紅瞳の秘預言 91 思慕

 譜陣の中心で、ルークがじっと目を閉じている。同行者たちは譜陣を囲むように立ち、朱赤の焔を真っ直ぐに見つめていた。
 空に掲げられた両の掌の中に、ふわりと淡い光が浮かび上がった。最初はほんの微かな灯火だったそれは、第七音素の凝縮と共に自らを形作っていく。

「……」

 光はやがて凝固し、ちょうどルークの手に収まるサイズの球体となった。第七音素意識集合体が朱赤の焔に託した、ローレライの宝珠。
 ルークの祈りに応じて、宝珠はさらに光を溢れ出させる。同時に譜陣も光を放ち、描かれていたラインが光の粒となって空中へと舞い上がって行く。目を閉じているルークには見えなかったけれどそれは、『夢』の中でジェイドが音素乖離して行くさまにも良く似ていた。その光景を知る子どもたちは、ルークが目を閉じていてくれてよかったと胸の内で安堵する。
 やがて、譜陣を形成していた第七音素たちは全て空に解き放たれた。それを感じたのか、ルークがすっと瞼を開ける。ジェイドの方を振り返り、軽く首を傾げて問うた。

「これで良いのかな?」
「ええ。足元を見て貰えば分かりますよ」

 穏やかに頷いて答えるジェイドの視線が、少年の足元に注がれる。つられて目を下に向けたルークが「あ」と声を上げた。

「譜陣が消えてる。やった!」
「ご主人様、すごいですのー!」

 ティアの足元で主の様子を見守っていたミュウが、全身に喜びを表しながらルークへと駆け寄って来る。空色の小さな身体を抱き上げて、ルークも嬉しそうに顔を綻ばせた。

「先ほどまで感じられていた第七音素の感触が少なくなって来ていますわ。このまま、通常のセフィロトを通じた流れに戻って行くのですね」
「アブソーブゲートが、流れ込んで来るプラネットストームを地核に戻す能力を無くしたからな。吸い込まれない音素たちは、きっと世界中に拡散を始めるんだろう」

 ナタリアが頬に手を当て、高い天井を見上げる。その隣で顎を撫でながらアッシュは、ふうと胸を撫で下ろしていた。それはルークにも共通する感情である。

 ジェイドが知っている『前の世界』では、この作業を進める頃既にルークの寿命が残り少ないことは分かっていた。『前のルーク』は迫り来るタイムリミットに怯えながらプラネットストームを停止させ、ヴァンとの決戦に臨んだ。
 けれど、『この世界』のルークにその時間制限は存在していない。『前の世界の記憶』を持つジェイドの働きかけにより、世界は『前回』よりもずっと早くプラネットストームの停止に踏み切ったのだから。
 『前の世界』でジェイドは、ルークを死なせたことに罪の意識を持った。その贖罪方法として彼は、自身を代償にルークの救済を願った。その結果、『前の世界』を生きたジェイドの記憶が『この世界』のジェイドの中にある。

 だから俺は、何の気兼ねも無く動き回ることが出来る。
 アッシュにも兄弟として認めて貰えたし、父上と母上にも息子として受け入れて貰えた。

 外殻降下を成し遂げ、2人揃ってファブレ邸へと帰還した焔たち。アッシュが本来の名前を取り戻すことを拒否したため、真紅の焔は改めてルークの双子の兄にしてファブレ家嫡男『アッシュ・フォン・ファブレ』の名を受けることとなった。
 表向きには預言に詠まれたルークの死に備え、ダアトに預けられた上で周囲には秘匿されて育てられた息子と言うことになったアッシュ。ナタリアとの仲も、以前からダアトとキムラスカ王家の間には頻繁に交流があったことから、その交流の中で巡り会い恋に落ちたこととされた。本来ならば身分違いであるが故に実らずに終わるはずだった恋は、アッシュがファブレ家の嫡男と言う地位を得たことにより改めて婚約を交わすこととなり成就に一歩近づいている。
 兄であるアッシュがキムラスカの王位を継ぐ可能性が高まり、表向き次男と言うことになったルークはファブレの家を継ぐことになるだろう。そのルークはユリア・ジュエの末裔であるティアと淡い関係を育みつつあり、これもまた周囲に受け入れられつつある。人と人との関係性は、収まるべきところに収まるものだ。
 それもこれも、ジェイドが『前の未来』を成就させないために必死で動き、働きかけ、導いた結果。
 『前の世界』で縺れ、絡んだあげくずたずたに引き裂かれた絆はジェイドの努力により、『今の世界』では強固に結びつけられている。そのきっかけを知った今、子どもたちは自らの中に決意を秘めていた。

 俺たちを助けてくれたジェイドを、今度は俺たちが助けなくちゃ。
 俺、頑張るんだ。
 ジェイドと、みんなのためにも。

「これで、アブソーブゲートの用件は終わりか。何かあっけなかったな」

 ナタリアと同じように上方を見上げつつ、ガイが肩をすくめた。第七音素の素養を持たない彼にも、プラネットストームの圧力が拡散していった感触は分かっている。
 一方、ティアだけはずっと考え込むような表情をしていた。『預言』にあったとは言え直前に死んだはずの兄と再会したのだから、仕方の無いことだろう。

「面倒な問題が起きるよりはマシだわ。兄さん、もうちょっと嫌がらせでもして来るかと思ったのだけど」
「上手く実体を保てて無かったようだし、旦那が言うことを聞かなかったのが大きいんじゃ無いか?」

 ティアの心境を鑑みるように、ガイが意図的に明るく言葉を掛ける。そうして、壁際でシンクと共に室内を眺めていたジェイドへと視線を向けた。

「ほんとだね。死霊使いがヴァンに連れて行かれなくて良かったよ。もう、あんな思いはごめんだ」
「うん。ジェイドがジェイドのままで、良かった」

 シンクとルーク、2人の『ジェイドの子どもたち』が、『生みの親』を両脇から挟み込んでその腕にしがみついた。外見年齢よりも大人びた態度を取ることの多いシンクだが、こんな時は親に甘える幼子に戻る。

「……手間を取らせてしまって、済みません」

 そのジェイドは、淡い笑みを浮かべつつ済まなさそうに眉尻を下げている。恐らく、ルークに不安を抱かせたことに対しての謝罪だろう、とシンクは考えた。
 この青の軍人は、ルークのために時を遡って来たのだから。

「な、ジェイド。後は、ラジエイトゲートで同じことをすれば良いんだな?」

 そんなシンクの心境も知らず、ルークはジェイドの顔を覗き込むとそう尋ねた。ほんの僅か真紅の目を見開いて、ジェイドは「はい」と頷く。

「それで、プラネットストームは完全に停止します」
「よっし」

 ジェイドの肯定の返事を受け、力強く頷いたルーク。その会話を聞くとも無しに聞いていたティアが、ふっと顔を上げた。彼女の顔には、どこか焦りの色がある。

「……兄さん、私たちの行動理由知っているわよね。もしかしてラジエイトゲートに向かったのかしら?」
「え?」

 ティアの言葉に、ミュウも含めて全員の動きが止まった。
 ヴァンもまた、ジェイドの口から『前の世界』の物語を聞かされて知っている。つまり、ルークたちがアブソーブゲートを閉じたならば次の目的地はラジエイトゲート、だと言うこともあらかじめ分かっているはずだ。
 ならば当然、彼が底に先回りするであろう可能性は高い。

「向こうにはカンタビレの部隊がいるけど……大丈夫かな? 何しろヴァンとリグレットだし」

 眉をひそめ、シンクがぼそりと呟く。ナタリアは軽く頭を振り、毅然と言い放った。

「急いだ方がよろしいですわね。数でカンタビレの部隊が勝っているとは言え、グランツ謡将はローレライの力を扱えるようになりつつあるのでしょう?」
「まだ抵抗しているようだったがな、急ぐに越したことはねえ。今の状態でも十分脅威だろう」
「そうだな。どうにかしてプラネットストームを止めてしまえば、情勢はこちらに傾く。何しろ向こうはまだ、ホドを複製していない」

 アッシュがしかめ面で放った言葉に、ガイが頷く。『前回』既に複製され空にあったエルドラントは、『今回』は未だその欠片すら存在していない。少なくとも、第七音素の巨大な反応が現れたと言う話はキムラスカからもマルクトからも出ていないのだから。

「ともかく、急ごう」

 ルークの単純な、それでいて現状を端的に示した言葉に一行は頷いた。


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