紅瞳の秘預言 90 誘惑

「そうだ。私はお前を見くびっていたようだ。お前は既に、オリジナルと同等の位置にいる。お前がこちらに来るのであれば、ティアやガイ同様受け入れてやろう」
「……師匠」

 ぽつりと呟かれたルークの言葉に含まれた感情は、どちらかと言えば呆れに類するものだった。ぴくりと眉を動かしたリグレットには目もくれず、朱赤の焔は毅然と答えを返した。

「その言葉、俺のこともアッシュのことも馬鹿にしてますよね」
「何?」

 その言葉が意外だったのは、ヴァンやリグレットだけでは無かった。子どもたちも、そしてジェイドすらも目を見開き、ルークを見つめる。その中でアッシュだけは、満足げに碧の目を細めた。弟の言いたいことが、何となく分かったのだろう。

「確かに俺は、アッシュのデータから生み出されたレプリカかも知れません。貴方にとって俺は、アッシュを生かすための捨て駒だった」

 自身に視線が集中する中で、ルークは言葉を紡ぐ。その目がヴァンから逸らされることは無く、むしろ胸を張り堂々としていた。複製体であることに引け目を持ち泣きそうな瞳を見せていた『前のルーク』とは、まるで違う。
 これもきっと、赤い瞳の軍人がその手を取って導いてくれたから。

「俺は超振動の力を以て、世界を滅ぼすための破壊兵器として見込まれた。その俺が言うことを聞かねえから、同じ能力を持つルークを破壊兵器のスペアに仕立て上げようとしてるってことか」

 同じようにジェイドに救われたアッシュも、腕を組み呆れた表情でヴァンを睨み付けた。一度胸元のペンダントを握りしめてからティアは、ルークにそっと寄り添った。兄にはもうついて行けないと言う、その意思の表れとして。

「複製の大地に、データを残すと言う条件よね。いずれにしろ、私たちには死ねと言っている。レプリカ大地に生きるのは私たちじゃ無く、私たちのデータから生まれたレプリカたちだもの」
「そもそもレプリカ計画だって、レプリカをオリジナルの代わりとしてしか見てないからこそ出来る計画だよねえ。何しろすげ替える、って言うんだからさ」

 最初は自身もその計画に荷担していたシンク。だが、己がイオンとは異なる1人の人間だと認められたことを受け入れて、今はヴァンたちの計画を阻むためにこの場にいる。
 そうして元はヴァンと共にファブレへの復讐を目標として生きていた金の髪の青年は、薄れていた怨念を解かれたことで彼と敵対しその前に立ちはだかった。

「は、確かにお前、アッシュもルークも馬鹿にしてるよな。そもそも、2人とも人間として見ちゃいない」
「ご主人様を馬鹿にしたら、ボクが許さないですのー!」

 彼らの足元で、ミュウも小さな身体に怒りを籠めている。毛を逆立て、少しでも全身を大きく見せようとしているのは彼なりの威嚇。
 子どもたちを見つめるヴァンと、そして無言のままのリグレットの視線は、それでも揺らぐことが無い。もしかしたら、彼らの指摘は既に2人の内側では解決済みの問題なのかも知れない。
 幼子を兵器として利用することも、レプリカをオリジナルの代替としてしか考えないことも。
 かつての主や血の繋がった妹を、新世界のために殺すことも。
 そんな冷酷な計画は、何としても止めなければならない。例え、ヴァンを殺すことになっても。
 その決意を既に、子どもたちは胸に秘めている。だからルークは毅然とした態度を崩さないまま、声を張り上げた。

「俺はアッシュの弟で、アッシュは俺の兄です。スペアとかオリジナルとか、そんなんじゃ無い。姿は良く似てるけど、育ち方も性格も全然違う別の人間なんです」
「別人を、たかが外見がそっくりなくらいで同一視するんじゃねえ。兄弟をそこまで馬鹿にしやがる腹黒になおついていけるほど、俺たちはガキじゃねえんだ」

 アッシュもまた、ルークより少し低い声で吐き捨てる。さすがにそこまで言われて黙ってはいられなかったのか、乱れた服装を気にせずにリグレットがだん、と足を踏み出した。

「……貴様ら、閣下に失礼なことを」
「よせ、リグレット。子どもは成長するものだ」

 ヴァンの余裕のある言葉に、リグレットははっとして振り返る。ゆらりと揺れた人型をしばし伺い、やがて「失礼いたしました」と身を引いた。

「しかし、ならばこちらも少々強引な手段を執らざるを得んな」

 揺らめく炎のような人型の中に一瞬だけ、ヴァンの顔がはっきりと映し出された。その顔には、どこか邪悪とも取れる意思に満ちた笑みが浮かんでいる。

「カーティス大佐。ローレライの鍵を、私の元へ持って来い」
「……っ」

 名を呼ばれた瞬間、ジェイドの全身を目に見えぬ手が鷲掴みにした。振り返った焔たちの視界に、ぴたりと動きを止めた長身が映る。端正な顔を、怯えの表情が支配していた。

「貴方は私には逆らえん。意識の奥深くに刻んだ言葉が、そう簡単に打ち消せると思うか」
「……ぁ……」

 ヴァンの言葉に引きずり込まれるように、真紅の瞳が一瞬光を失いかける。抗うことも出来ないまま、ジェイドの意識は闇へと押し込まれて行く。
 それを引き戻したのは、朱赤の焔が彼を呼ぶ声だった。

「ジェイド!」

 『我が子』の声に、ぼやけていた焦点が僅かに合う。視界に映る朱赤の髪と碧の瞳に引かれて、ジェイドはその名を呼んだ。だが、どこか虚ろな響きが声には残っている。

「……ルー、ク」
「カーティス大佐、しっかりなさいまし!」

 腕にすがりついたナタリアの叫び声が届いた。同時に軽く頬を叩かれ、その痛みが無理矢理にジェイドの意識を光の下へと引きずり戻す。

「ナタリア……済みません、ですが……」
「構いませんわ」

 それでも高熱に浮かされたように意識がぼやけているジェイドに、ナタリアはしっかりと頷いて見せた。既にアッシュとガイは剣を抜き、構えている。ティアも太腿から引き抜いたナイフの切っ先で、ヴァンとリグレットを牽制していた。シンクとミュウは、いつでも床を蹴って飛びかかれる体勢を取っている。
 そうしてルークは、しっかりとジェイドにしがみついた。子どもが親に抱きつくように、大切な人を害する者から守るように。

「ルーク、離れなさい。私は……」
「いやだ! 今離れたら、俺もうジェイドに会えなくなるかも知れないだろ!」
「……」

 自分はヴァンに逆らえない、と言う言葉をルークの叫びで遮られ、ジェイドは僅かに瞳を見開いた。己を守ると言う本能が薄れていても、護るべき我が子の悲鳴には敏感だから。
 ルークが悲しんだら、自分が戻って来た意味が無い。

「ジェイド・カーティス。我が命に従え」

 それでも自身を縛ろうとするヴァンの声に、紅瞳の譜術士は初めて抗った。1人なら既に陥落していたかも知れないが、今自分の回りには護るべき子どもたちがいる。彼らのためなら、戦えるから。

「いや、です……っ」

 弱々しく、頭を振る。くすんだ金の髪は取り戻された後サフィールの手入れを受けて、ルークたちも良く知る彼の艶やかな髪に戻っていた。だから、さらさらと流れる音は耳に心地良い。

「私は、この子たちを守らなければ、ならないんです……だから、貴方には、従えない」

 自分を慕うように抱きついているルークの赤い髪を撫でながら、ジェイドはゆっくりと自身の意識を落ち着けて行く。自分を守るためでは無く、この幼子を未来に生かすためにジェイド・カーティスは、己を保たなければならない。
 だから、例え深層意識を蝕む男の命令でも聞くわけにはいかない。




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