紅瞳の秘預言 93 対策

 ルグニカ平野の外れ、ケセドニア近郊。そこで演習を行っていたマルクト帝国軍第三師団は、現在慌ただしさの真っ只中にあった。
 周辺の地形はいくつかの小さなクレーターによりすっかりその姿を変えており、師団員たちもその多くが傷の痛みに呻いている。ただ、重傷者はそう見られないのが救いと言えば救いだろう。その重傷者たちも次々に陸艦へと運び込まれており、手はずが整い次第軍の基地があるセントビナーへ搬送されることになっている。
 ジェイドから師団長の地位を引き継いだアスランは、部下たちの様子を確認しながらその中を歩いていた。不意に服の裾をくいくいと引かれ、そちらに視線を落とす。

「くぅん」

 まだあまり成長していない、『末弟』のライガ。かつてテオルの森で出会ったその個体の頭を、アスランは平然と撫でた。本来ならば恐怖心を抱くべき魔物なのだろうが、今ここにいる『彼』に対してはまずその心配は無い。あるとすればそれは、人間側がライガに対し失礼な態度を取ったからだろう。

「ありがとうございました。助かりましたよ」
「ぐる、るう」

 アスランの言葉に、『末弟』は嬉しそうに尾を振った。そして、視線を自身の背後に向ける。
 『彼』の『姉』である、桜色の髪を持つ少女がそこにいた。ぬいぐるみを胸元にぎゅっと抱きしめて、ふわりと幼い笑顔を浮かべて少女はとことこと、アスランに駆け寄って来る。

「見回り、終わった。もう大丈夫」
「助かりました。ありがとうございます、アリエッタ師団長」

 彼女の名を呼んで、アスランは頭を下げた。自身の側に戻って来た『末弟』の頭を撫でてやりながら、アリエッタは「ううん」と首を横に振る。

「お礼はママと、兄弟たちに言って。アリエッタはただ、イオン様のお願いをママたちに伝えただけだから」
「無論、お母上とご兄弟にもお礼は伝えます。それでも、貴方が来てくださったおかげで我が第三師団はほとんど被害も無かった訳ですから」
「……うん。分かった」

 それでも、アスランの言葉をアリエッタは素直に受け入れた。そうして、敬愛するイオンの願いを叶えられたことに安心したのか満面の笑みを浮かべる。ただ、数瞬の後にその笑顔は真剣なまなざしの裏に隠れたのだが。

「……レプリカ、いっぱいだったね」
「ええ」

 アリエッタがぽつりと呟いた言葉に、アスランが頷く。アリエッタに救われたと言うアスランの言葉には、そう言った意味合いも含まれていた。


 演習の最中、第三師団の偵察員が接近して来る部隊を発見した。その部隊はキムラスカ軍の武装をしていたのだが、マルクト側にキムラスカから軍が派遣されると言う連絡は入っていなかった。
 訝しく思ったアスランは部下を派遣し、部隊の所属を確認しようとした。ちょうどそこへ、自分の家族であるライガたちを引き連れてアリエッタが現れたのだ。

 だめ! そいつら、ヴァン総長の造ったレプリカ! 自爆して来る!

 少女の叫びと同時に、巨体を持つライガが一声吠えた。びくりと身体を震わせ動きを止めた兵士たちの間を駆け抜け、キムラスカの武装をまとった兵士の1人を鋭い爪で引き裂く。
 飛び散る血しぶきと共に、その身体が武装を含めて音素乖離を起こす。それでアスランたちは、彼らの正体を確認した。
 キムラスカ軍の兵士に化け、自分たちを害するために出現したレプリカたち。そのような運用を行う輩を、アスランはヴァン・グランツ一派以外には知らなかった。先帝時代のマルクトであれば戦争を起こすためにそんな扱いをする可能性はあったかも知れないが、現皇帝であるピオニーはジェイドにフォミクリーの研究を止めさせ封印を掛けた人物である。
 だから、これは『レプリカ計画』を諦めていないヴァン一派の策略であろう。そう、アスラン・フリングスは瞬時に判断した。

 戦闘配置に付け! 相手はキムラスカを騙るテロリスト部隊だ、油断するな!

 焔たちやナタリアが守ろうとしている、彼らやジョゼットの祖国。それを貶める行為を、アスランは許せなかった。だから彼は毅然とした態度を取る。
 レプリカたちは、命じられた指令を忠実にこなしているだけかも知れないけれど。

 全軍、敵部隊を接近させるな! 遠距離で仕留めろ!

 アリエッタの『自爆』と言う言葉を警戒し、アスランは部下に命じた。確かに、攻撃を受けた兵士の中には突然爆発を起こす者もいたから、彼女の警告は無駄では無かっただろう。さらに彼女の『家族』たちは戦場を縦横無尽に駆け回り、第三師団とレプリカ軍が直接刃を合わせることの無いように計らった。アリエッタは自身の持つ譜術を駆使し、第三師団を見事に援護して見せた。


 そうして、どうにか被害を最小限に抑えて第三師団は戦闘を終えた。敵であったレプリカ兵士たちの死体は全て音素乖離し、生き残った者も自爆して果てた。
 師団員たちの怪我の治療が始まりようやく落ち着いた今になって、アスランはやっとアリエッタから話を聞くことが出来た。彼女はダアトで、導師イオンからこの場を収めるよう命じられたのだと言う。
 イオン曰く、ヴァンもしくはその配下がレプリカ兵士の量産に着手しているらしい。そのレプリカたちにキムラスカ兵の姿を模させ、マルクト軍を襲撃することで世界を混乱させようとしているのでは無いかと。
 その説明を受けた後になって、ふとアスランの中に素朴な疑問が湧いた。
 もし、戦闘を仕掛けて来た部隊がレプリカでは無く、本当にキムラスカの部隊だったとしたらことは国際問題となる。だがアリエッタは、何の迷いも無く相手をレプリカだと言い切って見せた。イオンがそう言ったから、と言うだけでは、見分けることが出来た理由にはならない。

「……私ども人間には外見から判別は付かなかったのですが、やはり匂いなどが違うのですか?」

 くるりと戦闘の跡を見渡しながら、アスランは問うた。少女は「ん」と少し首を傾げてから、こくんと頷く。普通の人間は自分や『家族』よりも五感が弱いのだ、と彼女に教えてくれたのは、今はもういないアリエッタのイオンだっただろうか。

「えっとね、あんまり人間ぽくない匂い。お薬とか、ディストの音機関とか、そんな感じの匂いがした」

 たどたどしいけれど、それだけに分かりやすいアリエッタの言葉にアスランは「なるほど」と頷いた。魔物は主に嗅覚や聴覚が人間よりも発達しているし、その環境で育ったアリエッタも常人よりは鋭い感覚を持っている。彼女とその『家族』で無ければ、レプリカ兵士を見破ることは出来なかっただろう。
 そして、アスランの知らぬ『未来』の通りに彼は死を迎えていた。

「戻りました」

 不意に、その場にもう1人の人物が現れた。癖の無い銀の髪を持つ譜業使いはこの演習を見学したいと申し出、皇帝の許可を得た上でオブザーバーとして参加していた。戦闘中は何処かへ引っ込んでいたものの、敵が全滅したと見るや証拠の物品を探しに飛び出して行ったのである。
 苦笑を浮かべつつ、アスランとアリエッタはサフィールを迎え入れた。彼の背後を守るように、一際身体の大きいライガも姿を表す。アリエッタの『母親』である、ライガの女王だ。

「おかえりなさい、ディスト、ママ」
「ネイス博士、何か証拠になるようなものはありましたか?」
「ダメですねえ。さすが主席総長と言いますか」

 サフィールは女王に軽く頭を下げると、そのままアスランの側へと歩み寄って来た。アリエッタは『母親』とサフィールたちを見比べていたが、やがて女王と共にその場を離れた。恐らく、念のため周辺の警戒に向かうのだろう。
 彼女を見送ってサフィールは、軽く肩をすくめながら期待外れと言った表情をその顔に浮かべる。ただ、指先で位置を直されたレンズの奥の瞳には、技術者ならではの冷静な光が宿っていた。

「数を揃えるのが大変だったのか、武装もフォミクリーで量産して付けさせてたみたいですね。おかげでみんな乖離して証拠1つ残ってませんよ。事情を知らない輩が現場を見たら、貴方がた何一人相撲取ってるんですかとでも思われかねませんねぇ」
「やはりですか……外見からして古い物でしたから、戦場で回収された使い古しをフォミクリーに掛けたんでしょうね」

 顎に手を当てて、アスランは考え込む表情になる。元神託の盾騎士団の主席総長だったヴァンなら、上層部が癒着していたキムラスカの兵装を入手することはたやすいだろう。ただ、1部隊を構成するだけのそれを手に入れることはさすがに出来なかった。だから、兵士自体をレプリカで産み出すと同時に武装も複製して揃えたのだ。


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