紅瞳の秘預言 94 宣告

 ──オールドラントに住まう、全ての人類に告げる。

「!?」

 唐突に聞こえた声は、忘れるはずも無いヴァンのものだった。慌てて周囲を見渡す一同の中にあって、ジェイドが足の力が抜けたようにうずくまる。握ったままの手を引っ張られたことでそれに気づいたルークが、とっさにその肩を抱え込んだ。

「ジェイド!」
「ち、まだ影響残っていたか」

 ヴァンのものとは違う暖かな声と共に、その2人を包み込むように腕が伸ばされる。玉座から飛び降りて来たピオニーがその主であることに、ルークは少し気づくのが遅れた。

「へ、陛下!?」
「気にするな。お前はジェイドの『息子』なんだから、俺にとっても息子みたいなもんだろうが」

 ぽん、と朱赤の頭に手を置いて、皇帝は人懐こい笑みを浮かべて見せた。小さく頷いてルークは、腕の中にいるジェイドを放すまいと僅かに力を籠める。その中でジェイドは、苦しそうに言葉を吐き出した。

「……すみ、ません……」
「仕方無いさ。無理せず皆に頼れ、これは命令だ」
「……はい」

 ピオニーのあくまでも通常通りの言葉にも、ジェイドは震えながら頷くしか出来ない。親友を安心させるように皇帝は、ぽんぽんと背中を軽く叩いてやった。
 子どもたちはルークとジェイド、そしてピオニーを守るようにその周りに集まっていた。高い天井の更に向こうから、声はなおも降り注ぐ。それはまるで子どもたちを、皇帝とその親友を、世界をあざ笑うかのように。

 ──ユリア・ジュエは、かつて預言を残した。
 ──キムラスカは、マルクトは、そしてローレライ教団は、その預言を隠匿した。

 ──それは何故か。
 ──その預言には、彼ら権力者にとって不利になる内容が含まれていたからである。

「ふん。不利になるのは、この世界の民全てだろうに」

 ルークごとジェイドの頭を抱え込みながら、ピオニーは虚空を睨みつけた。


 ──故に我々は、ローレライ教団からの脱却を図ることとした。
 ──旧き因習、預言に囚われた世界を離れ、新たなる世界を構築する。
 ──それが我々、新生ローレライ教団である。

「ば、馬鹿な……」

 バチカル王城の地下にある牢。その1つで、モースはヴァンの言葉を聞いていた。格子を挟み、ファブレ公爵と相対している。

「始祖ユリアが、そのような預言を詠むはずが無い!」
「どうであろうな。詠んでしまったからこそ、最後の預言は秘匿されたのでは無いか」

 眉間にしわを寄せぎりと拳を握り締めているモースに対し、公爵はどこか突き放したような表情を崩さない。かつて己の息子を殺されかけた相手であるから、その視線が冷たいのは仕方が無いのかも知れないが。

「大詠師モース。貴方が認めずとも、この譜石の欠片は真にユリアの譜石であると認められた。導師イオン以下複数の預言士が確認をしたからな」

 公爵は、自身が手に握り締めている譜石をモースの目の前に突き出した。かつて子どもたちに贈られ、インゴベルト王の手に渡った第七譜石の欠片である。

 かくして、オールドラントは障気によって破壊され塵と化すであろう。
 これが、オールドラントの最期である。

 ユリア・ジュエが詠み、そして隠匿した世界の終末。その文章を示しながら公爵は、強い口調で言葉を続ける。

「……オールドラントが滅ぶと言う、その結末がここには記されている。我が子ルークたちはそれを知り、なお世界を守るべく戦っている」

 公爵の言葉の中にルークの名前が出たことで、モースの顔色が変わる。彼にしてみればレプリカのルークは、預言成就を阻んだヴァンの駒でしか無いのかも知れない。

「あ、あのレプリカを、ヴァンが造った替え玉を未だに子と申されるか!」
「ルークは、生まれてから7年の間我が屋敷で育てられた、紛れもない我が子だ。戻って来たアッシュも、ルークを弟と認めている」

 そんなモースに対し、公爵は淡々と己の考えを語る。彼にしてみれば、元々は1人だった息子が攫われた後に引き取ったもう1人の息子と共に、2人になって帰って来ただけの話なのだ。しかも元々の息子は、本来ならば預言により殺されるはずだった。それがもう1人の息子と、その息子を世に生まれさせてくれた青の軍人が取り返してくれた。
 そう。預言によって公爵の子は、死ぬはずだったのだ。
 だが、生き延びた。
 その事実は公爵に、1つのことを教えてくれた。

「それに、あの子たちは私に教えてくれたよ。預言は守るために存在するのでは無い、未来をより良くするための助言に過ぎないものなのだと。ヴァン・グランツのこの行動が預言に従うものとは、到底思えないだろう?」
「た、確かに……ヴァンめ。ユリアの預言を放棄し、新しい世界を生み出すなどと……」

 公爵の言葉と、空から降り注ぐヴァンの言葉。さすがのモースも、頷かざるを得なかった。
 そしてそこで、ふと気づいた。

「……待て。その新しい世界、どうやって造り出す?」

 モースの中に浮かんだ疑問。その答えを、公爵は既に自身の中に持っていた。一度目を閉じ、そうして彼にその答えを提示して見せる。

「フォミクリーにより大地を複製し、オリジナルとすげ替えるのだそうだ」
「な……」
「第六譜石に刻まれた預言に、レプリカのルークに関する記述は無かった。つまりレプリカは、ユリアの預言から解放された存在なのだとヴァンは考えているようだ」

 外殻降下の後、2人揃って家に戻って来た息子たち。彼らは父と母に、ヴァンが心の中に秘めていた企みを全て明かした。イオンを、モースを、ローレライ教団を利用し、世界を覆すための企みを。

「馬鹿な……では、預言から世界を解き放つとは」

 ここに来てやっとモースは、若き主席総長の計画を全て把握した。『前の世界』では最後までヴァン一派に利用され人ならぬモノとして終焉を迎えた彼だったが、そのことを公爵も、モース自身も知らない。
 だからこれは、『この世界』において大詠師自身が選んだ道と言えよう。彼はヴァンに対し、露骨に怒りの表情を顔に浮かべたのだ。預言によらず、自身の感情として。

「大地も、人も、全てを複製に入れ替えると言うことか! おのれヴァン、どこまでも馬鹿にしおって!」

 がん!
 モースが激しく格子を殴る音が、地下牢に響き渡る。キムラスカ上層部と癒着し戦争を起こした本人とは言え、この大詠師はあくまでも世界を守ろうとした男なのだと言う事をファブレ公爵は、改めて確認することが出来た。


 ──親愛なる、オールドラントの民よ。
 ──我ら新生ローレライ教団は、愛を持って皆を迎え入れよう。
 ──生まれ変わる新たなる世界で、新たなる人生を生きるために。

「真実を知らずに聞いていれば、結構魅力的な提案ですねえ」

 研究室の天井を見上げ、サフィールは呆れたように溜息をついた。レプリカ部隊による襲撃の報告書を書き記しつつ、隣で同じ作業を進めているマルコとアリエッタに視線を向ける。

「まあ、嘘はついてませんよね。世界をレプリカに生まれ変わらせて、迎え入れた信者もレプリカに入れ替えて新しい人生を生きさせる訳ですから」
「でも、オリジナルは死んじゃう。レプリカはおんなじ顔だけど別の人だから、人生だって別」

 紙の上にペンを走らせながら、マルコが肩をすくめる。何度も書類を読み返しているアリエッタは頬を膨らませ、つまらなそうに足をぶらぶらを揺すった。それから、ゆっくりと文字を書き入れ始める。

「私たちはルークたちや導師たちを見てますからそうはっきり言えますが、一般市民はそうでも無いでしょうね。第一総長の言う『新たなる人生』がフォミクリーだなんて、誰も知らないですし」

 書き終わった書類をまとめ、文章をチェックするサフィール。視線は書類の上を走りながら、聴覚はヴァンの言葉を一言一句逃さぬよう働いている。
 それはアリエッタも、マルコも同じことだった。

「その辺りはやっぱり、皇帝陛下や議会から声明が出るんでしょうね」
「ピオニーはすぐに声明出すと思いますよ。とは言えぶっちゃけ、導師がはっきり言ってくれるのが一番なんですけどまあ、そうで無くても教団は今忙しいですからねえ」

 マルコの推測を肯定し、その後にサフィールはちらりとアリエッタに視線を向けた。預言詠みの停止、教団組織の再編成などでこの1か月以上、イオンやシンクを初めとした教団幹部たちが多忙であることはサフィールも良く知っている。
 だが、このヴァンの声明は世界の存亡に関わる緊急事態である。ならば当然、イオンは動くだろう。
 そのくらい、アリエッタも良く知っている。だから少女は、にっこり笑って頷いた。

「大丈夫。イオン様なら、ちゃんと言ってくれる」
「ですね」

 マルコもまた少し微笑んで、つい手を伸ばした。桜色の髪を撫でてやると、少女はくうんと喉を鳴らす。この辺りはどうしても、育て親であるライガたちの影響が出てしまうのだろう。

「さ、導師やピオニーに協力するためにも、さっさと書類仕上げちゃいましょう。議会を大人しくさせるためには、事実を教えて差し上げるのが一番ですからね」

 ジェイドの影響を受けたのか仲の良い2人を見つつ、あくまでも明るい表情を崩さないままサフィールは再びペンを手に取る。
 だが。

 ──まずは、新たなる世界の一端をお見せしよう。

 ヴァンのその言葉に、サフィールの動きが停止した。


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