紅瞳の秘預言 91 思慕

 全速力で惑星オールドラントを半周して来たアルビオールの機内から、ルークたちが飛び出した。荒れ狂う音素の波をいなしながら、カンタビレは朱赤の焔を視界の端に認めるとひょいと片手を挙げて見せる。

「おや、久しぶりだねえ。元気そうじゃ無いか」
「カンタビレ教官!」

 ティアに手を振って答えながら無造作に振られたカンタビレの剣は、それだけで音素の刃を切り裂いて無効化させた。そうしてルークたちに、ラジエイトゲートに向けてくいと顎を動かす。

「ああ。話は聞いてるよ。ここは食い止めるから、さっさと行きな」
「大丈夫なのですか?」

 不安げに問うて来たジェイドの顔に一瞬首を傾げ、それからカンタビレは空いている手で青い背中を押した。隻眼には自信溢れる笑みが浮かんでいる。

「あんたに比べりゃよっぽどね。てめえの姿もろくにまとめられないボンクラに遅れは取らないさ」
「ごめん。頼んだ!」
「こっちも任務さね。行ってらっしゃい」

 ぺこりと頭を下げたルークをしっしっと手で払い、カンタビレはヴァンの音素攻撃とリグレットの譜業銃を交わしながら平然と彼らを送り出した。その姿がラジエイトゲートの中に見えなくなってから、ちらりとあらぬ方向に視線を向ける。先ほどから、カンタビレとその部下には不可能な方向から譜術の援護があったことをジェイドと、そして子どもたちは気づいただろうか。

「顔、出さなくて良かったのかい? 皇帝陛下から許可は出てるんだろ」
「まあ、いろいろあってね。そんな気分じゃ無いの」

 漆黒の詠師にそう尋ねられた相手は、フードの中に見える唇の端を軽く引き上げつつふわりと空から降り立った。突き出した右手から短い詠唱と共にエナジーブラストが連発され、リグレットの動きを止める。彼女を狙った兵士たちの剣は、半実体化したヴァンが放出する第七音素の圧力で全て弾き飛ばされた。
 腕を振り、部下の態勢を立て直させながらカンタビレは、ぽつりと呟いた。

「そう。……でも、いつまでも逃げ回ってる訳にはいかないよ?」
「分かっているわ」

 くるりと振り返ったその勢いで、女の頭を覆っていたフードが外れた。
 雪を思わせる純白の髪と肌、血の色を思わせる瞳と唇。
 背中に広がるは、人がおよそ持つことの無い黒と白の翼。
 だがヴァンやリグレットにはその翼よりも、端麗な容姿が彼らを驚かせる材料となったようだ。かつて神託の盾に在籍した、魔将と呼ばれた女性とその姿は余りにも酷似していたから。無論直接の面識は無かっただろうが、神託の盾を統べる地位にあったこの2人は彼女を情報として知っていた。
 視覚と記憶が結びつき、さらにその容姿から推測された事実をリグレットが叫ぶ。狙いをつけた銃口が、小刻みに震えているのが遠目にも分かった。

「……! 貴様、ゲルダ・ネビリム……レプリカか!?」
「だったらどうなの?」

 背の翼をばさりと広げ、ゲルダはリグレットを威嚇する。赤い唇の端からちらりと見えた牙の鋭さに、一瞬リグレットは足を引いた。
 恐らく、彼女は悟ったのだろう。
 今目の前にいるのは、かつて恐れられた神託の盾師団長のデータから生み出された、最強の獣なのだと言うことを。

「ふむ……レプリカか。ならば、私の元に来る資格がある」

 ゆらり、とヴァンの姿が揺らめいた。が、その腕をタービュランスの風が吹き飛ばす。一瞬しかめられた顔は、完全に実体化していない肉体にも痛覚が存在すると言うことだろうか。

「世界を複製する計画に、レプリカだからって賛同するとでも思った? 私がオリジナルの人類を嫌っている、とでも?」

 獣の笑みをにじませた美貌は、それだけで威圧感を持つ。さらに、異形であることを誇示する黒と白の翼を広げた彼女と真正面から向き合っていたリグレットは、ぞくぞくと背筋を震わせた。
 ヴァンがその背を護るように音素を集めていなければ、今頃は尻尾を巻いて逃げ出していただろう。死にたくない、恐ろしいと悲鳴を上げながら。

「あいにくだけど私、貴方たちの計画には賛成出来ないのよねぇ」

 両手を広げ、ゲルダは凛とした声で言い放った。周囲の兵士たちはカンタビレの指示に従い、距離を置いてヴァンたちと対峙する。恐らく彼らも、自分たちの敵う相手では無いと理解出来ているのだろう。
 死霊使いや死神、鮮血と言った二つ名をもつ程の力を得た者で無ければ、この人かどうかも既に分からない存在には太刀打ち出来ないのだと。
 その中にはこの、異形の女も当然のように含まれている。何しろ彼女は、死霊使いを父と呼ぶ存在なのだから。

「私の父上たちを傷つける貴方たちは、許さないわ」

 化粧をしていないにもかかわらず血の色に塗れた唇の奥で、牙がぬらりと光る。ゲルダの全身を覆うように、炎の音素たちが吹き荒れ始めた。
 と、その隣にカンタビレが進み出た。ゲルダと同じようにその全身を取り巻き、第五音素が舞い踊る。

「手伝うよ。本気で行かなきゃ勝てる相手じゃ無い」
「ありがとう」
「くっ……!」

 逃れようにも、リグレットから距離を置いて神託の盾の兵士たちが剣を構えている。アブソーブゲートからここまでリグレットを運んできたヴァンも、相対する彼女たちが音素を纏っていることで自身を構成する音素のバランスを崩し、上手く動くことが出来ないようだ。
 白い腕を掲げたゲルダと、黒の詠師服を纏った腕を掲げたカンタビレ。2人の女性の口から同時に、詠唱が放たれた。

「業火よ!」
「炎の檻にて焼き尽くせ!」
『イグニートプリズン!!』

 同時に放たれた焔の譜術が、ヴァンとリグレットを包み込むように襲いかかる。ほんの数十秒ほどだが、一帯は詠唱の言葉通り炎の檻と化した。
 だが、炎が消えて行くさまをじっと睨み付けてカンタビレは、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「ふん、逃げたかね」
「そうね。器用よねえ」

 背に翼を畳み、ゲルダも小さく溜息をつく。第五音素が焼き尽くした空間には、リグレットの欠片も見つからない。恐らくは業火の勢いに紛れ、ヴァンが彼女を連れて脱出したのだろう。
 そうなると、問題は。

「どこに逃げたと思う?」
「どこかのセフィロトか……最悪、大氷壁」

 カンタビレの疑問に、ゲルダの口から即座に答えが紡がれる。星のフォンスロットであるセフィロトは、現在ローレライの抵抗で自らの身体を完全に紡ぐことの出来ないヴァンが音素供給するために向かう確率の高い場所だ。だが、後者についてカンタビレは、その名を聞いた覚えが無い。
 知らないなら、その言葉を口にした当人に聞くしか知る方法は無いだろう。

「何だい? そこ」
「シルバーナ大陸の山奥よ。私のオリジナルが実験を行った、その場所」
「……惑星譜術かい」

 ゲルダの説明に納得したかのように、カンタビレは1つの単語を口にした。そのくらいなら、さすがに彼女も覚えがある。
 惑星の力を借りる、強大な譜術。オリジナルのゲルダ・ネビリムが神託の盾を辞したのはその実験が行われた直後であり、そこから何らかの問題が起きていたのだろうと推測が出来る。ネビリムの還俗後、惑星譜術の研究が打ち切られたこともその推測を裏付けていた。

「実験跡でもあるんだろうね、やっぱり」
「譜陣が残ってるのよ。力を蓄えるには最適でしょうね……神器が無ければ、大したこと無いと思うんだけど」

 レプリカであるゲルダが何故オリジナルの記憶を持っているのか、それともどこかでオリジナルの記録を手に入れたのか、それはカンタビレには分からない。だが、彼女はそこを追求することはしなかった。
 正直に言えば、ゲルダがどうやってその情報を仕入れたかなどはカンタビレには関係無い。如何なるルートを使ってでも、有用性の高い情報であればカンタビレは背景を聞かずに受け入れて来た。
 だから今回も、彼女はそうすることにした。得た情報は、その情報が必要なところに伝えれば良い。

「ダアトに連絡を入れておく。その後は導師のお考えに任せるさ」
「お願いね。ちょっと雪崩が多いから、調べるときは気をつけて」
「そんな危険な場所だから、人目を忍ぶ実験に選んだんだろうねえ」

 ゲルダの表情は、いつの間にか獣のものでは無くどこにでもいる女性のそれに戻っていた。それを確認し、カンタビレは軽く肩を叩いてやる。

「ちゃんと、親父殿に会ってやりなよ。そんだけ大事に思ってるんだろ?」

 カンタビレとしては、ごく当たり前の親子関係を念頭に置いての言葉だった。だがその言葉を聞いて、ほんの少しだけゲルダは悲しげに目を伏せる。ジェイドの泣きそうな笑顔とは違う、けれど同じ表情。

「怖いのよね。私、彼の目の前で殺戮してるから」
「あらま」

 彼女の口から漏れた言葉に、思わず漆黒の詠師は肩をすくめた。さすがにそれは、父と娘感動の対面を演出するには厳しい過去だ。

「そりゃそうか。いくら父親と娘でも、それは会いにくいわねえ」

 それでも、カンタビレはゲルダに対してあからさまに慰めの言葉をかけることはしない。自身の過去を一番気に掛けているのは、当事者本人なのだから。
 だからカンタビレが口にするのは、ほんのちょっとした気休め。

「ま、頑張りな。罪を罪として受け入れてるんだろ? なら、多分あんたを受け入れてくれるさ」
「ありがとう。そうだと良いわ」

 そして、気休めの言葉を受け止めたゲルダはふわりと笑みを浮かべる。その中に籠められた、カンタビレなりの気遣いを分かっているから。
 笑顔のまま、ゲルダはフードを被り直した。その仕草に気づいたカンタビレが、声を掛ける。

「今度はどこに?」
「な・い・しょ。これでもマルクト皇帝直属よ?」
「はは、そらそうだ」

 からからと明るく笑ったカンタビレの目の前で、ゲルダは再び翼を広げた。どうやら、ジェイドが戻って来る前にこの場を去るつもりらしい。

 ちゃんと、会ってやるんだよ。

 ゲルダを見送るカンタビレの黒い瞳は、もう一度だけその言葉を物語っていた。


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