紅瞳の秘預言 89 団結

 アブソーブゲートのある島に降り立ち、一行はゲートへと向かった。
 島には、カンタビレの部下たちが警護のために配置されていた。師団長自身はラジエイトゲート側にいるとのことで、ルークたちとカンタビレとの再会はほんの少し先延ばしされた格好になる。
 シンクの指示により、ノエルとアルビオールを守るために兵士が配置に着く。最悪の場合は空に逃げろと言う指示を残し、子どもたちは地下へと足を踏み入れた。

「先にこっちを閉めて、その後ラジエイトゲートで良いんだよな」

 ルークが言葉に出して、手筈を確認する。ほんの少しだけ震える声は、やはり『記憶』の中にある事象が影響しているのだろう。『前の世界』でジェイドは、ここでヴァンが復活していることを知ることになったのだから。

「ええ。少しでも世界への影響を減らすために、まずはプラネットストームの帰着点であるアブソーブゲートを閉じます。その後出発点であるラジエイトゲートを閉じるまでに余分に放出された音素が、本来のセフィロトの流れに乗って世界を漂うことになります」

 ジェイドもそのことを『思い出して』いるのか、殊更丁寧に説明してくれる。もっとも、『ルークが確認したがっているから』なのかも知れないが。
 朱赤の焔が知りたいことを、この『生みの親』はいつもこうやって教えてくれる。何も知らなかったがために破滅の道を進むことになった『前のルーク』のように、今のルークがならないように。

「プラネットストームが無くなっても、セフィロトが本来放出している音素の流れは残ります。まあ、プラネットストームとは音素量が格段に違いますから、膨大な音素を使う音機関はもう使えなくなると言って良いでしょう」

 かつ、かつと靴音が響く中、ジェイドは訥々と語る。彼を見上げながら、空色のチーグルが僅かに首を傾げた。ちょこちょこと必死にルークを追いかけている様は何とも愛らしいが、張り詰めた空気を和らげるには至らない。

「そうしたら、そのうちアルビオールさんも飛べなくなったりするですの?」
「今のままではそうですねえ。省力化や別の動力の開発で、何とか補わなくてはいけません」

 ミュウの疑問にも、ジェイドは丁寧に答えを返した。それからふと気づき、小さな身体を抱き上げてやる。嬉しそうに頬をすり寄せながらミュウは、それでもどこか心配そうに耳を傾けた。

「みゅう。そうしたら、これからノエルさんもギンジさんも大変ですの」
「だなあ。けど、あの2人にはシェリダンのめ組がついてる。大丈夫だよ」
「ですの?」

 ジェイドの腕の中にいるミュウを撫でてやり、ガイは笑った。
 新しい動力を開発するための協力を要請した彼に、かの技術者たちは作業服の袖をまくり上げて任せておけ、と力強く答えてくれた。同じことをベルケンドでも繰り返し、2つの街の技術者は互いに自分たちが先に新動力を開発するのだと早速研究に入っている。
 そのことを分かりやすく仲間たちに伝えてガイは、言葉を締めくくった。

「まあそういう訳だから、アルビオールもずっと飛べると思うぜ」
「それなら良かったですの。お船で旅をすると、ジェイドさんと遊べる時間が短くなるですの」
「はい?」

 ほっとした表情でチーグルの子が口にした言葉に、他の全員が目を丸くした。ミュウにとって旅をすると言うことは、どうやらジェイドのところへ遊びに行くのと同義語らしい。
 しばらくの空白の後、各々が表情を綻ばせた。ただ1人、当のジェイドだけはいつまでも不思議そうに首を傾げていた。


 やがて、ルークたちがヴァンと激戦を繰り広げたオルガンのある空間に出た。床に広がった大きな亀裂の際には、ヴァンが突き立てた剣がそのまま残っている。

「残っているな」
「俺たちの動きが早かったからさ。ヴァンデスデルカも今頃はまだ、ローレライを抑え込むのに苦労してるんじゃ無いか?」

 つまらなそうにその剣を見つめるアッシュに、ガイが小さく肩をすくめた。
 プラネットストームの停止を実現させるためのキムラスカ・マルクト両国の説得も、ルークが自分の中からローレライの宝珠を取り出すことが出来るようになったことも、ジェイドの知る『前の世界』よりはずっと早い。一方ヴァンは、地核でローレライを取り込んで生きていたとしてもその存在を抑え込むためにはどうしてもある程度の時間がかかる。ましてやローレライ自身はジェイドの『記憶』を知っており、その成就を阻むためにこちら側に味方している。自分を取り込んだヴァンに対し、激しく抵抗している可能性は高い。

「だけど、兄はユリアの譜歌を歌うことが出来るわ。ユリアが結んだのと同じように契約を結んでしまえば、それに従わざるを得ないでしょうね」

 ティアが、現実的な台詞を口にした。彼女と実兄であるヴァンは共にユリア・ジュエの血を引いており、そこに大譜歌の力が加わることで彼らは容易にローレライとの契約を成し遂げることが出来るだろう。そうなれば、例え一方的な契約締結だったとしても、意識集合体の抵抗はかなり弱められてしまうに違いない。

「だったらせめて、あいつが完全にローレライを制御下に置く前にゲートを閉じ、プラネットストームを停止させる。少なくともそれで、フォミクリー装置の稼働効率は落ちる」
「そうしたら、ヴァンの企んでるレプリカ大地の生成にも時間が掛かるようになるね。その間に僕たちは、あの馬鹿を叩きのめす」

 アッシュがきりと奥歯を噛みしめながら、続いてシンクが緑の髪を掻きながら言葉を紡ぐ。紅瞳の譜術士がかつて経験した『前の世界』の物語を繰り返さないように、自分たちが見た『夢』の終わりが訪れないように、子どもたちは決意を固めていた。


 パッセージリングの間を通り過ぎ、一行は更に下へと向かった。かつて、ユリア・ジュエがプラネットストームを構築し制御するために描いた譜陣があると言う、最下部の収縮点。そこが今回の、目的地だ。

「アッシュ、ナタリア」

 不意に、シンクが声を上げた。己のすぐ傍を歩いている少年が見上げて来るのに、ジェイドは僅かに首を傾げてその顔を見つめる。名を呼ばれた2人も、シンクに視線を向けた。
 そのシンクはジェイドの腕を取り、自分が名を呼んだ彼らの側に引っ張って来た。そうして、サングラスの奥から鋭く眼光を光らせる。

「死霊使いを見てな。僕がヴァンなら、こいつを使ってローレライの鍵を奪う」
「……っ」

 少年の言葉に、一同は息を飲んだ。ジェイドの表情が強張る瞬間が、シンクの目に映る。
 ヴァンに囚われたジェイドは薬物投与で自我を弱められ、言葉による思考誘導を受けて操り人形に近い状態にされていた。サフィールの懸命な治療により快方に向かってはいるけれど、『ヴァンに逆らってはならない』と言う暗示が解かれているかどうかは分からない。何しろ、ジェイドを救出して以降ヴァンとは一度も会っていないのだ。
 ただ、どうやら今の反応からすると、まだ暗示の影響は残っているらしい。それを見て取ったアッシュは、ジェイドの横に寄り添うと力強く頷いた。

「分かっている。任せろ」
「ええ、お任せくださいませ」

 ナタリアはジェイドの手を包むように軽く握り、ふわりと微笑む。おろおろと2人の子どもたちを見比べるジェイドに、困ったように眉根を寄せた。

「カーティス大佐がグランツ謡将の良いようにされてしまっては、ルークも私たちも悲しいですわよ?」
「……済みません」

 ルークの名を出されてやっと、ジェイドは軽く頭を下げる。それで、子どもたちはジェイドの今の状態を確認出来てしまった。
 まだ、回復しきってはいない。彼の心はまだ、不安定な状態にあるのだと。
 当然だろう。あれからまだ1か月しか経っていないのだ。心の奥深くに刻み込まれた傷が、そう簡単に癒える訳では無い。
 アッシュやガイ、ナタリアやティア……ルークもシンクも、それぞれがそれぞれに未だ心の傷を抱えている。それでも立ち向かって行けるのは、いつも誰かが側にいてくれたから。
 真紅の瞳の譜術士が、自分たちの手を取ってくれたから。
 その彼が酷く傷つき、それでも子どもたちを守るために更に傷を負った。ならば、今度は自分たちが彼の手を取ろう、と彼らは心に決めていた。

「ま、何とかなるってな。そのためにわざわざ、こんな人数で動いてるんだし」

 ガイは青い背中をぽん、と軽く叩いた。アッシュとナタリアが彼の側にいるのなら、自分は少し離れたところで見守るのが役目だろう。ルークもアッシュも、そしてジェイドも守るために。

「本当ならいっそ1部隊動かすか、なんて話もあったんだけどね。さすがに人数多すぎると動きにくいし、スパイがいないとも限らないからさ」

 頭の後ろで両手を組み、シンクは外見年齢相応の幼い笑みを浮かべて見せる。参謀総長の地位に就くだけあって頭が回るこの少年は、自分の手を取ってくれた人が悲しむ結末にならないよう今も思考を巡らせている。

「キムラスカ内部にも、謡将を慕う方は多かったですものね……」
「野望さえ持ってなきゃ、いっぱしの人格者だからな」

 ジェイドを両脇から挟むようにして歩きながら、ナタリアとアッシュは言葉を交わす。7年前に引き裂かれた絆を紡ぎ直してくれたこの人を、悪意から守ろうと決意を固めて。

「でも、もう兄さんの心からあの野望が消えることは無いのよね。私がちゃんと、引導を渡さなくちゃ」
「ティアだけじゃ無茶だって。何のために俺たち、一緒に来てるんだよ」
「みゅう。みんなで一緒に頑張って、オールドラントを守るためですのー!」

 そうして一行の先頭を進むティアとルークの会話に、ジェイドの肩に収まったミュウが無邪気な声で割り込んだ。生まれたその時点からヴァンの野望に巻き込まれていた朱赤の焔と、いつしか彼を恋うるようになっていたユリアの末裔の少女。そして、己の過ちから森を焼き払い故郷を追われた聖獣のこども。彼らもまた、ジェイドが伸ばした手のおかげで心を救われた存在である。
 今この場にはいないアニスやアリエッタ、イオンやサフィールもこの場にいればきっと、同じようにジェイドを守ろうと動くはずだ。だから、彼らの分まで自分たちが、彼を守る。
 そうしてプラネットストームを止め、皆が生き延びる未来をこの手に引き寄せよう。


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