紅瞳の秘預言 92 模索

「一部の狂信者にとっちゃね、あいつはあくまでもユリアの預言を遵守しようとした教団信徒の鑑な訳。キムラスカに近づいたのも、ルークを殺そうとしたのも、ローレライ教団の信者としてユリアの預言に従ったから。で、何でそのモースをキムラスカに引き渡したんだって言ってる訳さ」
「ええと……王位継承権所持者を罠に嵌めて殺そうとしたんだから、国家転覆罪とかかな。未遂だけど」

 ガイはモースの所業を思い浮かべて、キムラスカがその身柄を引き取る理由としての罪を探し出した。モースが殺そうとしたルークもナタリアも当時は王位継承権が認められない存在だったけれど、一歩間違えば本来の王位継承権所持者であるアッシュが殺されていたかも知れない。故に、その罪状を突きつけられてもおかしくは無いだろう。
 キムラスカ上層部との癒着は、おそらく表に出されることは無いだろう。公表してしまえばキムラスカ上層部への信頼が失墜することは確実で、一般市民を治めることが難しくなるだろう。世界がもう少し落ち着いてからならともかく、ただでさえ外殻大地の降下で混乱が続いている現状に拍車を掛ける真似はしたくない、と言うのがインゴベルト王の意向だった。
 その意味でモースは、世界平和のための生贄にされたと言っても良いだろう。預言に心酔するあまり第七音素を受け入れ、人ならぬモノと化して死んだ『前の世界』とどちらが彼にとって幸福なのか、それは誰にも分からない。

「まあ、キムラスカに送られた理由はそれでしょうね。マルクト側には直接何かを仕掛けて来ることはほとんどありませんでしたから、こちらで裁くような罪状は無いはずです」

 ジェイドが、これまでの経過を思い出しながら言葉を口にした。確かに神託の盾はマルクトの領内でも動きを見せていたが、キムラスカに対するような政治的な動きは無かったはずだ。だからマルクトでは、モースの罪を問うことは出来ない。
 その理由は、アッシュが知っていた。

「俺たちがマルクト領内でタルタロスやてめえらを襲ったのは、あくまでも導師の確保が目的だったからだしな。両方を同時に焚き付けるより、癒着していたキムラスカを煽って戦争に持って行く方が簡単だったんだよ。前の皇帝陛下なら上手く煽れたらしいんだがな……」
「今マルクトを治めているのは、あのピオニー陛下だものねえ……」

 頬に手を当てながらティアが呟いた一言に、アッシュは肩を僅かに落としながら頷いた。確かに自分たちが知っているあの皇帝には、直接の陰謀などまず効果が無いだろう。モースの口車ごとき、毅然とした態度で突っぱねていたはずだ。全員の脳裏に、その光景がありありと思い浮かんだ。


 アルビオールでダアトに到着し、すぐ教団本部を訪ねたルークたち。カンタビレは「あたしは後で良いよ」と譲ってくれたため、一行は先に導師の部屋を訪れてひとまず報告を済ませた。
 プラネットストーム停止が成功したことにイオンは素直に喜んだ。しかし、思いつめたような表情のティアが口にした言葉に顔を引き締める。

「……兄は、復活しました。リグレット教官と共に」
「やはり、そうでしたか」

 ジェイドが子どもたちに伝えた『未来の記憶』。その通りに蘇ったヴァンが、今後自分たちの前に立ちはだかることは確実だ。イオンは軽く頭痛を覚え、こめかみを指で揉んだ。戻って来なければ良かったのに、と負の感情を紡ぎかけてそれを必死に打ち消す。

「ただ、まだ完全に実体化はしてなかったね。死霊使いが覚えてるのと違って、こっちの動きが早かったからだろうけど」
「それなら、ヴァン自身が落ち着くまでは動きは鈍いと見て良いですね。リグレットや……ラルゴが生きていれば彼も動くと思いますから、警戒は緩められませんが」

 シンクの報告に、イオンは真剣なまなざしのまま頷く。ラルゴの名を聞いて、ほんの少しだけナタリアは目を伏せた。
 実の父である彼が再び自分の前に立ち塞がるであろうことは、覚悟していたはずだったけれど。

「でも、プラネットストームは止まったんでしょ? それならこれで、ホドのレプリカ再生は当分無くなったと見て良いですよねえ?」

 ナタリアの表情を見て取ったのか、アニスが意図的に明るい声を張り上げた。冷や汗をかきつつも、ジェイドに問いかける。
 だが、穏やかに微笑む彼から帰って来た答えを聞いて黒髪の少女は、やっちまったと頭を抱えたくなった。

「ええ。ですが、私が複製した中枢部の数から、彼らには最大で6基のフォミクリー音機関が存在します。大地の複製は無理であっても、兵士の量産は可能と見て良いでしょう」

 私が複製した。
 ジェイドははっきりと、そう言った。
 実際にはジェイドはヴァンの操り人形にされてフォミクリー装置の中枢部を複製『させられた』、と言うのが事実には近いはずだ。だが、ジェイドはあくまでも自分の責任として言葉を紡ぐ。思考を操作されたとは言え自身が行ったことなのだから、責任を逃れようとは思わないのだろう。
 もしかしたら、逃れることなど考えにも及ばないのかも知れないけれど。
 もっとも、ジェイドが提示した問題はイオンも念頭に置いていたことだ。だからだろう、緑の髪の導師は冷徹な表情で皆を見渡し、一瞬だけ自分と同じ顔をした『兄』と視線を交わした。紅瞳の軍人の意識には、ひとまず触れないことにしたようだ。
 多分、短い時間で解決する問題では無いから。

「その辺りは、カンタビレを初めとして神託の盾を各地に派遣して探索しています。各セフィロトにも人員を派遣して警備に当たらせていますから、ヴァンが現れればすぐに分かるとは思いますよ」
「定期連絡も入れるように命令してあるから、その連絡が無くなっても分かる訳だしね」
「だと良いんだが」

 イオンが、そしてシンクが述べた現状に、だがアッシュは難しい顔をした。長くヴァンの側にあってそのやり口を熟知している者として、彼の危険性をも良く知っているからだろう。

「その間にも、グランツ謡将を慕う方々が再結集するでしょうね。その前に、本拠地を抑えられれば良いのですけれど」

 そして、ナタリアはアッシュとは異なる方向から問題を提示する。ヴァンがローレライ教団を離れたとき彼について行った兵士は、先だっての戦いで倒された人員を除くとそのほとんどが未だに行方をくらましている。それはつまり、ヴァンが復活したことを知れば再びその下に集まるだろうと推測出来る。今の世界を見限ったからこそ、ヴァンの思想に共鳴して教団を離れたのだろうから。
 更にガイが、『前の世界』の情報を知るが故の問題を出して来た。

「本拠地はさすがに、『前回』とは違うところだろ。ホドはまだ複製が生成されてないし、今から造るには動力と第七音素が足りない」
「ローレライの力を使うって方法もあるけど……頑張って抵抗してくれてるみたいだしなあ」

 ルークはガイに頷いて、それから考え込む表情になる。今の世界で、ヴァンが本拠地として使いそうな場所を己の知識から探っているのだが……如何せん、この少年は未だ知識不足である。
 ふと、ティアが顔を上げた。魔界で育った彼女ならではの知識から、思い当たる場所が1つだけ存在したのだ。

「……まさかとは思うけれど、レムの塔はどうかしら」
「レムの塔……」

 ジェイドの真紅の瞳が、ほんの僅か見開かれる。彼にとっては『前のルーク』が逃れ得ない死に囚われた、忘れられない場所だ。
 そして子どもたちにとっては、『前の世界』でジェイドが音素乖離して死んだ、やはり忘れられない場所。
 その思いを互いに表に現さないまま、ジェイドは努めて冷静に言葉を紡いだ。微かな言葉の震えを子どもたちは、知らないふりをしてやり過ごす。

「可能性はありますね。元々魔界にあった地ですから、外殻の人間にはほとんど意識されていないはずです」
「分かりました。部隊を派遣して調査させます」

 イオンは目を閉じて、ジェイドの顔を見ないようにして頷いた。きっと彼が、泣きそうな瞳で微笑んでいるだろうことは分かっている。その悲痛な表情を、あまり見たくは無かったから。
 見てしまえば、ジェイドが光の中に解けて行くあの光景を思い出してしまうと思ったから。
 そのイオンの瞼を開かせたのは、ナタリアの穏やかな言葉だった。

「お願いします。我がキムラスカからも部隊を出して貰いますわ」
「マルクトからも出して貰うように、陛下に計らって貰おう。良いよな? 旦那」

 ガイもナタリアに同調し、そしてジェイドに視線を向けた。ここで多くの部隊を展開した方が情報が早く得られ、最終的に被害が少なくて済むだろうと言うガイなりの考えである。

「え、ええ。そうですね……」

 一瞬呆気に取られたように目を見張り、だがすぐにジェイドは頷いた。その顔を伺っていたルークはふと、気づいたことをイオンに問うた。同じ疑問は一行の誰もが持っていたものだけれど、ここまで全員が口にすることは無かった。

「なあイオン、アリエッタはどこに行ったんだ? 姿が見えないけど」
「彼女はマルクトにいます。里帰りと言いますか」
「あー、ライガの女王」

 にこっと笑って答えたイオンの言葉に、ルークは懐かしい顔を思い出した。自分がイオンやジェイドと初対面を果たした、その翌日のこと。ミュウと初めて会ったのは、その当日だった。
 あの時、ジェイドがイオンのルークとの同行をすぐに許してくれたことも、ライガの女王を殺さずに説得してくれたことも、今考えればジェイドが『前の世界』を知っていたから、だったことが分かる。
 あのライガがアリエッタの『母親』であることを知っていたから、彼女を死なせずに済む解決策も知っていたから、ジェイドは魔物の鼻面を思い切り槍で殴ったのだ。
 『母親』も『娘』も、より良い未来を迎えることが出来るように。
 だから、その裏にもうひとつ意図があることに、子どもたちもジェイドも気づかなかった。


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