティアが、にっこりと微笑む。理由はともかく、彼女はまたルークと旅をすることが出来るのが嬉しいのだろう。
 そして、真紅の焔が平然と言葉を継いだ。

「キムラスカ代表は俺とナタリアが務める。文句は言わせねえぞ」
「え? だって、アッシュが一緒だったらローレライの鍵、やばくねえ?」
「危ないときは同じことだ。別行動したところで、俺の動きなんざ筒抜けだろうさ。なら、警護を一点集中出来る方が面倒が無い」

 ルークの不安は、ジェイドの『記憶』の中でアッシュが口にしていたらしい台詞だ。だが、現在は『前の世界』では無い。この場でそれを大っぴらにすることは出来ないからアッシュは、遠回しに自身が同行する意味を口にして見せた。

 『前回』は、俺がルークたちにもろくに連絡を取らず動いていたから。
 だから、ヴァンの一派もなかなか俺を見つけることが出来なかった。

 今回は事情が違う。
 キムラスカの片隅に奴に通じている者がいれば、俺の行動もルークの行動も簡単に漏れる。
 王族ってのは、そう言うもんだ。

 くそったれが。

「済みません、インゴベルト陛下。お待たせしました」

 入口側から声がした。聞き慣れた青年の声に、一同が振り返る。そうして、一瞬動きを止めた。
 短い金髪の青年の隣に立っているのは、くすんだ金髪を背に流した青い服の軍人だったから。

「お久しぶりです。ルーク、アッシュ」

 真紅の瞳には、ルークが良く知っている穏やかな優しい光が戻っている。ガイの肩を借りてゆっくりと王の前に進み出たジェイドは、一度深く頭を下げた。

「マルクト帝国側代表はガルディオス伯爵、及び私ジェイド・カーティス大佐が務めます」

 ふわりと微笑んで名乗ったジェイドの表情を見て、第七音素を操ることの出来る子どもたちは不意にピオニーの言葉を思い出した。
 ジェイドが持つ『記憶』の『その後』を皇帝に伝えた後の、彼の言葉。

 ユリアの預言にも無い、ジェイド自身が覚えてる『記憶』にも無い、
 新しい未来をあいつに見せてやって欲しい。
 ルークもアッシュもちゃんと生きて、オールドラントも滅びなくて、

 ……あいつも死ななくて良い未来を。

「よろしく、ジェイド」

 皇帝の思いとジェイドの言葉に応えて、ルークは満面の笑みを浮かべて見せた。そうして言葉にこそ紡がないけれど、胸の中で呟く。

 どうか、見ていてくれよ。
 俺たちの未来を、俺たちが作るところを。


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