紅瞳の秘預言 96 決断

「アストンですよ。ギンジとノエルは、彼から飛晃艇の操縦技術を学んだそうですし」
「なるほど。開発者の1人ですから、操作方法を知っていてもおかしくはありませんねぇ」

 ジェイドの腕を離さないまま、サフィールが楽しそうに目を細める。ちらりと向けられたアッシュの碧の視線の鋭さにも、全く動じることは無い。

「てめえは動かせるのか?」
「マニュアルさえあれば。ですが、面倒なのでお断りします」
「やはりネイス博士はネイス博士ですのね」

 しれっと答えたサフィールに、思わずナタリアが溜め息をつく。だが、サフィールのこの態度はいつものことであるから彼女も、軽く肩をすくめるに留めた。

「サフィールはそう言う性格だからな、飛晃艇を預けるわけにもいかんだろ。それに、レプリカホドを攻略するにしたところで、空を飛ぶのに必要な譜石はもう無いと言って良い」
「アリエッタに協力をお願いすると言う方法もあるんですが、魔物1頭が運べる人数はせいぜい1人か2人ですし」

 ピオニーに続いてイオンが言葉を紡いだ。むう、と頬を膨らませたアリエッタに苦笑を浮かべつつ、ティアが僅かに頷く。

「要するに、空を飛んで行ける人数は限られている……と言うことですね。そのために、まずは偵察を行っているだけと」
「そう言うことだ」

 ティアの言葉を肯定し、インゴベルト王とピオニーが視線を交差させる。海の色の瞳を一瞬だけ細め、口を開いたのはピオニーだった。

「となると、こっちが取れる方法としてはこうだ。レプリカホドへ乗り込み、ヴァンを倒すための精鋭部隊を選び出す。三国同盟軍は、その精鋭部隊をレプリカホドへ送り込むために援護攻撃を行う」
「精鋭部隊、ですか」
「うむ。問題は、その精鋭部隊の人選だが……」

 ガイに答え、そこでインゴベルト王は言葉を切った。まっすぐに王が見つめる先は、朱赤の焔。かつて彼をアクゼリュスに送り出したときのように『生贄』としてでは無く、『実力のある剣士』として王は彼を見つめている。
 王は知らない。かつてジェイドが『経験した世界』で、子どもたちがその精鋭部隊としてレプリカホド……エルドラントへ乗り込んだことを。
 アッシュと自らの存在を賭けて戦い、ヴァンを討ち果たしたルークがそのまま帰って来なかったことを。

 だけど、『この世界』の俺は違う。
 アッシュと一緒にヴァン師匠を倒して、世界を平和にする。
 ジェイドが望んだ世界を、この手に引き寄せる。

「……俺、行きます」

 ぐっと手を握ってから、ルークははっきりとその言葉を口にした。行ってくれ、と王が言う前に自分の口で、自分の言葉で、自分の意志をはっきりと示したかったから。

「俺は俺と言う1人の人間として、ヴァン師匠の計画を止めたい。今までもそうやって、ここまで進んで来ました。だから、自分の手で決着をつけたい」

 まっすぐに王を見つめ、ゆっくりと紡がれるルークの言葉。それが終わったとき、真紅の焔はゆったりと頷いて彼の隣に並んだ。

「俺も行きます。この決着は、俺たちが付けるべきですから」

 ヴァンによって運命を左右された焔の子どもたちが、そう意思を口にした。ジェイドの『記憶』を知るピオニーやイオンにとってその言葉は予測済みであったからだろうか、金髪の皇帝の反応は早かった。

「まあ、そう言うとは思っていたがな。うちからはジェイドとサフィール、それにガイラルディアを出す。精一杯こき使ってやってくれ」
「行くなって言われても行きますよ。ね、ジェイド」
「ええ。私はルークを守るのが役目ですから。ガイは良いんですか?」

 ふんと鼻息も荒いサフィールに対し、ジェイドはふわりと淡い笑みを浮かべるだけ。真紅の瞳を向けられたガイは、ジェイドの肩をぽんと叩いて答えた。

「良いも悪いも無いさ。ヴァンデスデルカとは因縁もあるし、ここまで来たら最後まで付き合うよ」
「……はい」

 小さく頷いたジェイドの瞳が一瞬揺れたことに、ガイは気づかないふりをした。
 自分たちがこれから向かおうとしているのは、16年前に滅びたホドの複製品。ガイの幼い頃の記憶に刻まれた、その光景がそこには広がっているのだろう。

 でも、それはあくまでも複製であって俺の知るホドじゃ無いんだろう? 旦那。

 小さく息をついて、ガイは思いを割り切るように頭を振った。

「お父様」

 一方、ナタリアは父王の前に進み出ていた。真摯な表情に、インゴベルト王は愛娘の決意を知る。
 止めることは出来ないと分かっていたのか、王は少しだけ口の端を引き上げた。

「行くのか、ナタリア」
「はい。アッシュが行くのならば、私は彼の側にいたいと思います」

 ほら。
 この頑固者の王女は、恋うる男が戦場へと踏み出すならばその隣にいることを望む。あるいは弓を引き、あるいは治癒の術を奏で、恋人の力にならんとする。

「……必ず生きて戻るのだぞ。グランツ謡将とその配下は強敵なのだろう」
「分かっておりますわ」

 だから王は、引き止める言葉を紡ぐことをしなかった。背を押して送り出し、彼女たちが戻る場所を守り通すことが王にして父たる自身の役割であることを分かっていたから。

「それで、ダアトからの派遣人員なんですが」

 椅子からひょいと降りたイオンに視線を向けて、シンクがサングラスを軽くずらした。そこから見える悪戯っ子のような表情は、ヴァンに付き従っていた頃には見られなかったものだ。
 きっと、ジェイドと言う『父』を得て背伸びしなくても良くなったからだろう。

「僕とアニスとアリエッタ、それにユリアシティ代表でティアってとこでしょ? 特にティアはユリアの譜歌を歌えるからね、外すわけにもいかないだろうし」

 それでも、自身がイオンの『兄』だと言う自負がどこかにあるのか、シンクは普段通りの口調で言葉を発する。イオンもそれを分かっているのだろう、ふんわりと穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

「そうなります。お願い出来ますか?」
「当然。導師は地上で待ってなよ。ちゃんとケリは付けて来るからさ」

 ぷいと顔を逸らしてしまうのは、ヴァンの下で育った2年の月日の中で身についてしまったもの。無理に直そうとは思わないけれど、相手の言葉を素直に受け取らない嫌味な奴と受け取られるのだけは困りものだ、とシンクは自身を分析している。

「イオン様! アリエッタ、頑張ってきます!」
「もっちろん、アニスちゃんだって頑張っちゃいますからね!」

 対照的に2人の守り役たちはそれは素直に純粋に、拳を握りつつ胸を張る。アリエッタはともかく、昔から両親とモースのせいで辛い生活を送って来たアニスのこの態度は、それでもその辛さから解放された彼女の本心だろうと言うことは分かる。まあ、ほんの少し芝居っ気がかっていることを否定はしないが。

「私も頑張ります」
「ええ、よろしくお願いします。ティアは特に、ルークのことをお願いしますね」

 そうして緊張しながら答えたティアに、イオンはにっこり笑って人差し指を立てて見せた。途端、彼女の様子が目に見えておかしくなる。

「え!? え、いいえ、私はルークの側にいたいとかじゃ無くて、あのええと、ユリアシティの代表としてっ」

 いや、素直になりなって。
 今さら、みんな知ってるよ。

 シンクが胸の内だけで呟いたツッコミは、周囲で彼女を見ているほぼ全員が思い描いた言葉だろう。ただ、ミュウと張本人であるルークだけは同じように目を丸くしてぽかーんと見つめているだけだけれど。

「ここでは、建前は意味がありませんわよ? ティア」
「ほんとほんと。ナタリアみたいにさあ、ルークと一緒にいたいんだーって素直に言っちゃえばいいのに〜」

 歯に衣を着せないナタリアと、ここぞとばかりに彼女を弄ることにしたアニスに挟まれて、ティアは顔を真っ赤に染めた。
 その様子を見てくすりと笑ったジェイドの表情に、サフィールはほっと胸を撫で下ろす。
 まだ、この人は楽しいことを見て笑うことが出来るのだ……それが分かったから。


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