紅瞳の秘預言 95 浮上

 ヴァンの声が響き渡ると同時に、地の底がずずずと震えた。さほど激しくない揺れは、だが長時間にわたり皇都を襲い続ける。

「な、何ですのこれは!?」
「アクゼリュスが沈んだ時の揺れとも似てるけど……」
「ヴァンの野郎、何を考えてやがる」

 互いに手を取り合うティアとナタリア。その2人を庇うように手を広げながら、アッシュは苦虫を噛み潰したような表情をした。

「何をしておる! 守備部隊の索敵班に命じ、第七音素の走査を急げ!」

 玉座を飛び降りたピオニーの下に駆け寄りながらのノルドハイムの叫びに応じ、兵士たちがバタバタと王宮の内外を走り回る。やがて1人の兵士が、とるものもとりあえずと言った風に駆け込んで来た。

「報告です! タタル渓谷の北の海域に、第七音素の大規模集積! 1か月前に観測されたものとほぼ同等です!」
「ご苦労! 観測を続け、情報を集約しろ! 他の兵は住民の混乱を鎮めにかかれ!」

 兵士の報告に頷いて声を張り上げた後、ノルドハイムはピオニーに目を向けた。視線だけで頷いてピオニーは、自分の身体を抱え込むようにうずくまっているジェイドの髪をそっと撫でる。そのジェイドに寄り添っていたルークが、恐る恐る問うて来た。

「1か月前って陛下、確か……」
「ん、ああ。フェレス島のレプリカが出来たと推定される時期だ。外殻降下のどさくさに紛れるつもりだったんだろうが、あいにくこっちの索敵網からは逃れられなかった」

 ピオニーは、問いに対する答えをさらりと口にした。周囲を警戒しつつ彼らに歩み寄って来ていたシンクが、「ふーん」と面白くなさそうにサングラスの位置を直す。

「いくら何でも、配下の雑魚どもが勝手にやったとは思いにくいなあ。既にラルゴが動いてたと見て良いね」
「アリエッタも、自分の故郷のレプリカがそんな利用のされ方をしていると知ったら悲しむでしょうね」

 頬に手を当て、ナタリアがため息混じりに呟く。実父の名をこんな形で聞くことになり、複雑な心境なのだろう。気遣うように友人の顔を覗き込んでいたティアだったが、ふと気づいたように顔を上げた。

「しかし、フェレス島と同等レベルとなると、島1つ分ってことですよね?」
「島1つ分のフォミクリー……まさか」

 ルークの背を守るように佇んでいたガイは、ティアの言葉にはっと目を見開いた。青い視線は自然、うずくまったままのジェイドに注がれる。

「──エルドラント。間に合いませんでしたか」

 そのジェイドはぽつり、と呟いた。その中に含まれた単語の意味を知る者は、この世界ではジェイドと彼の『預言』を知っている者だけであろう。

「ホドのレプリカか」

 その中の1人である金の髪の皇帝は、きりと歯を噛みしめる。そうしてジェイドの背中を軽く叩いてやると、彼の身体を引き起こしながらするりと立ち上がった。揺れは収まって来ており、通常の行動を起こすには何の支障も無い程度にまで状況は回復しているようだ。

「恐らく、あらかじめある程度の構築は終えていたんだろう。プラネットストームを閉ざされても完成出来るくらいにな」
「……なるほど。用意周到なことだ」

 前髪をぐしゃりと無造作に掴みながらアッシュが呟いた言葉に、皇帝は眉尻をぴくりと動かした。

 ジェイドの『記憶』を知ってるから、こちらがプラネットストームを閉じることは予測出来ていた。
 だからヴァンは、あらかじめ手はずを整えておいたのか。

「これは急がにゃならんだろうな。今後、どうなる?」

 ジェイドをルークに預け、ピオニーは努めて悠然と玉座に戻った。どっかりと腰を下ろし、子どもたちに視線を向ける。その視線に命じられるように口を開いたのは、顔色を青ざめさせたままのジェイドだった。不安気に寄り添うルークの視線には、どうやら気づかないようだ。

「……大地をフォミクリーに掛けると、かなりの確率でオリジナルとレプリカの間で疑似超振動が起こります。それで、オリジナルの方が崩壊する可能性も高い」
「ま、今回の揺れはそれが原因じゃなさそうだがな。でかい質量が空に上がるために、セフィロトに無理をさせたせいだろう」

 ジェイドの説明に頷きながら、ピオニーは言葉を繋いだ。
 ホドは元々セフィロトのあった地ではあるが、その機能は既に停止していた。それが再起動し複製の大地を上空に持ち上げたことで、一部ではあるがプラネットストームが再構築されたと推測される。根拠は、ジェイドがこの世界に携えて来た『未来の記憶』である。
 それが、今起きた振動の正体。プラネットストームの再構築により惑星オールドラントと、地核に存在するタルタロスが悲鳴を上げているのだ。

「ともかく、ホドは16年前に失われている。フェレス島も同じ時期に無人島になった。……だが、これからも人のいない場所ばかり複製されるとは限らない」

 ピオニーは口元を手で抑え、考え込むような表情を浮かべた。恐らくはヴァンの次の狙いが分からず、対案を考えあぐねているのだろう。それを理解しているのか、ジェイドは淡々と言葉を続けた。

「ですが、まだ時間はあります」
「その根拠は?」
「ホドのレプリカ情報は、あそこが崩壊する前に取ってあります。フェレス島は恐らく、フォミクリー機関の試運転を兼ねてサフィールが取得したものでしょう」

 ゼーゼマン翁の疑問にも、ジェイドの答えは澱みなく紡がれる。その隣で泣きそうになりながら、それでもうつむくこと無く自分を見つめているルークには、まるで気づくこと無く。

「ですが、大地と言うモノはそもそもの情報が大き過ぎるんです。小さな島1つ、都市1つならそうでもありませんが、例えばシルバーナ大陸などになるとそう簡単に取得することは出来ません」

 懐刀の言葉をじっと聞いていたピオニーが、ふと顔を上げた。肘掛けを指先でとんと叩き、彼が言いたいであろう言葉を自らの口で代弁する。

「つまり、まだヴァンたちはそれ以外の大地の情報を取ってない……と考えて良いんだな」
「はい。情報取得の手間もありますが、情報量が膨大ですから。保管出来る容量の限界を超えています」
「大陸の情報となると、音譜盤10枚や20枚じゃ足りないだろうしなあ」

 ジェイドの言葉で肩をすくめたガイに頷いて、ピオニーは一度目を閉じた。彼はルークの表情には気づいていたが、敢えて口にすることはしなかった。少年には悪いけれど、まずやらねばならぬことがある。この若き皇帝は、公私の区別と感情の割り切りを異様なまでに的確に行うことが出来るのだ。

「ですから大地を複製するには、大地のレプリカ情報を取り出しながら直接それを音機関に流し込むと言う作業手順になると思います。無論それにも時間が掛かる」
「なるほど。ヴァンデスデルカがオールドラント表層のレプリカ情報を取り切る前に乗り込んで、奴を倒せば良いわけか」

 皇帝が口にしたそれは、ジェイドが『一度通り過ぎた未来』で経験した同じ展開。異なるのは既にこちらがローレライの鍵を完全に押さえていることと、仲間が多いこと。
 そして、ルークに音素乖離によるタイムリミットが存在していないこと。
 これで、負けるわけにはいかない。
 ジェイドが時を遡ってまで望んだ未来を、取り逃すわけにはいかない。
 ならば、今動くべきだとピオニーは決断した。ゼーゼマンに投げた視線は冷徹な、帝国をその背に負う皇帝のものだ。

「ゼーゼマン、サフィールとアルビオールのパイロットを呼べ。今の情報をキムラスカとダアトへ送り、緊急に首脳会議の打診を」
「ほっほ、双方とも今呼びに行かせましたじゃ。ノルドハイム将軍、情報のまとめを」

 その命令を当然のように受け止めて、老人はゆったりと頷く。ゼーゼマンの視線を受けたノルドハイムもまた、それが当たり前の日課であるかのように答えた。

「了解しております。しかしアルビオールはともかく、ディストは何故でしょうか?」
「ジェイドの診察に決まってるだろうが。この状態で戦に出せるか」

 ふん、と鼻を鳴らすピオニー。ぼんやりと佇んだままのジェイドは、自分の名が出た意味が分からないかのようにほんの少しだけ、首を傾げる。その動きでゼーゼマンは、今目の前にいる教え子が常態では無いことを悟った。


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