紅瞳の秘預言 89 団結

 ノエルが操るアルビオールが、高くなった空を行く。その座席でルークたちは、久しぶりに会った友人たちと会話を交わしていた。特にジェイドとはグランコクマで別れて以来の再会と言うこともあってか、主に会話は彼を中心としたものとなった。当然のように彼の膝の上を占領しているミュウの頭を撫でながら、ジェイドは丁寧に子どもたちの問いに答えて行く。

「ジェイド、師団長辞めたんだって?」
「ええ。第三師団はフリングス少将にお願いすることになりました」

 ルークに頷いたジェイドの表情は、1か月前に比べるとずっと落ち着いていた。サフィールの治療とガイも手伝っての世話が、彼の回復にかなり功を奏したのだろうことが分かる。
 内側がどこまで癒されたのかは、分からないけれど。

「でも、大佐のままなんだね」
「前線を離れまして、技術研究部の配属になったんです。プラネットストームに代わる、代替動力の開発に携わることになりました」

 シンクの疑問に答えることでジェイドは、今の自分の地位を子どもたちに示す。同時にそれは、自分を慕ってくれる彼らに安堵の材料を与えることにもなる。
 師団を離れ、世界の未来のためになる技術研究に携わる。それはつまり、ジェイドが戦場に赴く可能性が低くなったと言うことだから。もっともそれは、ヴァンを打ち倒すまでは完全に叶えられないのだろうが。
 だって今、彼はこうやって子どもたちと共に旅路にあるでは無いか。

「軍で研究をなさるのですか?」
「マルクトだと、その方が効率が良いのさ」

 ナタリアの問いには、キムラスカとマルクト双方の事情を良く知るガイが答える。サフィールと並んで両国間の折衝に当たっている彼は、その過程で2つの国がどれだけ異なる事情を抱えているかと言うことを思い知らされたのだ。

「キムラスカと違って、マルクトは民間レベルでの譜業開発研究があまり進んでないからな。ましてや新しい動力の開発なんて言う大がかりな研究になると、どうしても軍で扱うことになる」
「なるほど。マルクト側の事情ですのね、分かりましたわ」

 キムラスカ国内の事情には詳しいこの王女も、さすがに隣国の事までは図りかねる部分もある。その空白を幼馴染みである青年のおかげで僅かに埋めることが出来、ナタリアは嬉しそうに頷いた。
 恋人の笑顔に少しだけ唇の端を緩め、彼女の隣に座を占めているアッシュがジェイドに問う。

「そうすると、ディストもそこの所属になったのか?」
「はい。私の補佐という形でついて来てくれました。対外折衝が案外上手いんですよ」

 真紅の瞳を穏やかに細めて、ジェイドは頷いた。膝の上でみゅ、と一声あげたチーグルの頭を、そっと撫でてやる。
 ルークやシンクと違い、アッシュはジェイドの『息子』と言うわけでは無い。だがそれでも、彼を見るジェイドの表情はやはり我が子を見守る親のそれに近い。彼らを庇護すべき者としての思いが、ジェイドにその表情を宿らせるのだろうか。

「そりゃまあ、譜業と口車で師団まとめてたみたいだしねえ。あんたの手伝いとなれば、ディストも張り切るに決まってるだろ」

 自分とフローリアンをかくまってくれたライナーのことを思い出しながら、シンクは軽く溜息をついた。知っている人物しかいないせいかサングラスを外し、イオンよりは大人っぽいけれどまだまだ幼い素顔を晒している。ノエルには一瞬驚かれたけれど、イオンの兄弟だと名乗ることで彼女を納得させることが出来た。
 兄弟。
 オリジナルとレプリカ、同じ人物から複製されたレプリカ同士。
 ごく当たり前のように彼らを兄弟と呼ぶのは、ルークやジェイドと共に旅をした仲間とそのごく近しい友人たちに限られる。世間では未だレプリカに対する差別は存在し、好奇の視線に晒されることを嫌ってかルークもあまり登城することは無い。シンクが自身の顔を露わにしないのも、レプリカ差別を恐れてのことだろう。自分もそうだが、イオンやフローリアンにも影響が及ぶから。

「なら、ガイもいることだしマルクト側は安泰だな」

 だがその問題は、少なくとも今ここには存在していない。だから子どもたちは、何の気がかりも無しに会話を交わすことが出来る。それはルークを弟と呼ぶアッシュも同じことで、彼は穏やかに笑みを浮かべていた。

「キムラスカ側はい組とめ組、それに父上の持つ譜業関連企業が主として携わることになる。俺も関わることになるから、何かあったらよろしくな」
「はいはい。アッシュからよろしく、なんて言われるとは思わなかったよ」

 幼い頃のアッシュを知っているガイは、苦笑を浮かべながらも頷く。ヴァンの心理的な拘束から解放されナタリアの隣にいるようになった真紅の焔は、性格が丸くなって来たような気がする。ジェイドの『知って』いる彼にはあまり表だって見られなかっただろう、落ち着きと優しさが前面に現れて来ている。

 これも、ジェイドの旦那のおかげなんだけどなあ。
 本人、自覚無いんだよなあ。

 ほんの少し首を捻りながら、心の中で呟くガイ。声に出して言ったところでジェイドは、自分にそんな力は無いなどと言うだろうから。
 そんなガイを他所に、ティアが胸元に手を当てた。そこには、スターサファイアのはめ込まれたペンダントが下がっている。その事情を知ったルークからジェイドが依頼を受けて彼女のために買い戻した、ティアの母親の形見。ちなみに代金は、ジェイドがルークに利息無し・返済期間無期限で貸したと言うことになっているらしい。

「ダアトでは、ユリアシティにある禁書の研究を進めているの。ユリアの預言に沿わないために禁じられた書物だから、恐らく音機関以外の機器や動力の情報も得られるんじゃ無いかしら。出せる情報が出て来たら、ちゃんとキムラスカにもマルクトにも持って行くわね」
「情報漏洩とか言われないだろうな?」
「イオン様とお祖父様の合意の上だから大丈夫。残してあったってことは、いつか誰かが読むために保管してあったんだろうってお祖父様もおっしゃっていたし」

 アッシュの疑問に対し、彼女は小さく頷いて見せる。その中に出て来たテオドーロの発言に、ルークは「あ、そうか」と納得したように手を打った。

「だよなあ。存在自体がやばいもんだったら、焼いちゃったりするよな」
「そう言うこと。わざわざ書庫を造って残してあるんだから、どちらかと言えば後世のために禁じられた知識をしまい込んでおくことが目的だったのかも」
「ユリアの預言にそうするよう詠まれていたのか、それとも昔の方々が自主的にそうなさったのか……いずれにせよ私どもは、その恩恵を受けられることに感謝しなくてはなりませんわね」

 ティアとナタリアは顔を見合わせ、同時に表情を綻ばせた。遠い過去に存在した人々の思いの真実は今となっては分からないけれど、そのおかげできっと自分たちは未来を紡いでいくことが出来る。

 未来、か。

 その一言を胸の中で呟いて、ルークはジェイドに向き直った。

「なあ。『今回』はさ、だいぶ早く進んでるんだろ?」
「……そうですね。『前回』はまだ、プラネットストームの停止と言う議題すら議会に上がっていませんでしたから」

 少しだけ考えて、ジェイドが頷く。『前の世界』ではこの頃はまだ、やっとルークが気晴らしを兼ねてファブレ邸を出立した頃だろう。自分はセントビナーで、アスランが率いる軍部隊がレプリカ兵の襲撃を受けたことをそろそろ知るはずだった。
 『この世界』で、あの襲撃がどうなるのかは分からない。起こらないのか、起こってしまうのか。
 もし起きたとしたら、その結末はどうなるのか。
 ピオニーにはなにがしかの考えがあるようだったが、ジェイドには詳細は知らされていない。もっともあの皇帝のことだから、大丈夫だろうとは思っている。
 ジェイドの思考はルークには分からなかったが、朱赤の焔はふむ、と顎に手を当てて考える表情になった。ジェイドの『記憶』の話を思い出しながら、ぽつりぽつりと言葉を選んで呟いた。

「そうだなー。第一、まさかヴァン師匠が生きてる、なんて思わなかっただろうしなあ」
「兄さんも大概しつこいのよ。……良く言えば粘り強いんだろうけど、悪く言えば頭が固いのね」

 ルークはティアのことを気にしての言葉選びだったのだろうが、当の少女はあからさまにうんざりとした表情を見せた。少しは兄に対する思慕も残っているだろうに、それ以上にヴァンの言動が実の妹にそう言う態度を取らせるのだろうか。

「私も、人のことは言えないけど」

 ただ、最後にぽとりと落とされたその一言が妙に重く聞こえたのは、気のせいでは無いだろう。そのせいか、ナタリアは意図的に会話の方向性を変えるような発言を口にした。

「それでも、このまま放置しておいてはオールドラント全体に悪影響があったのですわよね。星に無理をさせてきた反動が、ここに来て一気に噴出したのでしょう」
「ほんとだよね。そもそもプラネットストームと言う機構自体、星に負担掛けてる訳だし」
「ローレライにもな。無理に地核に留まって貰って、大変な思いをさせることになっちまってさ」

 シンクとガイは、ナタリアの意図に乗って頷いた。そうして子どもたちの視線は、ミュウを撫でている真紅の瞳の軍人に集中する。

 そして、自分たちを守るために5年の歳月を遡ってきたこのひとにも。
 とても大変な思いをさせることになってしまったから。

「ちゃんと星にも楽して貰って、決着もつけないとな」

 そうしたら、貴方の重荷は下ろすことが出来るだろうか。


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