紅瞳の秘預言 95 浮上

「出すおつもりなのですかな?」
「俺の命令でも止まらんよ」

 はあ、とため息混じりのピオニーの言葉。ノルドハイムが顔をしかめたのを視界の端で見やり、ゼーゼマンは呆れたようにあごひげを撫でた。

「ふむ。陛下の命で止まらぬならば、留めることは不可能ですの」
「そう言うことだ。良いなジェイド、サフィールに診て貰ったら休め」

 玉座から立ち上がり、ピオニーは海の色の瞳でジェイドを見つめた。少しだけ強い口調が彼に、その言葉が自らへの命令だと言うことを理解させる。けれどジェイドは、小さく首を横に振った。

「私は、疲れてはいません」
「そう思ってるのはお前だけだ。良いな、ルークたちについてくつもりなら出来るだけ身体を回復させろ。こいつらの足手まといになりたくなければな」

 しかし、ピオニーが朱赤の焔の名を出したことでジェイドは口を閉ざす。今の彼にとって何よりも避けなければならないことは、自らが『前の世界』で殺したこの少年を苦しめることだったから。

 ジェイドはこの子を、悲しませたくは無い。
 だったら俺も、それに乗るさ。

 だけどなあ、ジェイド。
 お前が死んだら、ルークはもっと悲しむんだぞ?

 何でお前にはこの声が届かないんだろうなあ、とピオニーは胸の中だけで呟いた。
 きっと、声に出したところでジェイドには、言葉を理解することは出来ないだろうから。


 ダアトにある、ローレライ教団本部前。そこには今、住民たちが大挙して押しかけていた。ただでさえ『預言開示の停止』と言う事態に混乱していたところへ、今回の新生ローレライ教団の出現である。
 自ら未来を切り開くことを知らない住民たちは、この状況においてなお預言を求めた。
 だが、彼らの前に現れたのは預言では無かった。
 緑の髪を持つ少年……導師イオン。

「私の話を聞いてください」

 がつ、と携えている杖の先で石畳を叩き、イオンは凛とした声を張り上げた。その一声で、住民たちはしんと静まり返る。それほどに導師の言葉には力があり、また人を引きつける魅力があった。

「新生ローレライ教団とやらが言っていることは、事実を隠蔽したでたらめに過ぎません」

 ざわり、と群衆がざわめく。その彼らを一度口をつぐんでゆっくりと見渡してから、イオンは再び言葉を紡いだ。

「新たなる世界、新たなる人生。魅力的かもしれませんが、彼らの言う『新しい世界』とは今存在するこの世界を全て破壊した上で創り出されるものです。彼らにとってそれは、人間の生命も例外ではありません」

 イオンの言葉の意味が分からないのだろう、群衆は互いに顔を見合わせ首を傾げる。本来ならば、そのような所業は不可能なのだから致し方の無いことだ。
 たった1つの技術が、ヴァンの野望を可能にした。

「フォミクリー。ある1人の人間が生み出した技術です。その人は、自分の思いを形にしたくて研究を重ねました」

 単語の意味は、ダアトの民も知っていた。ジェイドから話を聞かされた子どもたちのように詳細を知ることは無く、せいぜいが得体の知れない技術としてだが。
 少年の目の前にいる人々は知らないけれど、イオンもまたフォミクリーにより生まれた存在である。死せるオリジナルの代替物として生み出され、けれど今は同じ顔をした別人として生きている。
 その技術で初めて生み出されたひとは今、自分が父と呼ぶその人の願いを叶えるために戦っている。
 彼が再び生きて欲しいと願ったひとと同じ顔をした、けれど違うひと。

「だけど、その思いが形になることは無かった。それどころか研究はその人の思いをねじ曲げる形で軍事的に利用され、今や世界をまるごと作り変えようとしています」

 フォミクリーは、死んだ人を生き返らせる技術では無い。同じ姿をしているけれど別の誰かを生み出すものだ。
 けれど、ジェイドがそれを理解出来る前に軍事利用された技術は、都市を1つ滅ぼした。多くの生命を奪い、多くの怨恨を生み出した。その中にあった1人の少年は成長し、今やその技術を以て世界を滅ぼそうとしている。
 さて、フォミクリーを生み出したジェイドは悪であったのか。
 フォミクリーを発展させ、譜業技術と成したサフィールは悪であったのか。

「良いですか? 技術が悪しきものでは無い、それを扱う人の心が問題なのです。それは全てにおいて同じこと」

 否、とイオンは叫ぶ。彼らは彼らの思いを結実させようとしただけなのだ。その技術を軍事転用したのはマルクト軍であり、ひいてはピオニーの父である先帝だ。悪と呼ぶのであれば、『ケテルブルクの双璧』よりもまず彼らがそう呼ばれるべきであろう。
 それに、ルークや自分たちを生み出してくれたのはフォミクリーである。
 彼らを生まれさせたヴァンやモースの企みは知っている。だがレプリカとして生まれた子どもたちはその企みを潜り抜け、こうやって1人の人間として生きている。
 ジェイドが差し伸べてくれた手を取って、彼と共に道を歩んで来たから。
 自らが構築した技術によって生まれた子どもたちを救い、守ろうとした彼が悪であるはずは無い、そうイオンは確信している。

「例え世界を作り直したとて、そこに住まう人の心が変わらねば結果として世界は同じ道を辿ります! そんなことを、始祖ユリアがお喜びになるはずがありません!」

 だから、導師は強い口調で言葉を続けた。
 自分たちを生み出した技術は、今世界を破壊しようとしている技術と同じ物である。
 自分たちだって、元は世界を破滅させるための駒として生み出された。
 だが、子どもたちは『生みの親』に慈しまれたことで救われた。
 全てはきっと、人の心が方向性を決めること。

「私はここに宣言します。ユリア・ジュエが慈しみ守ったこの大地から、ローレライ教団……いえ、この導師イオンが離れることはありません」

 だから、イオンはそう宣言した。ユリアが守ろうとした大地を、ジェイドが守ろうとしている大地を、自分は離れないと。

「始祖ユリアは我々人類が預言を卒業し、自らの足で未来に向かって進んで行くことを望んでいます。新生ローレライ教団の主張は、ユリアの望みを冒涜しているもの。私はそのような主張には従いません」

 例え世界が壊れ行こうとも、ヴァンの造り出す複製の大地には足を踏み入れない。ユリア・ジュエは、そんな乱暴な方法で人間が預言から離れることを望んでいないから。
 だが、この考えは言うまでも無くイオン自身のものである。少年はそれを、愛する民に押し付けることはしたくなかった。何故なら、彼らとて自ら考える力を持つ人の子であるから。

「ですが、私は自身の意思によりこの大地を離れる者を引き止めるつもりも無い。預言の記述を省みず、ただ己の意思のみにより動く……それはつまり、ユリアの願った預言からその者が卒業したことを意味するのですから」

 今のように預言が人の行動を縛り付けるようになったのは、いつからだったのだろうとイオンは思う。ユリアの預言の的中率が高すぎると言うことがその発端だったのだとしたら。
 いや、そのようなことは2000年の時を経た今になって言ったところで意味が無い。ただ自分たちは、自分たちが選ぶ未来へと進む道を探るだけだ。

「私は私の意思で、この世界を守ります。貴方がたは貴方がたの意思に従いなさい」

 毅然とした態度で演説を終え、イオンは真摯なまなざしで一同を見渡す。しんと静まり返ったそこは、しばらくの間時を止めていたかのように少年には感じられた。


 アルビオールにより届けられたピオニーからの書に目を通し、インゴベルト王は深く頷いた。

「ふむ、なるほど。会談については受け入れる旨、返答を。場所は……やはりユリアシティであろうな」
「では、その旨マルクト側に急いで伝えます。場所の希望も」
「頼むぞ」

 メッセンジャー役を兼ねていたギンジが頭を下げ、急ぎ足で謁見の間を後にする。扉が閉ざされたのを確認して王は、側に控えていた将軍に目を向けた。

「アルマンダイン。今動かせる軍を集めよ。恐らく、ヴァンの一派とは一戦交えねばならぬ」
「は。しかし、グランツ謡将についた戦力はさほどのものでは無いはずですが」

 命には頷き、だが少し考えてアルマンダインは訝しげに問うた。それに対する国王の答えは、明白なものだった。

「きゃつらにはフォミクリーがある。レプリカ情報と第七音素さえあれば無限に造り出せる兵力がな」
「……確かに」

 かつて『死霊使い』と呼ばれた軍人が戦場の骸を漁りかき集めた、無数のレプリカ情報。プラネットストームの一部を再構築したことで、第七音素の供給も再開された。つまりそれらは、無限の手駒がヴァン一派の手に入ったことを意味する。
 だが、レプリカとして生まれたルークを身近に見て来た王にとってそれは、許せない罪を幾重にも重ねるものだ。
 オリジナルであるアッシュの弟としてファブレの家に受け入れられ、仲間たちから愛される朱赤の焔。
 彼と同じ生まれ方をする生命たちが、捨て駒の兵力として前線に繰り出されるなど。

「人工的に生み出され、使い捨てにされる生命。それを由とするきゃつらを、世界に置いてはおけぬ」

 インゴベルト王のように、生体レプリカをオリジナルの人間と同じく1人のひととして扱う者はこの世界にはまだ少ない。だからこそ自身が率先してそう扱っていかねばならないのだと、彼は考えている。
 どんな生まれ方をしても生命に違いは無い。だから、扱いを区別するのがおかしいのだ。

「それとベルケンド、及びシェリダンに使いを。今この世界において空に詳しい者は、アルビオールの技術者を置いて他にあるまい」

 その王は続けて、もうひとつの命令を放った。それを受け止めたのは、アルマンダインについてこの場にいたジョゼット。

「はっ。自分が向かいます」

 ぴしりと敬礼をして、彼女は何の躊躇も無く答えた。メッセンジャーとしてこの城にやって来たギンジの髪の色に、ほんの少しだけアスランを重ねたことは彼女の胸の奥にしまい込まれた秘密である。

「彼らの主張の意図がどこにあるにせよ、オールドラントを滅ぼすと言うことに代わりは無い。ならば、我らの為すべきことは決まっている」

 ジョゼットに頷き、毅然とした態度でインゴベルト王は言い放った。その場にいた兵士たちは、アルマンダインも含め全員が姿勢を正すと王に向かい敬礼する。かつてモースの意思に絡め取られていた頃のキムラスカ王室では無く、自らの意思で歩き始めた王に向けて。
 そう、彼らの為すべきことは既に決まっている。それは預言に刻まれたものでは無く、世界に生きるものとして当然のこと。

 世界を、守る。
 子どもたちが生きて、未来へと繋がるこの世界を。

 紅の瞳の軍人がそう願い紡ぎ上げて来た、この世界を。


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