紅瞳の秘預言 92 模索

 ほんの一瞬、自分を取り巻く空気の温度が変化したようにルークには感じられた。暖まった空気はルークの長い髪をふわりとかすめ、そして霧散する。
 全ての温度が元に戻ったところで、兄は弟に呼びかけた。

「……よし。もう良いぞ、ルーク」
「あ、うん」

 アッシュに名を呼ばれ、ルークはゆっくりと目を開ける。手の中にあった宝珠が自身の中に溶け込む感覚を認識しながら、虚空に視線を向けた。そうして、碧の瞳をぱちぱちと瞬かせる。

「ほんとだ。記憶粒子の感じがだいぶ薄くなってる」

 少年のかざした宝珠がユリア・ジュエの描いた譜陣を消去した効果が、既に現れている。この場に入って来た時には地核から溢れ出していたプラネットストームの圧力は消え失せ、空間に充満していた記憶粒子の濃度もすっかり薄れていた。

「ここが地核からの出口でしたからね。完全に閉じた訳ではありませんが、ものすごく狭くなったと考えれば良いでしょう」

 朱赤の髪を撫でてやりながら、ジェイドが答えを提示して見せた。そもそも彼らがこの場を訪れた理由がそれであるからして、つまりプラネットストームの停止はほんの僅か妨害に合ったものの無事成功したことになる。
 緊張していた顔をほんの少しだけ綻ばせつつも、ティアがジェイドに視線を向けた。

「これで、兄のレプリカ計画は大幅に遅れると考えて良いんですね? 大佐」
「ええ。『前回』は、プラネットストームを止める前にエルドラントが出来ていましたから」

 既に『未来の記憶』は子どもたちに知られており、情報源としてジェイドがそれを隠す理由は無い。それを知らぬ者もこの場にはおらず、故に青の軍人は素直に答えを紡いだ。

「こちらがプラネットストームを停止するのが早かった訳ですから、大掛かりなフォミクリーを使用するための第七音素が不足します。無理に装置を稼動させたとしても、途中で機能不全を起こすでしょうね」
「レプリカホドか……」

 ジェイドの説明を聞き、ガイは複雑な表情を浮かべて腕を組んだ。滅びた己の故郷が、たとえ複製とは言え目の前に出現する光景を自身は目にしたことは無い。だから、ジェイドと『最初に』旅をした自分がその時にどんな心境だったのか、推し量ることも出来ない。

「ま、考えるのは後にしようよ。まずは作業が成功したって、連絡入れなくちゃなんないだろ」

 答えの出ないガイの思索を断ち切るように、シンクが口を開いた。確かに、今後の問題を考えるためにもまずは、今の状態を皆に知らせなければならない。それを理解して、全員が同時に頷いた。

 地上に戻って来たルークたちを出迎えたのは、荒れ果てた大地とその中で戦後処理を行っているカンタビレとその部下たちだった。漆黒の詠師は一行を見つけると、にっと悪戯っ子のような笑顔を浮かべて片手を上げる。

「お帰り。お疲れさん、上手く行ったようだね」
「カンタビレ! 無事だったんだ、良かった……って訳でも無い?」

 途中で言葉を切りかけて、ルークは慌てて周囲を見回すとその後を続けた。少なくない負傷者たちが各々手当を行っており、中には担架に乗せられて運ばれている者もいる。敵は半実体化したヴァン、そしてリグレットの2人だけだったはずだが、それでもこの被害状況だ。もっともルークたちの思考には、こちら側として暴れたゲルダのことは計算に入っていないのだけれど。
 そして、カンタビレは彼女のことを口にはしなかった。『父親』であるジェイドがその存在を知らないと言うこともあったが、カンタビレとしてはゲルダの存在をジェイドに知らせるべきは本人だろうと考えていたから。

「戦で被害が出るのは想定済みさ。あんたたちが無事なら、それで良いんだよ。あたしたちの任務は、あんたらがプラネットストームを止める作業を無事に終わらせることだからねえ」

 だから彼女は、あくまで彼らが分かっている部分だけを口にした。そうして、己の考えをも言葉に乗せる。
 確かに、部下に被害は出た。だがルークたちの作戦が成功したことで、少なくともオールドラントに住まう民の全滅からは遠ざかることが出来た。
 カンタビレとしては、自身の任務を達成出来たのだからそれで良いのだ。この朱赤の焔にとっては、そうでは無いのかも知れないけれど。

「……だけど……」
「ルーク……」

 悲しそうに目を伏せたルークに、ティアが寄り添う。以前出会った時よりも、この2人はすっかり距離を縮めている。なかなかお似合いでは無いか、とカンタビレは微笑ましそうに目を細めた。
 この子どもたちの未来を紡いで行くためにも、大人は気張らなければならない。それは子どもたちを幸せそうに見守っている、あの青の軍人も同じことだ。

「グランツ謡将をぶっ飛ばせば、ここまで大掛かりな戦は無くなるんだろ? だったら早く、終わらせようじゃ無いか。死んだ者を悲しむのは、それからで良い」
「……はい」

 カンタビレの言葉に、ルークとティアは揃って頷いた。くるりと視線を向けると、他の子どもたちも一様に頷く。そうしてジェイドもまた、「そうですね」と穏やかに答えた。その笑みがどこかゲルダと重なって、漆黒の詠師は目を瞬かせた。
 そうしてから彼女は、不意にゲルダから伝えられた情報を思い出した。
 ヴァンが身を潜める可能性が高い『大氷壁』。
 この情報を、一刻も早くイオンに伝えなければならない。モースが投獄されている今、イオンはトリトハイムやアニスの助けを借りながらも自らが教団の運営に当たっている。神託の盾を動かすための情報は、その最高権力者である彼に伝えるのが筋なのだ。
 この世界で一番早く、確実に情報を伝える手段は。

「ところであんたら、ここからまずどこに向かうんだい? ダアトに行くんなら、あたしを連れてって欲しいんだけど」

 この子どもたちが惑星を半周して来た、飛晃艇アルビオールだ。

「そうだね。まずダアトに行って、導師にひとまずの吉報を伝えた方が良いんじゃない?」

 カンタビレの表情をじっと伺っていたシンクが、軽く目を細めながら口を開いた。カンタビレが急ぎダアトに向かいたいのだと言うことを理解して、状況がそうなるように誘導しようとしているようだ。

「あ、そうだイオン! 早くこのこと教えなきゃ!」

 そして、ルークは素直にその誘導に乗って来た。導師イオンと言う理由を付けることで、他の同行者たちにも異存は無いようである。

「そうですね。フローリアンもルークのことを心配していると言う話でしたし、取り急ぎダアトにお知らせするのが良いでしょう」
「だな。預言を離れつつあるとは言え、ローレライ教団は重要な勢力であることに違いは無い」
「導師は、市民の皆に信頼されていますものね。オールドラントの今後のためにも、イオン様にはマルクトとキムラスカの架け橋になって頂きたいものですわ」

 ジェイド、ガイ、ナタリア。口々に発せられた言葉は、2000年に渡りオールドラントの民を支えて来た信仰とその長に対する揺るぎ無き信頼感から来るものだ。預言と言う拠り所を失った教団が今後どうなって行くかは『未来』を知るジェイドにも分からないが、きっと何とかなるだろう。イオンは今後も人生を紡ぎ、アニスやアリエッタ、そしてシンクがついているのだから。
 そのシンクは、軽くサングラスをずらしてその下からカンタビレを睨みつけた。別に敵意を持っている訳では無いだろうから、これはもう一種の癖になっているのかもしれない。

「けどカンタビレ、連れてけってことは何か用件があるんだろ。何なら僕が伝えるけど?」
「ん、ちょっと情報をね。シンクを疑ってる訳じゃ無いけど、ヴァンにバレたらまためんどくさいことになりそうだから」

 緑の髪の少年に対し、カンタビレは隻眼を細めてその頭を撫でた。ほんの僅かな情報漏洩の可能性も封じたいと言う、彼女の警戒心をシンクは信じることにする。決して、頭を撫でられているその感触が心地良いからでは無い。

「……分かった。なら、直接伝えてやって」
「ありがとね、シンク」

 礼を言いながらもカンタビレは、不貞腐れたシンクの表情を面白そうに見ている。が、ナタリアには彼の表情よりも2人の会話の方が気になったようだ。少しだけ首を傾げて問う。

「そんなに警戒するほどのことですの?」
「表向きはそこそこ平和なんだけどね、モースを解放しろって勢力もいてさ。ほんとにめんどくさいったら」

 ナタリアの疑問に対するシンクの答えに、ルークが「え、何で?」と声を上げた。彼にしてみればモースは自身やナタリアを処刑しようとした相手であり、どうあっても好意的な印象を持つことは出来ない人物である。だがそれは、ルークが預言にまつわる陰謀の犠牲者だったからこその印象なのだ。そうで無い者からの印象は、当然異なる。
 もっとも、シンクが挙げた一例は極端なものなのだけれど。


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